第52回 2014年3月25日 「手仕事が生む自分だけの一足~兵庫 神戸の靴~」リサーチャー: 西田ひかる
番組内容
今回は兵庫県神戸市の「靴」。シューズメーカーがひしめくこの町で作られる靴は、ひとりひとりの足にぴったりフィット!靴はそもそも複雑な形をしているため、ほとんどの工程に専門の技術を持つ職人がいる。世界のバイヤーが注目するオーダーメイド紳士靴の職人は、顧客の足に合わせたきめ細やかな型作りから、仕上げに至るまで、心血を注ぐ。既製品にも、抜群の履き心地を生むさまざまな工夫が!西田ひかるが職人技を徹底リサーチ
*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201403251930001301000 より
詳細不明につき、勝手に調べてみました。
天下の「履きだおれ」とは?くつのまち神戸の靴メーカー事情
大阪の「食いだおれ」、京都の「着だおれ」と並んで神戸は「履きだおれ」で有名な街です。戦前、外国人居留地に住む外国人の靴の修理に始まり、誕生した「神戸靴」は高い技術と品質で評価された歴史を持ちます。
戦後は長田区を中心にケミカルシューズが誕生し、日本全国を相手に市場を拡大して一時期は国内シェアの8割を担っていました。今回の記事では神戸の靴メーカー事情と、主なメーカー10社を紹介します。
外国人居留地が生んだ神戸靴
横浜の開港より遅れること9年、慶応3年(1868年)の元旦に神戸は開港しました。日本人と外国人との紛争を避けるため、兵庫の市街地からおよそ3.5kmほど東に、神戸外国人居留地が建設されます。そこは、砂地と畑しかない神戸村でした。
当時、神戸村で鼻緒や草履を作っていた職人たちは、外国人居留地で暮らす外国人たちの靴の修理を手がけました。洋靴をお手本として新調にも挑戦する中で、「神戸靴」が生まれたのです。
その後、明治22年にアメリカに渡って製靴法を学んだ平野永太郎氏が、帰国後に元町に紳士靴店「神戸屋製靴」を開きました。それが評判を呼び、若くて情熱を持つ靴職人が大勢集まって製靴の技法を磨く修行の場となります。
当初は紳士靴が中心でしたが、やがてデザインが豊富な婦人靴も多く作られるようになり、職人の丹精込めたハンドメイドによる靴は、顧客のさまざまなリクエストに応えています。
そうやって神戸靴は高い技術と品質が認められて全国に広まりました。やがて「神戸の履きだおれ」として名を轟かせることになります。現在でもハンドメイドによる高級革靴として人気を集めています。
全国区の地場産業ケミカルシューズ
神戸の靴を語るためには、もうひとつ「ケミカルシューズ」なくして語れません。
神戸は日本でもっとも早くゴム工業が起こったといわれており、自転車のタイヤチューブから始まってホースやゴムベルトが作られ、やがて日本で最初にゴム靴が作られました。
戦争のためゴムが入手できなくなった際に、ゴムメーカーは工夫してさまざまな材料で靴を作りました。戦後の昭和27年頃、塩化ビニールなどの合成樹脂を材料としたケミカルシューズが誕生して好評を得ます。
小回りのきく中小メーカーが製造するケミカルシューズは、消費者の好みの変化や折々の流行をスピーディに商品に反映できる強みがありました。
そのうえ貿易を通して海外の情報がいち早く伝わり、京阪神という大きな経済圏の消費者ニーズがよくつかめる神戸の立地の強みも影響しました。
そして神戸発のケミカルシューズは、素材開発やデザイン性の向上、製靴技術の高度化により、全国に普及して神戸の靴メーカーはゴム不足の危機を見事に乗り越えました。
一時はケミカルシューズ国内シェアの80%を担ったほどです。現在でも婦人靴の多くは神戸発です。
こうした神戸靴やケミカルシューズが牽引した靴産業の発展の歴史から、神戸は「くつのまち」や「神戸の履きだおれ」と呼ばれています。
震災復興のシンボル「シューズプラザ」
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、神戸のあらゆる事業が大きな被害を受けましたが、とりわけ激震と火災に見舞われた長田の被害は甚大でした。
それでも長田の靴メーカーはケミカルシューズの展示会やコンテスト、メーカーと地域住民の交流のイベントなどを積極的に開催しました。
震災から5年後の2000年7月にはケミカルシューズ発祥の地、長田区に「シューズプラザ」が整備されました。
長田復興の象徴として、地域活性化を促進する発信機能も備えた「シューズプラザ」では、メーカーの直販ショップやオーダー靴店の開設、販路の拡大や人材育成を支援しています。
神戸の主な靴メーカー10社
株式会社アシックス
株式会社マーレマーレ・ジャパン
株式会社スターマース
株式会社ロンタム
株式会社あとりえ岡田
株式会社マミアン
株式会社MIKIRI
株式会社神戸洋靴
株式会社ミウ・コーポレーション
株式会社富士高圧
*https://biz-maps.com/media/?p=4398 より
神戸の靴職人「スピーゴラ」鈴木幸次
1976年、神戸市に生まれ、靴のパタンナーである父親の跡を継ぐべく、その技術習得を目的に22歳で渡欧。
しかし、フィレンツェでウゴリーニ氏と出会ったことで、パターン(型紙)作成から手縫い靴の製作に転向を決意し、同氏に師事。
そして3年間の修業を経て2001年4月に帰国し、靴の一大生産地である神戸市長田区で父親が構えていた工房を間借りし、自らのブランドを冠したビスポークの製作に取りかかる。
2011年にはプレタブランド「スピーゴラ カポラボーロ」を立ち上げ、10年ほど前、自らの工房兼店舗も開設。
さらに国内の人気ショップのみならず、この数年は香港のセレクトショップで年3,4回のオーダー会を開催したり、世界的なファッションブランドがロンドンで展開をスタートさせたシューズコレクションにてディレクターとして監修を行うなど、その活動範囲は世界中に及ぶ。

スピーゴラ 兵庫県神戸市長田区細田町5-2-16