いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

< 郷土料理 > 福島 えご

2024-05-18 08:07:38 | 郷土料理

 「えご」

 主な伝承地域 西会津町、喜多方市

 主な使用食材 えご

 歴史・由来・関連行事
 「えご」とは「エゴ草」と呼ばれる海藻を煮て溶かし、四角く固めた料理のこと。寒天やゼリーのような食感がくせになる一品で、からし醤油などをつけて食べる。主に日本海側で食べられている郷土料理で、福島には江戸時代後期に新潟から酒の肴として持ち込まれ、宿場町であったために根づいて伝承されていったと言われている。現在は西会津のほか、阿賀川、只見川流域でよく食べられているという。作られるようになったのは明治時代頃。新潟からやってきた行商がえごを売り歩くこともあったとされている。ちなみに地元ではえごをなまって「いご」と呼ぶこともある。

 食習の機会や時季
 冠婚葬祭や盆、正月など、行事で人が集まる際に供される。季節としては年間を通して、お盆のお供え物でも特に、仏事では必ずといっていいほど、精進料理のごちそうとして使われ、余ったものは味噌漬けにされていた。

 飲食方法
 えごを水に浸し、きれいにしてから、鍋に水とともに入れて溶けるまで30分ほど煮込み、その後バットに流し込んで冷蔵庫で固める。食べるときには好みの形に切り分けるが、切り方によって食感が微妙に変化するという。からし醤油やしょうが醤油、酢醤油をつけて食べたり、味噌漬けにしたりすることも。また、地域によっては砂糖をかけておやつにすることもあるのだという。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 家庭で作られるほか、飲食店でも提供されている。また、西会津町のホームページではえごを作っている様子を動画で紹介。えごを知らない人や見たことがない人にもわかりやすく解説を行っている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/30_27_fukushima.html より

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<B級ご当地グルメ> 秋田 秋田みたね巻

2024-05-18 08:03:52 | B級ご当地グルメ

 「秋田みたね巻」

 都道府県 秋田県
 地域 三種町
 推進団体 みたね産直隊
 概要 秋田県三種町の「白神あわび茸」などを、、地元「かわい農場の豚肉」や横手市の「笑子豚(エコブー)」のブランド豚肉で巻いて塩・胡椒。炭火で炙ったもの。
 B1出場を目指し、グルメイベント等へ出展の他、町内数店舗で販売中。1本200。

 あわびのような食感、ひと口噛むごとに溢れ出る肉汁とあわび茸からの汁が格別という。秋田県三種町の「白神あわび茸」などを、地元「かわい農場の豚肉」や横手市の「笑子豚(エコブー)」のブランド豚肉で巻いて塩・胡椒。炭火で炙ったもの。

 B1出場を目指し、グルメイベント等へ出展の他、町内数店舗で販売中。1本200。

 あわびのような食感、ひと口噛むごとに溢れ出る肉汁とあわび茸からの汁が格別という。

*https://b9navi.com/%e3%81%bf%e3%81%9f%e3%81%ad%e5%b7%bb/ より

 「白神あわび茸」-生産していた「(株)白神カンパニー」は2023年9月1日. 破産手続きの開始決定。

 その後どうなったかは不明。

 

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<伝統野菜> 熊本 水前寺せり

2024-05-18 07:52:32 | 伝統野菜

 「水前寺せり」

 【生産地】熊本市画図地区

 【特徴】春の七草の筆頭に挙げられる芹(せり)。豊かな湧水をたたえる江津湖の南西に広がる熊本市画図地区のせり田で栽培されている。正月料理に欠かせない香物。

 【食味】鮮やかな緑色。香りと色合いがよく

 【料理】雑煮、春の七草雑炊、胡麻和え、鍋物、吸い物、天ぷらなど

 【来歴】芹は、日本の数少ない太古からの自生品種の一つ。清水がわき出るところに競り合うように生えることから、その名が付けられたともいわれている。「水前寺せり」は、江津湖周辺に自生しており、江津湖流域の清らかな湧水を利用して栽培が始まった。水前寺周辺の湧水で栽培するため「水前寺せり」と呼ばれる。「ひご野菜」と「くまもと特産野菜」に選定。

 【時期】12~2月(旬)販売期間は、11月中旬~4月まで

 冬に鮮やかな緑の絨毯が広がる

*https://tradveggie.or.jp/43-kumamoto/#i-23 より -アドレス変更の模様

 https://tradveggie.or.jp/vegetablelist/%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E9%87%8E%E8%8F%9C%E9%83%BD%E9%81%93%E5%BA%9C%E7%9C%8C%E5%88%A5%E4%B8%80%E8%A6%A7 からご確認ください。

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うまいッ! NHK「上品な脂とふっくら食感 カマス~神奈川県・小田原市~」

2024-05-18 07:48:06 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「上品な脂とふっくら食感 カマス~神奈川県・小田原市~」 2015年11月01日

 番組内容
 神奈川県小田原市ではこの季節カマスが水あげされ秋の味覚として愛されている。上品な脂の甘さが堪能できるカマスは実は繊細な魚。鮮度を保つため漁でもさまざまな工夫がされている。若き漁師さんたちに密着、おすすめの味わい方も聞く。また、うまみが凝縮された干物のおいしさを作りだす秘密、さらにはいま地元で注目をあつめている新しい加工方法なども紹介する。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201511010615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

*http://odawara-sakana.com/know/calendar/kamasu.html より

 

 小田原漁場で旬を迎える夏の叺。様々な仕込みを施すカマスの鮨の魅力! 2022.6.12 店主ブログ • 旬の美味しいもの
 鮨かのが長年契約する小田原漁場ならではの美味しさ!
 鮨かのが契約する〝小田原漁場〟では、今カマスが旬を迎えています。

 小田原漁場から直接届く厳選されたカマスは、豊洲市場ではまず見かける事が無い〝活き締め〟。

 活き締めならではの身の弾力があります。

 昆布締め、炙り。様々な仕込みが施されたカマスの握りは、とても深い旨味を持っています。

 今回は、そんな小田原直送活き締めカマスについて少し掘り下げてみたいと思います。

 もくじ
 小田原漁場直送の活き締めカマス。
 カマスの仕込みについて。
 カマスの鮨の旨さの理由!
 まとめ
 

 小田原漁場直送の活き締めカマス。
 早朝に水揚げされたカマスは、セリにかけられ、お昼過ぎに鮨かのに到着します。

 ウロコが剥がれずにビッチリと残っているのは丁寧に扱われている証拠。

 魚にストレスをかけない様に素早く仕込みに入ります。

 カマスは小魚を捕食します。

 相模湾のカマスは小さなイワシなどを食べている様子。

 相模湾の鰯を食べているカマスです。美味しい理由のひとつですね。

 カマスの仕込みについて。
 良質なタンパク質を豊富に蓄えているカマス。

 その身質は水分を多く含んでおり、柔らかく身崩れを起こしやすいのです。

 が、活き締めのカマスは違います。

 身がシットリと締まっており、プリプリとした弾力があります。

 カマスは皮目に旨味を持っています。

 柔らかく爽やかさを演出させる目的で、酢洗い。

 のち脱水の目的で昆布じめにします。

 昆布の旨味も移り旨味を凝縮します。

 昆布に当てるのはカマスのサイズにより、2~3時間。

 その後、昆布を外し、握るまで味を馴染ませるように休ませます。

 これも大事なひと手間なんです。

 カマスの鮨の旨さの理由!
 カマスを握りに仕立てる時には、〝湯霜〟〝酢締め〟などの手法も有ります。

 鮨かのでは炙りにする事がほとんど。

 握る直前に日本酒を振りかけ皮目を炙ります。

 上には、玉葱醤油を少し乗せて、甘味のアクセントをプラス。

 炙った香ばしさ。旨味。甘味を持つカマスと、赤酢のシャリとの相性はバツグン。噛みしめる程に旨味が増幅します。

 今の季節を代表する一貫かと思います。

 まとめ
 この小田原カマスは入荷次第ですが、秋頃までは続くと思います。

 鮨かのにカマスが入荷する時は必ずコースに組み入れたいと思う美味しさを持っています。

 噛みしめる程に旨味を増す小田原漁場のカマス。

 それを楽しめるのは初夏から秋にかけて。

 旬の食材は素晴らしいです!

*https://sushikano.jp/?p=7145 より

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<料理用語-和食> げんべら

2024-05-18 07:35:52 | 料理用語

 「げんべら」

 和菓子の「打ち物」に使用する木のヘラ。

 樫の木で作った分厚い造作のへらで、木型に砂糖と粉を混ぜた生地を詰め込み、はみ出した生地をげんべらでこすって整える。油布巾でこする面をふき、滑りをよくして使う。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/8_F/015.html より

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<異名-食べ物> グリーンキャビア

2024-05-18 07:33:01 | 異名

 「グリーンキャビア クビレズタ/海ぶどう」

 クビレズタ(括れ蔦,括岩蔦、学名: Caulerpa lentillifera)とはイワズタ科イワズタ属に属する海藻。

 和名はもと、くびれのあるツタの意味で「クビレヅタ」であったが、2000年に改定された日本産海藻目録より「クビレズタ」に改められた。最新である2005年改訂版でも「クビレズタ」となっている。

 沖縄県では昔から食べられており、その形状から海ぶどう(うみぶどう)やグリーンキャビアと呼ばれている。

*Wikipedia より

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<難読漢字-鳥類> 青鵐、蒿雀

2024-05-18 07:27:34 | 難読漢字

 「青鵐、蒿雀 あおじ」

 アオジ(青鵐、蒿鵐、蒿雀、Emberiza spodocephala)は、スズメ目ホオジロ科ホオジロ属に分類される鳥類。

*Wikipedia より

 アオジの名前の由来は、オスの緑色の頭。ホオジロの仲間を「シトド」、緑を「あお」と言うことがあるため、かつてアオシトドと呼ばれ、短縮されてアオジとなりました。

*https://goopass.jp/animal/bird/book/aoji より

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<慣用句・諺> 土仏の水遊び など

2024-05-18 07:18:36 | 慣用句・諺

 「土仏の水遊び-つちぼとけのみずあそび」

 《土仏が水に溶けて崩れていくところから》身の破滅を招くようなことをみずからすることのたとえ。土仏の水狂い。土仏の水なぶり。

 「土仏」-つちぼとけ-土でつくった仏像。どぶつ。

 

 「土仏の夕立に逢うたよう」

 《土仏が大雨で崩れるようすから》しょんぼりしたさまのたとえ。

 

 「津波てんでんこ」

 《「てんでんこ」は東北方言で各自の意》津波はあっという間にやってくるから、周囲の者をかまうよりも、各自てんでんばらばらに逃げなさい。三陸地方の言い伝え。

 「津波てんでんこ」-津波てんでんこ(つなみてんでんこ)は、津波からの避難についての標語ないしは合い言葉である。

 「てんでん」とは、「てんでに」や「てんでんばらばらに」という意味で、「津波てんでんこ」とは、薄情なようではあっても、「てんでんばらばらに急いで早く逃げよ」という、津波から逃れるための教えである。

 三陸地方では昔から「津波起きたら、てんでんこだ」と伝えられてきた。

 名称
 「てんでんこ」の名称
 東日本大震災以前から釜石市に伝わってきた用語としては、「命てんでんこ」、「命てんでん」、「命てんでっこ」、「命てんでんっこ」や単に「てんでんこ」などがあった。三陸海岸で津波避難の標語に転化したのは、明治三陸地震(1896年(明治29年)6月15日)の津波の頃からと言われている。

 山下文男(1924年生まれ、現在の大船渡市三陸町綾里出身)の父親は、その祖父からこの言葉について聞かされていたという。山下と同様に三陸の津波災害を語り継ぐ活動をしてきた田畑ヨシ(1925年生まれ)も、明治の大津波を経験した祖父から「てんでんこ」という言葉を聞いている。従って、この「てんでんこ」の形では明治の三陸大津波を更に遡り、少なくとも150年を超える歴史を持っていることは確かである。「てんでんこ」は確かに三陸地方で長年にわたって伝えられてきた言葉であるが、ただしその起源を正確にいつ頃までさかのぼることができるかは定かではない。

 「津波てんでんこ」の成立
 上記の諸語が「津波てんでんこ」と言われるようになったのは、1990年(平成2年)に岩手県下閉伊郡田老町(現・宮古市)にて開催された第1回「全国沿岸市町村津波サミット」において、津波災害史研究家でもある山下文男らによるパネルディスカッションが契機であり、比較的新しい標語である。

 「津波」と「てんでんこ」をつないだ「津波てんでんこ」がこの形で古くから言い伝えられたものではないことは、山下文男が著書『津波てんでんこ』で明言している。1990年11月に岩手県田老町で開催された「全国沿岸市町村津波サミット(第一回)」において山下文男は、防災の意識に関して、次のような家族のエピソードを語った。したがって、「津波てんでんこ」のように「津波」とセットされた形での使用の起源は定かではない。

 山下が9歳のころ(1933年)の昭和三陸津波では、山下の父や兄弟は山下を置き去りにして逃げた(山下は末っ子)。山下の母は、後年に父親の非情さを度々なじったが、その都度山下の父は「なに!てんでんこだ」と反論したという。山下の友人も多くは同じように置き去りにされており、集落内では「津波はまず各々が逃げることが大切」という行動規範は浸透していた。そうした点を踏まえ、山下の父の言葉は「こういうときは、みんなバラバラに逃げるものだ」と端的に述べたものと考えられる。
 1990年のサミットで語った上記エピソードがとくに注目され、講演に参加した有識者ら(広井脩、阿部勝征、津村建四朗、伊藤和明、渡部偉夫)とのやりとりのなかで「津波」と「てんでんこ」を合成した「津波てんでんこ」という言葉ができた。このような経緯を経て、防災の意識を高めるための標語として「津波てんでんこ」という言葉が1990年以降に使われるようになったのである。

 その後、北海道南西沖地震(1993年)や北海道十勝沖地震(2003年)などで津波の被害が出るたびに、「津波てんでんこの話が被災地にもっと普及していれば……」とマスメディアに標語が取り上げられる機会があり、しだいに昔からある言い伝えかのような誤解が広がっていくことになる。2003年9月27日の朝日新聞の社説には、「三陸沖やチリの地震で津波の被害に何度もあっている三陸地方には、津波てんでんこという言い伝えがある」とはっきり書かれ、古い言い伝えであるという印象を抱かせる内容になっている。

 意味
 「てんでんこ」は、「それぞれに」「めいめいに」を意味する名詞「てんでん」に、東北方言などで見られる縮小辞「こ」が付いた言葉。すなわち、「津波てんでんこ」「命てんでんこ」をそのまま共通語に置き換えると、それぞれ「津波はめいめいに」「命はそれぞれに」になる。

 「津波てんでんこ」「命てんでんこ」を防災教訓として解釈すると、それぞれ「津波が来たら、取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」「自分の命は自分で守れ」になる。

 なお、「自分自身は助かり他人を助けられなかったとしてもそれを非難しない」という不文律でもあると言い、災害後のサバイバーズ・ギルト対策や人間関係修復の意味を言外に含む。

 矢守克也は「津波てんでんこ」は次の4つの意味を多面的に織り込んだ重層的な用語であることをこの言葉の成立史、東日本大震災やその他の津波避難事例に関する社会調査のデータ、及び集合行動に関する研究成果をもとに明らかにした。

 自助原則の強調:「自分の命は自分で守る」:津波から助かるため、人のことは構わずに、てんでんばらばらに素早く逃げる。
 他者避難の促進:「我がためのみにあらず」:素早く逃げる人々が周囲に目撃されることで、逃げない人々に避難を促す。
 相互信頼の事前醸成:大切な他者と事前に「津波の時はてんでんこをしよう」と約束し、信頼しあう関係を深める。
 生存者の自責感の低減:「亡くなった人からのメッセージ」:大切な他者とてんでんこを約束しておけば、「約束しておいたから仕方がない」と罪悪感が減る。
 誤解と本来の意図
 この「津波てんでんこ」の標語は「てんでんこ」の語呂よい響きが手伝って他人にかまわず逃げろというややショッキングなメッセージ性が強調され、利己主義だと誤解を受けやすい。

 しかし元々この言葉を防災の標語として提唱した山下文男が2008年の著作で、この言葉に「自分の命は自分で守る」ことだけでなく、「自分たちの地域は自分たちで守る」という主張も込めていると述べており、緊急時に災害弱者(子ども・老人)を手助けする方法などは、地域であらかじめの話し合って決めておくよう提案している。つまり、標語の意図は「他人を置き去りにしてでも逃げよう」ということではなく、あらかじめ互いの行動をきちんと話し合っておくことで、離れ離れになった家族を探したり、とっさの判断に迷ったりして逃げ遅れるのを防ぐのが第一である。

 山下がこの言葉の理解を広めるために、津波被害の象徴的な例として挙げているものには北海道南西沖地震(1993年)の奥尻島での津波における近藤家母子の悲劇がある。この事例では、手をつないで避難していた母子3名が途中で祖母の家に立ち寄ったため、わずかな時間差で命を落とした。その痛ましい教訓として山下が強調するのは、祖母がすでに避難していたのにもかかわらず、それを知らずに尊い命を落とした点であり、母がわが子を連れ立って逃げた点ではない。「津波てんでんこ」は、災害時の行動スキームもあらかじめ考え互いに共有しておくことを唱えた防災思想であり、「ばらばらに自分だけでも逃げる」という行為は、その意志を共有することで互いを探して共倒れすることを防ぐための約束事である。これは、自分が助かれば他人はどうなっても良いとする利己主義とはまったく異なる。

 近年の実践例
 2011年の東日本大震災で、「釜石の奇跡」と呼ばれていた事例で「津波てんでんこ」を標語に防災訓練を受けていた釜石市内の小中学生らのうち、当日学校に登校していた生徒全員が生存し話題となった。小中学生らは地震の直後にこれまでの訓練通りにグラウンドに集合して点呼を取っていたら1人の教師に、「なにやってんだ!早く逃げろ!」のとの指示で避難を開始した。「津波が来るぞ、逃げるぞ!」と周囲に知らせながら、保育園児のベビーカーを押し、高齢者の手を引いて高台に向かって走り続け全員無事に避難することができた。釜石市教育委員会は「常識ではあり得ないことが起きた訳では無く、訓練や防災教育の成果であり、実践した児童生徒自身が奇跡の意味は違うと(当初から)感じていた」と説明しており、日頃の取り組みの積み重ねだった事を明かしている。また犠牲者の遺族などの心情に配慮し、奇跡という文言は使用せず、「釜石の出来事」と改められた。

 市内の防災教育を指導し、「釜石の出来事(奇跡)」の立役者となった片田敏孝教授の教えの内容は山下文男のまとめた「津波てんでんこ」の考え方と多くの共通点がある。具体的には、みずから状況判断して逃げること、災害弱者を助ける立場の者はあらかじめ明らかにしておくこと、家族はそれぞれ逃げると信じて行動することなどを指導しており、標語本来の意図とかなり近い考え方をもって防災教育を実践した。

 両者の考え方で相違点を挙げるとすれば、率先して逃げる行為の捉え方がある。山下は率先して逃げる者が避難を促すというポジティブな面を捉えてはいるが、一人でまず逃げるという行為は最善の災害対策としてやむをえない「哀しい教え」であると評価している。だが、片田教授もポジティブな捉え方を徹底している。片田教授は、現実にはほとんどの津波警報が杞憂に終わり、率先して逃げた者が「臆病者」というレッテルを受けやすいことを踏まえ、「それでも最初に誰かが逃げることで他者も続き、救われる命があるので、後ろ指さされる可能性を知りながら率先して逃げる者こそ本当に勇気がある者だ」という立場で教育している。釜石の奇跡においても最初に率先して逃げ出したサッカー部の生徒を大きく評価しており、「津波てんでんこ」を行動に移す際の心理的ハードルを取り除く工夫が、山下とは異なる。

 宮古市における実践例
 宮古市の赤沼ヨシ(95)は、津波てんでんこの実践について次のように語っている。この中で、赤沼は、「自分の身を守るだけ、本当に“てんでんこ”なのさ。」、「おばあさんがいたら、置いて逃げるのが当たり前。若い人たち、これからの人なんだもの。」と述べている。

 (要点のみを引用。)
 NA(ナレーション):赤沼さんは、昭和8年の三陸大津波で、家族がバラバラに高台に逃げて、全員助かった経験があります。

 赤沼:津波だったら、人も待っていられない。自分の身を守るだけ、本当に“てんでんこ”なのさ。

 NA:心配して様子を見に来てくれた家族には、指定された避難場所に先に逃げるよう促します。赤沼さんは、同じ避難場所に逃げるのを断念します。自分の足では、役場の前にある階段を素早く駆け上がるのは難しいと考えたからです。

 NA:階段を上らなくてもいい場所はないか。近くの山を目指すことにします。津波てんでんこ。逃げられる場所へ、それぞれが逃げる。昭和の大津波の時と同じ行動をとります。

 NA:周りにいた人が手を貸そうとしますが、赤沼さんは、みんなが巻き込まれていけないと、山に避難するように言って、その場にとどまります。

 赤沼:おばあさんがいたら、置いて逃げるのが当たり前。若い人たち、これからの人なんだもの。
 課題
 2011年に発生した東日本大震災をきっかけに再び「津波てんでんこ」という言葉がマスメディアに露出することになった。「釜石の奇跡」と呼ばれる岩手県釜石市の事例によって、「津波てんでんこ」は防災教育の標語として全国的な注目を集めた。しかし、当事者の三陸地域の人々においてすら本来の意味とは違った「利己主義的な発想」との誤解を受けやすい状況がある。

 2014年度のインターネットを通じた全国調査(767人が回答)では、約7割が「津波てんでんこ」という言葉を聞いたことがないと答えた。

*Wikipedia より

 「てんでんこ」は東日本大震災時に知った言葉。ご高齢の方からちゃんとした意義を報道で聞き感心した。誤認している方が多いのは非常に残念。啓蒙が必要なのだろう。

 

 「綱を張る」

 力士が横綱になる。また、横綱の地位にいる。

 

 「角突き合わせる」

 仲が悪くていつも衝突している。

 

*goo辞書 より

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<日本酒メーカー> 山形 長沼

2024-05-18 07:08:56 | 日本酒

 「長沼」

 家族で経営するすべてを手造りにこだわる小さい酒蔵さんです。食事との相性の良いお酒を醸し、その先のお客様の心に響く酒造りを目指しています。地元山形県長井市の手仕事に魅せられ物づくり(陶芸、漆工芸、獅子彫り工芸)を続ける職人達「手しごと衆・つくりと邑」がいます。「つくりと邑」の心と長沼家が代々受け継いできた「惣右衛門」の名前から1字取り、手造りの酒の心を託し、(惣邑・そうむら)と命名されました。

 夫婦二人三脚で酒造りを行っている小さな酒蔵。自分たちの飲みたいお酒!をテーマに丁寧に丹精込めて造っています!

 長沼合名会社 山形県長井市十日町1-1-39

*https://shop.kago-ya.net/products/category-products_maker-naganumagoumeigaisya.html より

 代表銘柄

惣邑純米吟醸 羽州誉

お米、「羽州誉」を使用したお酒です。香りは優しく穏やかで、口に含むと早摘みを思わせるようなドライな感覚と酸味、甘味が広がります。「あれっ!?」と・・・いつの間にか無くなるようなお酒です。

原料米 山形県酒造好適米
羽州誉 精米歩合 50% 使用酵母 山形酵母 度数 16%

小桜 辛口純米

このお酒のテーマは「冷よし・燗より・燗冷めよしの純米酒」です。キレのある味わいで、何杯でも安心して飲んでいただきたい…そんな思いの詰まった酒です。

精米歩合 70% 度数 15%

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<四国八十八箇所> 第48番札所 西林寺

2024-05-18 06:59:49 | 巡礼

 「西林寺」

 西林寺(さいりんじ)は、愛媛県松山市高井にある真言宗豊山派の寺院。清滝山(せいりゅうざん)、安養院(あんよういん)と号す。本尊は十一面観世音菩薩。四国八十八箇所第四十八番札所、伊予十三仏霊場第8番札所。

 本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
 ご詠歌:弥陀仏(みだぶつ)の世界を尋ね行きたくば 西の林の寺に詣(まい)れよ
 納経印:当寺本尊、奥の院杖ノ淵大師、伊予十三仏観世音菩薩
 概要
 伊予の関所寺(別の寺が関所寺という説もあり)で、境内は周りより一段低い場所にあり、邪悪な者が踏み入れると無間地獄に落ちると考えられている。

 寺伝によれば、現在地より北東約3 kmの小野播磨塚の辺りの「徳威の里」に、聖武天皇の勅願を受け、天平13年(741年)に行基が伊予国国司越智宿禰玉純と共に一宮別当として堂宇を建立、本尊の十一面観世音菩薩を刻んで開基したという。大同2年(807年)に空海(弘法大師)が巡錫の折、今の場所に寺を移されたと云われていて、日照りに苦しむ里人のため、奥の院になっている杖の渕の清水を湧出させたとも云われている。

 17世紀末に火災で焼失したが、元禄13年(1700年)松平定直らによって一部再建、その後宝永4年(1707年)には中興の祖の覚栄法印が村民の雨乞い祈願を成就して松山藩に帰依され本堂と鐘楼堂が再興、さらに文化10年(1813年)に大師堂、天保14年(1843年)に仁王門が再建された。

 境内
 山門(仁王門):入母屋造楼門

 本堂:『本尊の力が強すぎるため後ろ向きに安置されている』と云われ裏からお参りする人もいたが現在は否定されており、『本尊の力が強すぎるため後ろからお参りしてもご利益がある』と云われた説が転じて前述の説になったと伝えられている。本尊は秘仏で、前立仏と脇仏の不動明王立像・毘沙門天立像は拝顔できる。
 大師堂:現在は平成20年(2008年)に再建している。大師像と両脇の興教行大師・専誉僧正は拝顔できる。
 阿弥陀堂:本堂左にあった同堂と閻魔堂は取り壊され閻魔堂の跡に新しい阿弥陀堂が2018年新春開闢された。阿弥陀如来坐像像は修復され中央に鎮座し、閻魔像は向かって左に鎮座している。
 遍照殿
 孝行竹(親子竹):親竹と子竹が離れないで生えていて、家庭円満の象徴。
 弁財天池:小さい池ながら蓮の花が咲く。
 鐘楼
 福授地蔵菩薩:本坊の納経所の前にあり。一つだけ願いを叶えてくれるという。
 句碑:正岡子規「秋風や高井のていれぎ三津の鯉」が仁王門の向かって左前にあり、岡田包「炎天を来しお遍路尓塩乞磐連」が大師堂の右方にある。
 山門を入ると左に鐘楼、その奥に庫裏・納経所が右に手水場、茶堂がある。正面奥に本堂が建ち、その左に阿弥陀堂がある。本堂右に大師堂が、その右に閻魔堂がある。

 宿坊:なし
 駐車場:20台、大型2台。無料。

 寺宝
 四國徧禮絵図:宝暦13年(1763年)刊行、最古の四国遍路絵図

 西林寺  愛媛県松山市高井町1007

*Wikipedia より

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