9.11について

2001年の9.11事件や、その他色々な感想、思い、などを書いていけたらなと、思っています。

9.11について  <超帝国主義国家アメリカの内幕> マイケル・ハドソン著 その3

2018年11月05日 | 日記
と、あるスナックで

コー
むずかしくて頭が痛くなってくるけど、どんどん読んでいこう。 

エピローグ  
ーーーーー。 
より開放的な世界経済をうたうモラルへのアピールとは別に、アメリカはマーシャル・プラン援助を戦争で疲弊したヨーロッパに与え、アメリカの輸出業者と投資家に支配されるにちがいない国際経済から予測される諸国の貿易赤字に資金を提供するための対外援助貸付も提示した。そういう貸付は、戦後システムをヨーロッパやその他の地域によって心地よく感じさせる目的で計画されていた。そうすれば、それらの国々は比較的自由な貿易を採用し、アメリカの投資家に門戸を開くことになるだろう。通貨の交換は自由になり、国際収支を改善するためアメリカに損害を与える形で平価切り下げが行われることはなくなるだろう。

そういう援助のための条件として、アメリカはIMFと世界銀行における拒否権を与えられるべきだと主張した。結局のところ、とアメリカの外交官は指摘した。それらの機関に必要な資金の大半を拠出するのはアメリカなのだ・・・。じっさいアメリカの提案はこうだった。「我が国は敵国から賠償金を取らず、同盟国からも、いまだに経済的価値を持つ武器貸与法による移転費用を除けば、戦災の返還を求めていない。そういうわれわれに、世界経済を通貨コントロールのない自由貿易へと向かわせるための多角的機関を作らせてほしい。近代化を始める際に貿易赤字を出す国はいくつかあるだろう。だが我が国は、それらの国が新たな国際的均衡へのこの移行期間を乗り切れるように、対外援助を差し出すつもりだ。
もろん、こういう資金供給に対し議会の許可を得るために、いくつかの政治的現実を認めなければならない。新たな多角的機関の精神は国際主義的であるべきだが、現実にそれらの機関がアメリカの主権を侵害するとなると、アメリカ国民は我慢できないだろう。1933年の農業調整法を廃棄するわけにはいかないし、わが国経済が強すぎるからというだけで他の国々がわが国の輸出業者に報復関税をかけるため赤字を計上できるようなIMFの稀少通貨条項を認めることもできない。さらに、国際機関に資金を供給する見返りとして、それらの機関のいかなる決定にたいしても拒否権をもつことがフェアだと考える。さもなければ、赤字の国々がアメリカを自分たちの属国にするような投票を行うかもしれない」
これらの言葉は、アメリカが第一次世界大戦後どうふるまったかと比較すると、ほとんど利他的にすら聞こえた。全体の雰囲気は一般的商業原則としての自由放任的理想主義の一つだったが、アメリカの要求する特別譲歩により束縛されていた。

生まれ出ようとしている世界秩序の持つ経済的な意味は、実際には把握されていなかった。それは、単にアメリカが最富裕国で最大の市場だということでもなく、ドルがほとんどの貿易に用いられている通貨であるという事ですらなかった。そのような地位はすでに19世紀にポンドが占めていたのである。その時代のポンドは金の代用品であり、産業面、金融面で指導権を握ったイギリスの国際収支は常に黒字を保っていた。だが肝要なのは、イギリスの場合、1846年に穀物法を廃止して農業保護主義に終止符を打つことにより、自由貿易の擁護者となっていたことだ。食糧市場の開放は平等な交換であり、それゆえ他国はイギリスが世界の工場となり、世界の銀行家としての役割を強化していくのを黙認したのだった。

対照的に、第二次大戦からうまれてきたアメリカを中心とする相互依存の形態は、シンメトリカルではない。アメリカの外交官は自国の国内および対外政策にはできる限りの自主性を確保し、アメリカ経済への他国の影響を拒否した。アメリカ農産物市場と”国家安全保障”部門とは相変わらず保護され、1930年代にルーズベルトのニューディールにより制定された法律や市場コントロールが温存されることで大きな支援を受けた。同じく温存されたのは過大評価された交換レートでのポンド債務だ。対イギリス貸付のために定められたこの条件は、インドやエジプト、ラテン・アメリカ諸国が自国の持つポンド残高をアメリカの輸出品に費やすという結果を生むのに役立った。

国際的な合意にアメリカ議会が承認を与えるかどうかは、アメリカ政治の現実を映し出す鏡でしかない。第一次大戦後アメリカの国際連盟への加入を議会が認めなかった理由は、アメリカの自主独立を守り、外国に、議会が常に心にかけている地方の既得権益を含むアメリカの経済的利益を損なうかもしれない政策を押しつけさせないようにするためだった。第二次大戦後にアメリカは国際連合、IMF,世界銀行に加入することに同意したが、それは拒否権を与えられるという条件があってのこそである。拒否権があれば、アメリカの国益にそぐわないどんな政策をも阻止することができるのだ。

当時明確に気づかれていなかったのは、この条件によりアメリカ代表がどれだけそれらの機関の自由を奪って自国の政策の要求に従わせることができるようになるかだった。それらの機関において外交的イニシチアティブを取ったのは、アメリカ議会とその選挙民の特殊利害に責任を持つ合衆国代表だった。地元代表たる議員が、行政府の締結した国際協定を拒否する権限をこれほど持っている国はほかにないし、条約交渉において、自国の利益をこれほど近視眼的な尺度で計算する国もない。

結果として、IMFや世銀、さらにアジア開発銀行その他のような名目的には多角的機関の政策が、アメリカの国家主義を拡大した形で反映することになったのである。
ーーーー。(続く)


小林
いやーこの本を書いたのがアメリカ人なんですから、驚きですね。だからこの本を他国に翻訳して読まれるのを妨害するわけですね。
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