昔の望遠鏡で見ています

右京太夫も見た木星と土星

 大晦日に近くの親戚の家に行く途中、北西の空に夏の大三角が綺麗に掛かっていた。ベガの輝きも、透明な空で一層引き立っている。
 このような美しい星空を見ると思い出すのが、次の建礼門院右京太夫の歌である。

 月をこそながめなれしか星の夜の
 深きあはれを今宵知りぬる

 現代語訳
 月をながめることは慣れていましたが 星の夜の
 深い趣を今宵知りました

 その詞書も深い情感を感じさせる。新村 出 は ” 南蛮更紗(大正十三年初版発行  改造社) ” の ’ 月星夜 ’ という章で「日本の文学ではとにかく古今独歩ともいうべき文字がうかがわれる。」と称賛している。

 十二月の朔日の頃なりしやらん夜に入りて雨とも雪ともなく打散りて村雲さわがしく一つに曇りはてぬものから、むらゝ星うちきえしたり。ひきかづき臥したるきぬを、更けぬる程、丑二つばかりなどにやと思う程に、ひきのけて空を見上げたれば、殊にはなれて、浅葱色なるに光ことごとしき星の大きなるがむらもなく出でたる、なおめならず面白く、紺の紙に箔をうち散らしたる様に似たり。今宵はじめて見そめたる心地す。さきざきも星月夜見なれたることなれど、折からにや異なる心地するにつけても唯物のみおぼゆ。

 現代語訳
 十二月一日頃(新暦の十二月三十一日に相当)、雨とも雪ともつかないものが降りそそぎ、ちぎれ雲が湧いては消え、全くの曇天というわけでもなく、星々が雲間から見え隠れしていました。夜具を頭からかぶって寝ていましたが、午前二時頃に夜具を引きのけて見上げてみると、空は晴れて、あさぎ色(淡い青色)の空に大きな星がはっきり出ているので、ひとかたならぬ興趣を感じました。まるで紺色の紙に金箔を押したようでした。今晩はじめて気が付いた気持ちがしました。今までも月星夜は何度も見たことはありましたが、これまでと違った気持ちがして万感胸に迫る思いがしました。


 新村は「これほど星月夜を賛美した散文韻文は、この外私の未だ日本文学に見かけない所である。紺紙に金銀砂子をちらしたような冬の真夜中のはれわたった空を、追懐と愛情とに満ちた彼女は見上げて、『ただ物のみ覚ゆ』と嘆じた、紺紙に箔を散らした様だと形容したのも、書道の家に生まれた彼女として、始めて意味のある文句であった。美い意味に於いてのお里をあらはしたものである。」と評している。

 そこでは、どのような星を見ていたのかと気になるのであるが、草下英明の ” 星の文学・美術 (1982年発行 れんが書房新社)” の ’ 建礼門院右京太夫の見た星空 ’ を見ると、東京天文台技官だった小川清彦が、天文月報第23巻6号(1930年6月発行)に「右京太夫の見た星について」という短文を発表していることが判った。小川は、この歌が詠まれたであろう西暦1186年1月1日午前2時頃の星の配置を、惑星の軌道計算を試みることによって確認している。その結果は、なんと昨年(令和2年)と同じく木星と土星が、この時はおとめ座付近に見えていたのである。
 同夜を想像すると、歌の作者の頭上には澄み切った冬空が広がり、西にはオリオンやシリウスの豪華絢爛たる星々、そして南東の空にはスピカに加え木星や土星が大きな星として輝いていたのであろう。しかし、一旦床に入ったのち、また真夜中に起きて星を見たのだという。それも真冬の時期である。よっぽどの星好きだったのかもしれない。



 
 

最近の「日記」カテゴリーもっと見る