富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

❤富田林の石灯籠―1.平町の太神宮灯籠

2017年06月20日 | 石灯籠❤

富田林市域には、民衆信仰型の石灯籠が三十数基もあります。富田林市中央公民館の市民講座 「富田林百景+」では、2年にわたりその調査を続けているところです。江戸中期以降に街道筋や町中に民衆の手によって建之(けんの)された石灯籠-「太神宮灯籠」とか「金毘羅大権現」と記銘された-その原動力は何であったのか、考えていきたいと思います。

〈画面をクリックすると拡大します。〉

 喜志 平町の灯籠は、富田林市市域で一番北にある、民衆信仰型の石灯籠です。今回の調査で分かったことですが、「竿」右側部分に「明和元年九月吉日」の銘があり、錦織の聖音寺の太神宮灯籠とともに、市内で一番古いの民衆信仰型石灯籠のひとつと分かりました。

 

 平町の西北部にある融通念仏宗 佛智山 安楽寺

その山門の入ってすぐ右側に、この「太神宮常夜燈」があります。 太神宮灯籠とは、いわゆる伊勢灯籠のことで、江戸中期以降、民衆に普及した「お伊勢参り」、「おかげ参り」、「おかげ踊り」の流行とともに、その街道筋や村の中に建之されました。

 

 「すぐ ふじい寺 一里」

村中を通る巡礼街道にある道標。この伊勢灯籠の近くにあります。

この伊勢灯籠も西国四番札所 槙尾山施福寺と五番葛井寺を結ぶ巡礼街道を目印として示す灯籠として建之されたようです。

 

 「おじゃまします❤」

「太神宮常夜燈」を調査する、同じ喜志在住のS隊員とK隊員-富田林百景のメンバーです。

 

 正面が西を向く「太神宮常夜燈」 道路側と反対を向いています。

昔はこの向きに、古い巡礼街道があったとも云われてますが、さだかでありません。

もし移設されてきたとすれば、本堂側を向いて置かれたかもしれませんが...

江戸時代、庶民が自由に旅することはなかなか難しかったですが、信仰を理由にした神社や仏閣への巡礼旅は、時の権力からもすこし大目に見られていました。

江戸中期以降、「お伊勢まいり」や「西国観音巡礼」など、娯楽や楽しみの少ない庶民にとって、そこに参拝することが一世一代の晴れ舞台であり、大きな楽しみでもあったのです。

そして、それを記念して造られたのが、「太神宮灯籠」や「おかげ灯籠」ということになります。

すこし付け加えると、裏があります。お伊勢さんに行った後、ちょっと寄り道して京都や奈良に回って物見遊山をしています。(富田林市史 第2巻 P785)昔の人も抜け目がなかったんですね。

 

 

 富田林市で一番古い石灯籠 「明和元年(1764)九月吉日」

最初、「明治」か「明和」か、よくわかりませんでした。これよく読み間違えます。

それと「九年」か「元年」もよくわかりませんでした。喜志の方に、再調査を依頼し、銘の後の文字「九月」と流し方が明らかに違うということで、「元年」と判明した次第です。

よって、一躍富田林市域で一番古い民間信仰型灯籠に躍り出た平町の「太神宮常夜燈」です。

*喜志の宮に元禄期の灯籠がありますが、神社・仏閣の寄進された灯籠は江戸前期のものも多く民間信仰型石灯籠より前からあります。しかし、これらの灯籠は寺社への信仰によるものなので今回は除外しています。

 

 羽曳野市尺度、旧 西坂田村の利雁神社にある太神宮灯籠

 これだけ銘文がはっきりしていると、苦労しないのですが...

 

 この灯籠の「火袋」は、三方塞がりで珍しいものです。一方向だけ照らします。

普通は前後が和紙で覆った木枠で、、両側が「月」と「日」の形になっているものが多いんですが...月・日になっているのは、「陰」と「陽」です。「陰陽思想」がここにも、見え隠れします。

灯籠と言っても、せいぜいロウソクか菜種油の油皿の火なので、ここに灯籠があるといった目印にしかならなかったと考えられます。(足元を照らす街灯ではなく、灯台みたいなランドマーク)

 

 南河内や泉州で多い盃状穴

民衆信仰型石灯籠に、さらに後の時代に民衆信仰の盃状穴があけられました。

ということは、明和元年(1764)以降に誰かが何らかの目的で開けたということです。


 

子授け・安産・いろんな授かりもの祈願して、江戸中後期に若い女性が他の人に見られないようにして(お百度石も他の人に見られないようにお願いします。)穿ったといわれる盃状穴。

岩から清水が少しずつ湧いていると、手を合わせるように手のひらを丸く受けるでしょう。

その形が盃状穴。上から授かるものを手を合わせて受けるのです。

盃状穴は、硬い花崗岩の灯籠の基礎や手水鉢に穿たれます。実際、花崗岩の丸石でこすっても全然穴が掘れません。つまり、作るのに根気と忍耐力、苦痛が伴います。それが苦行、お百度参りと共通するものがありそうです。

参考:とんだばやしの盃状穴 http://www5b.biglobe.ne.jp/~kensetsu/haijouketsu/haijouketsu.htm kenさんのネット


 

 しかも、ここの盃状穴は、基礎下段の四隅に全部あけられているという徹底ぶりです。

 

関連記事:聖音寺(錦織南地区)の石灯籠 2016.10.13.

                   彼方西光寺の盃状穴 2014.12.8.kenさんの記事

2017.6月21日 (HN:アブラコウモリH )

 


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