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<パリ五輪2024> メダリスト 安楽宙斗

2024-09-10 07:27:03 | パリ五輪2024

 「安楽宙斗」 銀-スポーツクライミング・男子複合

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1892022-------------------- より

 安楽 宙斗(あんらく そらと、2006年〈平成18年〉11月14日 - )は、日本のスポーツクライマー。株式会社JSOL所属。シニアデビューした2023年にはIFSCクライミングワールドカップにおいてボルダーとリードの2種目で年間王者となったが、この2種目を同時に獲得した史上初のクライマーでもある。2023年10月に開催された2022年アジア競技大会では、ボルダー&リード部門で金メダルを獲得している。

*Wikipedia より

 「クライミングは孤独」「サッカーうらやましい」…16歳の日本王者・安楽宙斗が語る本音 2023/04/22 10:00 読売新聞オンライン

 「孤独」――。日本のスポーツクライミング界に 彗星すいせい のように現れた安楽 宙斗そらと (16)は、自分の競技をこう評する。進学校の優等生で、将来を嘱望されるアスリート。その 狭間はざま に揺れる日々を彼はどう過ごしているのか。その「リアル」を追った。(デジタル編集部 岡花拓也)

 東京五輪は「混乱」の中で落選した「天才少女」、ブランク経てクライミング楽しむゆとり取り戻す
あどけない素顔
 外はすっかり暗くなっていた。千葉県八千代市の閑静な住宅街の一角に、練習を終えた安楽はいた。初めての一日密着取材が終わろうとしているとき、少しだけやわらいだ表情で食卓についた。

 「今日は特別、豪華っすね」

 キッチンからは、安楽の好物の唐揚げが揚がる音が聞こえる。4人掛けテーブルに食器が並ぶと、食べ盛りの弟・晴希君(11)と父・武志さん(41)が腰かけた。「いただきます」。母・久美子さん(50)もエプロンで手を拭きながら、席についた。

 東京五輪から採用されたスポーツクライミングで、4月から高校2年生になった安楽はトップ選手の一人だ。高さ12メートル以上ある壁を、制限時間内にどの地点まで登れるか競う「リード」が得意種目で、2021、22年と世界ユース選手権を連覇。同年代では「最強」との呼び声が高い。

 9日には、高さ4メートルほどの壁を制限時間内にいくつ登れるか競う「ボルダリング」と、リードの合計点で争う複合ジャパンカップで昨年に続き頂点に立った。決勝のリードでは最大傾斜約140度の、垂直よりも険しい壁をただ一人登り切って100点満点を獲得。8月にスイスで開催される世界選手権の日本代表にも内定した。日本はクライミングの強豪国として知られており、成人の選手も含めたフルカテゴリーの大会で優勝した安楽には、パリ五輪での活躍に期待する声も上がる。

 「うん、うまい」

 唐揚げを頬張る安楽の横顔を母が見つめる。その日一日、彼が見せたアスリートとしての姿からは想像もつかないあどけなさに、思わず笑ってしまいそうになる。

 数学は学年トップクラス
 少し緊張した面持ちで玄関から出てきた
 この日の朝8時。安楽は制服姿で自宅の玄関から現れた。 流行はや りのマッシュ気味の短髪でクロスバイクにまたがる。

 「今日はよろしくお願いします」

 初めて顔を合わせる記者に、照れながらあいさつする。通っている県立八千代高校は難関大学合格者も多い進学校だ。プロとして食べていく覚悟の安楽は、ここを「近いから」という理由で選んだ。緊張をほぐそうと少し話を聞こうとしたものの、「もう行かなきゃ」といった様子で、さっそうとペダルをこいで消えていった。

 「あー安楽君! いたいた!」

 それから4時間後。取材が許可された昼休みの学校を訪れると、金内佳子教頭が安楽を呼び止めてくれた。背丈も同年代の男子の平均以下の安楽は、狭い廊下を移動してきた他の生徒と交じり、マスクをしていると見失ってしまう。金内教頭は「本当に目立たない子なんですよね」と声を潜めた。

 ここでも小さく会釈しただけの安楽は、静かにクラスの一番端で弁当をつつきだした。ハンバーグ、卵焼き、ふりかけご飯……。苦手だというブロッコリーは「ポン酢がかかっていたからなんとか食べられた」。弁当のサイズはやや小ぶりな2段で、アスリートの昼食としては物足りなく見える。

 さっさと弁当を食べてしまい、スマホを取り出して友達とゲームを始めたかと思うと、今度は数学の課題を手伝ってあげる。周りの女子が「安楽君の取材?」「やばくない?」と物珍しそうにしていると、バツが悪そうに友達の陰に隠れた。

 スマホゲームを楽しむ姿は、どこにでもいる高校生に見えた
 八千代高校は柔道部やサッカー部などが県内屈指の強豪として知られる。体育科には各競技の猛者たちが集まる一方、安楽は普通科に通っていて、部活動には入っていない。「帰宅部という扱いです」と恥ずかしそうに笑う。

 「普段から落ち着いているけど、中身は負けず嫌い。スポーツはもちろん、勉強もそうです。特に数学がずば抜けていて、学年トップクラスなんですよ」

 数学の課題を教わっていた中学からの同級生・中嶋 琉希人るきと さん(16)は、安楽をこう語る。同じく中学から一緒だった 粟あわ 莉子さん(16)は「授業では積極的に手を挙げて発言するようなタイプではないです。でも、テストの成績はいつも上位。絶対、陰で(勉強を)やっていますよ」と教えてくれた。

 「順位がつくから勉強は一生懸命やります」。定期テストでは、教科ごとや合計点で自分の学年順位が分かる。友達の読み通り、負けず嫌いな性格が参考書を開かせている。

 驚いた腕の長さ
 学校から帰宅して弟の晴希君と練習に向かう。クライミングのジムに着き、安楽は「このスポーツは運動神経が良くなくても、僕みたいに向いている人がいます」「保育園でも木に登っていました。なぜだか分かりませんが」などと、学校での姿がうそのようにおしゃべりになった。

 Tシャツ姿になると、その背中がアスリートとしてのすごみを語る。身長は167センチだが、無駄なく鍛えられた筋肉、広い肩幅、そして、すらりと伸びた長い腕が特徴的だ。両腕を水平に広げたときの、片方の指先から反対側の指先までの長さ「ウィングスパン」は182センチもあるという。一般的には身長と同程度とされる。

 「小さい頃から練習してきたので腕が伸びたんだと思います」

 競技を始めたのは小学2年の夏休み。父の武志さんがダイエットとしてクライミングを始め、ついていったのがきっかけだった。「すぐにハマりました」とジムに通い詰めていたら、みるみる頭角を現し、年代別の全国大会では表彰台の常連になった。積み重ねた練習が、その体形をも変えてしまったのかもしれない。

 呼吸も乱さず壁を登る。握力はそれほど必要なく、「指を引っかけるだけ」らしい
 練習が始まると、安楽は壁に設置された突起(ホールド)に手を伸ばして音もなく登る。その姿は「クモ」のようだった。国内の大会では、170センチ前後の身長に合わせてホールドがちりばめられていることが多く、サイズが大きい選手は窮屈になりがちだという。「大きすぎず小さすぎず、ちょうどいい」。安楽はさらに、長い腕を伸ばせば少し離れたホールドにも手が届き、様々なシチュエーションに対応しやすい。

 腕を伸ばしたら、大きく広げた指先でホールドを捉え、壁を“ 這は う”。わずかな呼吸のほかには音が聞こえない。冷静に次のホールドを見極め、体の動きを一つ一つ確認するように移動していく。ひっくり返りそうな150度の傾斜さえ、壁に吸い付いて離れず、まるで重力を感じていないかのように登る。それを見つめる武志さんも「なんであんなに簡単に見えるんですかね……」と首をかしげる。約10分間、黙々と登った後、休憩をしばらく取り、また登る。これを延々と繰り返す。

 支える家族は
 練習を見守る久美子さんは、記者から質問を受ける安楽を見つめ、スマホに何度もその様子を収めた。「細かいサポートはやっていない」と言うが、疲労回復のためにビタミンB1が豊富な豚肉をメニューに加えたり、たんぱく源の鶏ささみも食卓になるべく並べたり、苦手な野菜をどうやったら食べられるか、頭を悩ませたりする。

 金銭的なサポートも欠かせない。武志さんは「大会の遠征費は、かなりかかる。大会エントリーで1万円くらい。往復の交通費、宿泊費。千葉県から支援金も出るんですが……」「昨年1年間で言えば、ざっくり80万円は家計から支出しました」と明かす。

 自宅のリビングには、これまでに安楽が獲得したトロフィーや賞状が飾られている。父・武志さんが各大会の思い出を語ってくれた
 世界がウィズコロナにかじを切ったなか、国際大会は増える見込みだ。「今年からは、本当にやばい。海外に行くだけで軽く30万円かかりますから」

 もちろん、サポートは金銭面以外でも必要だ。鳥取での大会前夜、飛行機のトラブルで現地入りできなくなったときには、武志さんが羽田空港から会場まで夜通し運転した。それでも、苦労エピソードを話す父は笑顔だ。「大変には感じていません。一ファンとして楽しんでいます」とうれしそうに話す。両親とも、夢を見せてくれる息子に感謝しているようだ。

 いつも同じ壁と
 もう9年近く壁を登り続けている。何度も落ちてはよじ登り、より速く、より着実に移動する技術だけを磨き続けている。コーチが指導に来てくれる日もあるが、多くの日は一人で練習する。拠点にしているこのジムには週2日ほど通い、見慣れた壁とひたすら向き合う。「孤独」という言葉も事実だろう。

 「大会で納得いかなかったところを思い出して、『今日はここを意識してやってみよう』と課題を決めながら登っています。クライミングって、基本的には一人でやるものなんですよ。練習も自分なりに考えて、大会が終わるたびに見直す。みんな同じようなメニューをやっているはずですが、そのなかでどれだけ工夫できるか。誰かが逐一アドバイスをくれるわけではないので、練習のなかで成長を感じられる場面は少ないですね。いつもより腕が疲れていないな、とか。それくらいしかないです」

 同世代の仲間と一緒に練習することがあっても、大会でライバルたちと顔を合わせたとしても、壁を登り始めたら、いつも一人きりだ。柔道やレスリングのように、相手の息遣いは聞こえてこない。競泳や陸上の競走競技にあるような、隣の選手との駆け引きもない。観客席は目に入らず、会場に駆けつけた家族の声援も背中で聞くだけだ。

 休憩中、壁をじっと見つめていた。何を考えているのか聞くと「ボーッとしているだけです」
 世界ユースを連覇し、クライミング界でその名は知られてきた。フラッシュを浴び、メディアから取材を受けることも少なくない。しかし、大会が終われば静かな地元の街に帰り、男子高校生として他の生徒たちと変わりない学校生活を送る。

 「人気の面でこの競技が発展途上というのは理解しています。でも、サッカーのワールドカップでみんなが盛り上がっていたときは、今まで興味がなかった人まで見ていたじゃないですか。すごいなって思いました」。学校の友達とクライミングの話題になることはほとんどない。周りと同じように勉強に励んで、定期テストの直前には普段より気合を入れる。流行の髪形をして、イマドキの自転車に乗る。学業は優秀だが、制服の詰め襟は上まで締めて、お弁当はクラスの隅で食べる「目立たない」タイプだ。クラスのみんなは、安楽がどれだけすごい選手なのかを知らない。練習の合間、ぽつりと漏らす。

 「たとえば、体育でサッカーの授業がありますよね。当然、サッカー部が活躍しますから。ああいうのって、うらやましいですよ」。世界を舞台に戦うアスリートの顔と、男子高校生の顔が交錯する。

 成長に貪欲
 平日は、設備がさらに充実している東京のジムにも週1回通う。残りの平日は壁を登らず、筋力トレーニングに取り組み、週末は県外の施設に遠征したり、大会に参加したりして、「クライミングに関わらない日は作らない」習慣ができている。

 学校では見せなかった、りりしい表情
 筋力トレーニングを本格的に始めたのは、「ジュニア」を卒業した昨年からだ。今は当然、ほかの選手たちに比べ線が細く、「筋力で見ればみんな、僕の何倍もある」。これまでは技術で補ってきて、十分に戦えることも分かった。必要以上に鍛えれば体が重くなるリスクもある。それでも、安楽は貪欲に成長を求める。「壁を登っていて『だるい』とか『楽しくない』とか感じることはないですが、筋トレは……。つらいですからね」と苦笑いした。

 「シニア」の世界に足を踏み入れ、瞬く間に日本一の座を勝ち取った安楽。テレビの向こうにいた憧れの選手たちはライバルになった。周囲の期待は大きいが、重圧とは感じていない。「『まだまだ伸びる』と言われて、それが自信になっています。伸びしろを残して、ここまで来られたという実感もあります」と頼もしい。

 さすがの安楽でも、「大会の緊張はやばい。逃げたくなる」という
 しかし、来年のパリ五輪に話が及ぶと慎重になった。「オリンピックだ、パリだとみんな言ってくれるんですが、まずは一つずつ大会に勝って、国際大会にちゃんと出ること。そこに行かないと、そもそも選考にも残れませんから」。きっと胸に秘めているであろう熱い思いは口に出さなかった。それが、目の前の壁だけを見て、一手ずつ真剣勝負をしてきた、「安楽流」かもしれない。

 五輪を、いつか語ってくれる日が来るのか。今より少し大人になった姿を想像しつつ、楽しみに待ちたい。

*https://www.yomiuri.co.jp/sports/actionsports/20230411-OYT1T50145/3/ より

 

 スポーツクライミング男子 17歳の安楽宙斗 銀メダル パリ五輪 2024年8月9日 23時10分 NHK NEWS 

 パリオリンピック、スポーツクライミングの男子ボルダー&リードで17歳の安楽宙斗選手が銀メダルを獲得しました。前回の東京大会から採用されたスポーツクライミングで、日本の男子選手がメダルを獲得したのは初めてです。

 準決勝(8月5日)
 ボルダー&リードは「課題」と呼ばれる4つのコースを登った数で競うボルダーラウンドと、1回の挑戦で登った高さを競うリードラウンドの合計点で争われます。

 昨シーズン、ワールドカップの2種目で年間総合優勝を果たした17歳の安楽選手は準決勝1位で9日の決勝に進み、前半のボルダーラウンドでは2つの課題を完登して69.3ポイントを出しトップに立ちました。

 後半のリードラウンドでは先に登った選手たちが次々と完登に近い90ポイント以上を出す中、最後に登場した安楽選手は長い腕のリーチを生かして高度を上げていきましたが、終盤で粘り切ることができずに落下し、76.1ポイントにとどまりました。

 この結果、合計145.4ポイントとなってトップには届かず、安楽選手は初めて出場したオリンピックで銀メダルを獲得しました。東京大会から採用されたスポーツクライミングで日本の男子選手がメダルを獲得したのは、安楽選手が初めてです。

 金メダルは155.2ポイントを出したイギリスのトビー・ロバーツ選手、銅メダルは、オーストリアのヤコブ・シューベルト選手でした。

 “リードラウンドは完敗 すごく悔しい”
 安楽宙斗選手
 「リードラウンドは完敗だった。表彰台に乗ることは最低限の目標だったので、3位以内に入れたのはうれしいが、金メダルをねらって集中して一生懸命やってきたのですごく悔しい」

 父親「“ありがとう”と伝えたい」
 安楽選手の銀メダルの登りを会場で見守った父親の武志さんは「本人は悔しいところもあると思うが、いい登りが見られた。リードは僕も心臓がはち切れるんじゃないかというくらいドキドキして見ていた。自分なりに意識を持って自主的にトレーニングに励んでいたので、もう何も言うことはない。僕もいろいろな経験をさせてもらったので『ありがとう』ということばを伝えたいと思う」とねぎらいました。

 そして「本人が目指している“最強”にもちろんなってほしいし、こんなに歓声をもらえている宙斗を初めて見たので、これから世界中の人たちをどんどん盛り上げていく選手になってほしいと思う」と、さらなる成長に期待を寄せていました。

 指導者「しっかり出し切れたのではないか」
 また安楽選手を小学5年生のころから指導してきた田中星司さんは「もっと行けたかなというところはあるが、今あるものはしっかり出しきれたのではないか。試合後は複雑な心境なのかと思ったが、すっきりした顔をしていたので気持ちは切り替わったのかなと思った」と話していました。

 そして銀メダル獲得という結果については「正直言えば悔しいと思う。ただ僕自身も周りの人も全力を出して頑張ってくれればいいと思っていた。『お疲れさま、次頑張ろう』と声をかけたい。4年後はまだ長いので、一つ一つ、目の前の目標を達成していってほしい」と話していました。

 “世界最強”を目指して 
 17歳の高校生、安楽選手は「世界最強を目指す」という強い信念で急成長を続けてきました。

 国内大会やユースの国際大会で実績を上げ、去年初めて参戦したワールドカップで安楽選手はいきなりボルダーとリードの2種目で年間総合優勝を果たしました。2種目で同じ年に年間総合優勝を果たすのは史上初めての快挙で、安楽選手は一気に「世界王者」に登り詰めました。

 “脱力系クライマー”
 安楽選手のクライミングの特長は、身長よりも10センチ以上長い腕のリーチを生かした軽やかな登りです。むだな力を使わずテンポよく登っていく姿から「脱力系クライマー」と呼ばれ、特に登った高さを競うリードを得意としています。

 練習メニューも自分で考えて
 さらに強さのもとになっているのが、日々1人で行っているトレーニングです。ほとんどの練習で1人で壁と向き合い、メニューも自分自身で考えています。

 例えば「長物」という長い時間、壁を登り続けて持久力をつける練習では、本数やコースの難度をみずから設定し、自分自身で体力の限界ぎりぎりまで追い込んできました。

 安楽宙斗選手
 「どこのジムに行くか、いつ登るかっていうことを決めることからやってきたので、いろいろ工夫してきたのが今の結果につながっている。どんな練習がいちばん合うかどうかは、自分がやってみればいちばん分かる。自分の軸をまず大事にして、ほかの人の意見も聞きつつ決めている」

 負けず嫌いな性格が原動力
 ここ数年は父親からのアドバイスもあり、課題だったパワーの向上を目指して筋力トレーニングにも力を入れ始めました。

 苦しい練習を自主的に続けられる理由について安楽選手は「勝ちたい気持ちを常に意識して、さぼらず、やるべき練習を単純に素直に取り組んでいく。それが自分の成長を後押ししてくれている」と、負けず嫌いな性格が原動力になっていると教えてくれました。

 「オリンピックではこれまでで1番強い自分で挑みたい。世界最強になれるように頑張りたい」と、常に上を目指す安楽選手のクライマーとしてのゴールはまだまだ先に見据えています。

 地元でパブリックビューイング
 安楽選手の出身地、千葉県八千代市の八千代市市民会館ではパブリックビューイングが行われ、地元の人たち400人余りが集まりました。

 集まった人たちは「ガンバレ!安楽宙斗」と書かれた真っ赤なバルーンなどを持って応援し、ボルダーラウンドで課題を完登するたびに会場が大きく沸いていました。

 後半のリードラウンドでは、終盤で落下した際に会場から「あー」という声が漏れましたが、銀メダル獲得が決まった瞬間には手に持ったバルーンをたたいて祝っていました。

 祖父 安楽安則さん
 「うれしいのひと言しかないです。昔から負けず嫌いで幼いころは体が小さかったので、悔し涙を流しながらよく練習していたと思います。メダルを取れてよかったと思います。お疲れ様。ご苦労様。そんな気持ちです」

 同級生 中嶋琉希人さん
 「金メダルを目指しているという話を聞いていたので悔しい気持ちもありますが、銀メダルもすごいことなので、とりあえず今メールをしておめでとうと伝えました。このオリンピックに向けてずっと頑張っていたので、帰ってきたら息抜きに一緒に夏祭りに行きたいです。宙斗、銀メダルおめでとう!」

*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240809/k10014543841000.html より

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<パリ五輪2024> メダリスト 開心那

2024-09-09 07:27:19 | パリ五輪2024

 「開心那」 銀-スケートボード・女子パーク

南国好きの母が「ココナツ」から名付けた。

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1902075-------------------- より

 開 心那(ひらき ここな、2008年8月26日 - )は、日本のスケートボーダー。

 WHYDAH GROUP所属。

*Wikipedia より

 

 東京五輪12歳で銀の開心那 身長22cm伸びスーパーモデル級スタイルに 急成長にフジアナも驚く 6/13(木) 19:47配信 デイリースポーツ

 フジテレビ・今湊敬樹アナウンサーが13日までにSNSを更新。東京五輪スケートボード女子パークで銀メダルを獲得した開心那(ひらき・ここな)(15)の成長ぶりに驚いた。

 開の取材で北海道に行ってきたという今湊アナ。「東京五輪では12歳で銀メダルを獲得、去年の世界選手権で優勝し、現在世界ランク1位! 得意技は前輪の金具部分で滑る大技、ノーズグラインドです!パリ五輪の頂点を見据えて、6月まで続く大事な五輪予選への意気込みを聞いて来ました!」と2ショットを投稿。「#15歳#金メダル候補 #東京五輪から身長22cmアップし168cm」と12歳だった東京五輪時から22センチも身長が伸び、168センチになったことも伝えた。

 開は14歳だった22年末、ブルガリのイベントに深いスリットの入った黄色いドレスで登場し、スーパーモデル顔負けのスタイルと雰囲気で会場を魅了。SNSでも急成長した姿を披露している。

*https://news.yahoo.co.jp/articles/981ff2dc98f54cf79d9885e1ec49eb51e2cb662c より

 

 開心那 追い求めた“唯一無二”の滑りで2つ目の銀【解説】 2024年8月7日 13時12分 NHK NEWS 

 「東京オリンピックは奇跡の銀メダル。今回は全部を出し切っての銀メダルだった」。

 開心那選手が、日本選手史上最年少の12歳で銀メダルをつかんでから3年。15歳になった開選手は、誰にもまねできない滑りで2つ目のオリンピックの銀メダルを手にしました。

 (スポーツニュース部 記者 松山翔平)

 “誰にもまねできない”独創性で 2回目の五輪へ 
 “唯一無二”ということばが好きだという開選手の滑りは、コースの縁で繰り出す玄人好みのテクニックと、ほかの選手が使わない設置物を使ったトリックで、そのことばどおり、誰とも似ていない独創性を持っています。

 東京大会で銀メダルを獲得したあとも、そのスタイルをひたすら磨き、去年の世界選手権を制するなど確かな実力を身につけて臨んだ2回目のオリンピックでした。

 予選では「すごい緊張」もトップ通過 
 予選の滑り
 6日の予選では大観衆を前に、「東京のときとはまた違う雰囲気ですごい緊張した」とプレッシャーを感じながらのスタートとなりました。

 それでもこれまで積み上げてきた自分の滑りを信じて臨んだ1回目、ボードの先端の車軸部分を滑らせる代名詞の「ノーズグラインド」などを確実に決めて、すべての技を決める「フルメイク」に成功します。

 これで「安心した」と緊張感から開放され、2回目にはさらに得点を伸ばして予選を全体トップで通過しました。

 決勝は“すべて出し切る”と覚悟決め 
 決勝 1回目のラン
 決勝では「最初から攻める」と臨んだ1回目のラン、開選手は多彩な技を繰り出し、最後はコース脇にある高さのある縁石にボードの裏側を当てるオリジナリティーあふれる技も見せました。

 最初のランで91.98の高得点をマークしトップに立ったのです。

 アリサ・トルー選手 3回目のラン
 しかし、このあとライバルたちが立ちはだかりました。

 最後の3回目のランではオーストラリアの14歳、アリサ・トルー選手が2種類の「540」を決める(ファイブ・フォーティー)会心のランを見せ、開選手は逆転を許します。

 さらに高さのあるエアと多彩なトリックを見せた東京大会の銅メダリストでイギリスのスカイ・ブラウン選手にもかわされ、開選手は3位まで順位を落としました。

 最後のラン
 開選手は最後のランで「自分の出したいと思う技をすべて出し切る」と覚悟を決めていました。

 冒頭にこだわって磨いてきた長い距離をかける「ノーズグラインド」を決めるとシンプルでスタイリッシュに見せるエア、さらに、空中でボードを1回転させてつかむ大技「キックフリップインディー」を完璧に決め、“唯一無二”の滑りで締めくくりました。

 得点は92.63の高得点で、順位を1つ上げ、2大会連続の銀メダルを手にしました。

 開選手は「東京大会のときは本当に“奇跡”、驚きでしかなかったが、今回はメダルを取りたいとねらって取った銀メダル。すべてを出しきれたので悔いの残らない大会だった」とすがすがしい表情で語りました。

 スケートボード女子パーク 開心那が銀 2大会連続のメダル 五輪
 順位を超えて “いいラン”追い求め 
 アリサ・トルー選手と開選手
 勝ち負けだけでなく、みずから表現したい滑りを貫き、選手それぞれがチャレンジをたたえ合うことがスケートボードという競技の魅力の一つで、前回の東京大会でも大きな印象を残しました。

 今大会でも決勝ではミスが続いた選手に別の選手が駆け寄ったり、自分の得点を上回った選手と抱き合ったりする姿があちこちで見られ、選手たちの笑顔が印象的でした。

 草木ひなの選手とスカイ・ブラウン選手
 決勝の3回のランで難しい技に挑んだもののフルメイクすることができず8位だった草木ひなの選手は「スケートボードは男女も年齢も関係なく、楽しいスポーツなので、本当に知ってもらいたい。これからも頑張れそう」と笑顔で振り返りました。

 開選手も「大会中に仲間が応援しあうのは緊張がほぐれるし、いいランができる。東京大会と同じように、スケートボード仲間に支えられていると感じた」とライバルたちに感謝していました。

 順位を超えて選手たちがそれぞれの滑りを追い求めるスケートボード。

 パリオリンピックの舞台に立った選手たちはそれぞれが“唯一無二”の滑りで会場を沸かせました。

*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240807/k10014539921000.html より

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<パリ五輪2024> メダリスト 赤間凜音

2024-09-08 07:00:22 | パリ五輪2024

 「赤間凜音」 銀-スケートボード・女子ストート

 赤間 凛音(あかま りず、2009年1月8日 - )は、日本の女子スケートボーダー。2024年開催のパリオリンピック スケートボード女子ストリートの銀メダリスト。

*Wikipedia より

 東北高校 赤間凛音さん 銀メダル in パリ 震えるほどの感動 本当におめでとう!! トピックス 24.07.29 東北高校HP

 東北高校1年生の赤間凛音 さん

  やってくれました 銀メダル🥈 in パリオリンピック!!7月28日(日本時間7月29日)

 予選と決勝をあわせて パリの炎天のもとに闘いを繰り広げた 女子スケートボード・ストリート

 決勝に出場した8名中 日本勢が3名という闘いです 日本の競技レベルが高いことが分かります

 そして 予選から決勝まで約6時間を超す激闘 技術だけでなく体力と気力が試される競技です

 後にインタビューで凛音さんは

 「日本の2人は大切な存在 本当に助けられた」と語っています

 一時はトップに立った凛音さん 最後まで「攻める滑り」を続けました

 終盤には涙を浮かべる瞬間もあった凛音さん

 それはトップにならないことではなく 自らの限界に挑み「攻め」の滑りに挑戦し続けた証しだったのです その姿にわたしたちは震えました!!

 そして堂々の「銀メダル🥈」!!

 仙台の 宮城の 日本の凛音さんが15歳で迎えた初のオリンピックで 悲願のオリンピックメダリストになりました

 中学時代に全治6か月の大けがを負い 選手生命も危ぶまれる時期もあった凛音さん

 しかし懸命なリハビリと練習を重ね 脅威の回復を果たし 第一線への復帰を果たしたのです

 そこには言葉にできないほどの苦しさと努力があったことでしょう

 凛音さんの思い・願い・闘志そして挑戦 そのすべてがドラマでした

 【スケボーを持っていなかったら普通の高校生 でも闘志みなぎるアスリートです】

 「年々レベルが上がっている激しい競技です。次回も(オリンピックの場に)立てるか分からない。・・・でも次は必ず金メダルを獲りたい。」

 と力強く語る凛音さんのこころは すでに次回のオリンピックに向かっています

 おめでとう そして震えるほどの感動をありがとう そしてお疲れ様!!

 シルバーメダルをその胸に輝かせて帰ってきてください 凛音さんは東北高生の誇りです!!

 【オリンピックに出場する前の凛音さんの姿です】

 【銀メダリストになりました】

 【感動をありがとう そしてお疲れ様 早く東北高校に戻ってきてその笑顔を見せてくださいね!!】

*https://www.tohoku.ed.jp/2024/07/29/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E9%AB%98%E6%A0%A1-%E8%B5%A4%E9%96%93%E5%87%9B%E9%9F%B3%E3%81%95%E3%82%93-%E9%8A%80%E3%83%A1%E3%83%80%E3%83%AB-in-%E3%83%91%E3%83%AA-%E9%9C%87%E3%81%88%E3%82%8B%E3%81%BB%E3%81%A9/ より

 「本当に終わったなと思った」 スケボー赤間凛音、全治5~6か月の大けが乗り越え初五輪…昨夏骨盤と鎖骨骨折 2024年6月24日 5時50分スポーツ報知

 ◆パリ五輪予選シリーズ(OQS)最終戦(23日、ハンガリー・ブダペスト)

 22日のスケートボード女子ストリート準決勝では赤間凛音(りず、15)が決勝に進み、他の日本勢とのポイント差で初の五輪出場を確実にした。ランの1回目を失敗したが「予選より緊張しなかった」と2回目に挽回。一発技のベストトリックは最初から2回連続で成功させた。

 昨年8月の国際大会の練習中、骨盤と鎖骨を折る大けがに見舞われた。全治5~6か月との診断に「本当に終わったなと思った」。それでも周囲の励ましを受け、1週間後には可能な範囲でトレーニングを再開。板に乗れない間は上半身や腹筋を鍛え、「けがする前より、逆に良くなっている」。絶望の淵から懸命のリハビリで見事に復活した高校1年生。「結果がどうであってもスケボー自体が楽しい」と言える強じんなメンタルを武器に、金メダル候補として、パリに乗り込む。

 ◆赤間 凛音(あかま・りず)2009年1月8日、仙台市生まれ。15歳。小学2年生から競技を始めストリートで活躍。日本選手権は19年に準優勝し、21年優勝。世界選手権は22年ローマ大会4位、23年ドバイ大会4位。パリ五輪予選は23年6月の第3戦と今年3月の第6戦で優勝。164センチ。

*https://hochi.news/articles/20240623-OHT1T51301.html?page=1 より

 

 この子も名前表記が「RIZU」と。世界に通用するキラキラネーム(笑

 

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<パリ五輪2024> メダリスト 岡田奎樹/吉岡美帆

2024-09-07 06:44:30 | パリ五輪2024

 「岡田奎樹/吉岡美帆」 銀-セーリング・混合470級

 「岡田奎樹」

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1941435-------------------- より

 岡田 奎樹(おかだ けいじゅ、1995年12月2日 - )は、福岡県北九州市出身の男性セーリング選手。2020年東京オリンピックセーリング男子470級日本代表。

 トヨタ自動車東日本所属。

 「吉岡美帆」

 吉岡 美帆(よしおか みほ、1990年8月27日 - )は、広島県広島市出身の女子セーリング選手(クルー)。立命館大学経済学部卒業。ベネッセセーリングチーム所属。身長は177cm。

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1941438-------------------- より

 

 セーリング混合470級 岡田奎樹・吉岡美帆ペアが銀メダル 五輪 2024年8月8日 21時11分  NHK NEWS

 パリオリンピック、セーリングの混合470級で岡田奎樹選手と吉岡美帆選手のペアが銀メダルを獲得しました。

 オリンピックのセーリングで日本勢がメダルを獲得するのは、男子470級で関一人選手と轟賢二郎選手のペアが銅メダルを獲得した2004年のアテネ大会以来20年ぶりです。

 目次
 岡田・吉岡ペアが銀 セーリング日本勢のメダルは20年ぶり

 岡田奎樹「メダル獲得は自分たちにとっては大きいこと」

 岡田・吉岡ペアが銀 セーリング日本勢のメダルは20年ぶり
 セーリングの470級は、2人乗りのヨットで海面に設けられた「マーク」と呼ばれるブイを決められた順序で回りながら順位を競う種目で、パリオリンピックから男女混合種目として実施されています。

 混合470級は、各ペアがそれぞれのレースで与えられる得点の合計で上位の10チームがメダルレースに進み、メダルレースの成績を含めて順位が決まります。

 去年の世界選手権で優勝した岡田選手と吉岡選手のペアは3位につけて、8日のメダルレースに臨みました。メダルレースは与えられる得点がこれまでと比べて2倍になる重要なレースで、日本のペアは序盤から2番目の好位置につけると終盤までペースを維持し、このレースは3位となりました。

 この結果、合計得点が41となって最終順位は2位となり銀メダルを獲得しました。オリンピックのセーリングで日本勢がメダルを獲得するのは、男子470級で関一人選手と轟賢二郎選手のペアが銅メダルを獲得した2004年のアテネ大会以来20年ぶりです。

 ▽金メダルはオーストリアのラーラ・バドラウ選手とルーカス・メール選手のペア
 ▽銅メダルはスウェーデンのアントン・ダールベリ選手とロビーサ・カールソン選手のペアでした。

 岡田奎樹「メダル獲得は自分たちにとっては大きいこと」 
 スキッパーの岡田奎樹選手は「2004年のアテネ大会でコーチの関一人さんのペアが銅メダルを獲得して以来のメダルを獲得できた。自分たちにとっては大きいことだと思う」と喜びを話していました。

 注目
 「言わなくても分かる」コミュニケーション 快挙引き寄せる 
 セーリングで混合470級の岡田奎樹選手と吉岡美帆選手のペアは前回の東京オリンピックのあとペアを組むことを決めました。

 パリ大会から混合種目となった470級でメダル獲得を目指すため、吉岡選手が「次にオリンピックに出るならメダルを取りたい。そうなると組むのは岡田選手しかない」と連絡したということです。

 その岡田選手も「金メダルをねらうなら吉岡選手」と考えており、話し合いをした神奈川県鎌倉市のカフェですぐにペア結成が決まりました。

 風を読むことを得意とするスキッパーの岡田選手と、身体能力の高さで帆を操るクルーの吉岡選手。日本男女のトップ選手どうしが手を組むと、すぐに国際大会で実績を重ねていきました。

 特に去年は、4月に行われた伝統の国際大会「プリンセス・ソフィア杯」で優勝を果たすと、8月の世界選手権では金メダルを獲得し「コンスタントに勝ち続けられるし、目標とする順位をねらいどおりに取ることができる」と岡田選手が話すとおりに、自信を深めていきました。

 2人の強さの秘密はコミュニケーションにあります。

 セーリングでは、十数メートル先の風のコンディションを読んで、お互いが息を合わせてヨットの操縦やコース取りを行わなければなりません。そこで「コミュニケーションの量を減らして、意思を伝える」ことを磨き続けてきたといいます。

 岡田選手は「風の予測を一つ一つ説明していたら、レース中に集団に埋もれて不利な状況になり、取りたいコースを取れなくなってくる。時間がもったいないので、可能なかぎり短いことばでお互いの意思表示をできるようにしてきた」と説明します。

 最終的には、『風が来るよ』とだけ言ってどんな風に操縦すればいいかお互いに理解する、『あれ』や『それ』ということばだけで状況を理解できる段階まで突き詰めてきたということです。

 ペアを組んでから2年余り。

 「言わなくても分かる」まで研ぎ澄ませてきたコミュニケーションとお互いへの信頼関係が快挙を引き寄せました。

*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240808/k10014542871000.html より

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<パリ五輪2024> メダリスト 佐藤大宗

2024-09-06 05:52:36 | パリ五輪2024

 「佐藤大宗」 銀-近代五種

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1887939-------------------- より

 佐藤 大宗(さとう たいしゅう、1993年10月20日 - )は、日本の近代五種の選手。2024年パリオリンピックの近代五種競技の銀メダリスト。自衛隊体育学校所属の自衛官(2024年8月現在の階級は2等海曹)。

*Wikipedia より

 認知症の父親に届けたい近代五種初のメダル、一度は引退決意した佐藤大宗に「死ぬ気でやってみろ」「まだ本気でやってないだろ」 2024/07/26 14:00

 日本代表約400人が出場するパリ五輪で、佐藤 大宗たいしゅう 選手(30)は近代五種初のメダル獲得を目指す。厳しかった父の口癖は「死ぬ気でやれ」。その言葉に奮い立ち、諦めかけた夢の舞台へとたどり着いた。認知症で入院する父に最高の結果を届ける。(蛭川裕太)

 礼儀を守らず、半袖短パンで、雪が降る青森の家の外に出されたこともある。トラック運転手だった父の勇蔵さん(70)は怖かった。「始めたことは中途半端にやるな。やるなら死ぬ気でやれ」と言われ続けた。

 習っていた競泳と少林寺拳法の練習や試合が重なっても、休むことは許されない。大会で優勝すると、「よくやった」と褒めてくれた。「いつかおやじに『お前すごいな』と言わせる実績を残したい」。その思いが原動力だった。

 高校卒業後、同じく海上自衛隊に入った兄の光蔵さん(32)の紹介で、自衛隊体育学校で近代五種を始めた。「オリンピックでメダルを取れば、人生が変わる」。そう夢を描いたが、東京五輪は落選し、代表の強化選手からも外れた。その日、電話をかけて父に告げた。

 「引退しようと思う」。返ってきたのは「体も心もボロボロになるまで、死ぬ気でやってみろ。まだ本気でやってないだろ」という言葉だった。苦境から逃げ出そうとする自分の心の内を見透かされた気がした。

 ミスをするといら立ち、立て直せない悪癖を直そうと、メンタルトレーニングを取り入れた。真夏にマスクを着け、意識がもうろうとするまで走り込んだ。

 2021年、初めて全日本選手権で優勝した。帰省すると父に言われた。「すごい。だけど、まだ世界一を取ってないからな」。父らしいエールだと思った。母と2人きりになると、父はうれしそうに言った。「佐藤家一番の自慢だ」

 フェンシングを強化するため、東京五輪金メダリストから足の使い方やフェイントのかけ方を教わった。昨年のワールドカップで2位に入り、日本勢初の表彰台に上がった。

 父は2年ほど前から前頭側頭型認知症を発症し、入院生活を送る。記憶は少しずつ薄れているが、息子のニュースが流れればテレビに見入り、新聞に載ればうれしそうに眺める。

 6月の面会時、父は弱々しかった。「五輪に出るだけでもすごい」と笑顔で祝福してくれる。「まだここからだろ」と手を握ると、ようやく最後に言われた。「死ぬ気で戦ってこい」

 父の教えが正しいとは思わないが、自分には合っていたのだと思う。「逃げたらおやじに負けたことになる。だから頑張れた」。夢をかなえた時、父はどんな言葉をかけてくれるだろうか。歴史に名を刻むための挑戦は8月8日に始まる。

  ◆近代五種 =近代五輪の創始者クーベルタン男爵が発案し、「キング・オブ・スポーツ」と称される。フェンシング、水泳、馬術に加え、ランニングと射撃を合わせた「レーザーラン」で競う。日本男子の最高は15位。

*https://www.yomiuri.co.jp/olympic/2024/20240726-OYT1T50118/2/ より

 

 近代五種 佐藤大宗 銀メダル 近代五種で初のメダル パリ五輪 2024年8月11日 3時45分 NHK NEWS

 パリオリンピックの近代五種で初出場の佐藤大宗選手が銀メダルを獲得しました。近代五種で日本の選手がメダルを獲得するのは初めての快挙です。

 目次
 佐藤大宗(たいしゅう)とは

 初のメダル 支えとなったのは…

 近代五種は馬術、フェンシング、水泳、それにランニングと射撃を組み合わせたレーザーランの総合得点を競い10日、18人による決勝がヴェルサイユ宮殿で行われました。

 ◆馬術 2位と好スタート 
 佐藤選手は最初の馬術で障害を1つも落とさない安定した騎乗を見せ、2位に入る好スタートを切りました。

 ◆3種目終え4位でレーザーランへ 
 続く30秒1本勝負のフェンシングでは1勝1敗として、8日のランキングラウンドと合わせて5位となる得点をあげ、このあとの200メートル自由形で競う水泳は12位でしたが、3種目を終えた総合得点では4位につけて最後のレーザーランに臨みました。

 ◆レーザーラン 2位でフィニッシュ 
 総合得点の高い順に時間差でスタートするレーザーランで、佐藤選手はメダル圏内の選手を6秒差で追う中、正確な射撃と安定した走りで順位を上げて2位でフィニッシュし、総合得点を1542点として銀メダルを獲得しました。近代五種で日本選手がメダルを獲得するのは初めてです。

 金はエジプト選手 銅はイタリア選手
 前回、東京大会の銀メダリストでエジプトのアハマド・エルジョンディー選手が世界記録を更新する1555点をマークして金メダルを獲得しました。銅メダルは1536点をマークしたイタリアのジョルジョ・マラン選手でした。

 佐藤大宗(たいしゅう)とは
 佐藤大宗選手は青森市出身の30歳。子どものころから取り組んでいた水泳を生かせる仕事に就きたいと、高校卒業後に海上自衛隊に入隊し教官からスカウトされて競技を始めました。

 フェンシングに加えて、ランニングと射撃を組み合わせたレーザーランを得意とし、去年行われたワールドカップでは2位に入り、日本選手で初めて表彰台に立ちました。

 そして去年9月のアジア大会で6位に入ってパリオリンピックの出場枠を獲得し、その後の国際大会の成績なども踏まえて、初めてのオリンピック代表に決まっていました。

 初のメダル 支えとなったのは…
 「やるなら死ぬ気でやれ」
 近代五種で日本選手として初めてメダルを獲得した佐藤選手が支えとしてきたのが、厳格な父のことばでした。

 初めて出場したパリオリンピックの前、大会に向けての意気込みとして佐藤選手は「死ぬ気で戦うのみ」と自分に言い聞かせるように繰り返しました。それは子どものころから少林寺拳法や水泳に励んでいた佐藤選手が父親の勇蔵さんからいつも言い聞かされてきた「何事もやるなら死ぬ気でやれ」ということばがもとになっていました。

 厳格な父親 それでも…
 トラック運転手の勇蔵さんは佐藤選手にとって厳格な父親でした。子どものころには怒られて、雪が降り積もる家の外にたたき出されたこともありました。反発を覚えることもありましたが、挫折したときに支えてくれたのも父のことばでした。

 2019年の全日本選手権で4位となった佐藤選手は日本代表から外され、目指してきた東京オリンピックへの道が閉ざされました。目標に届かずに引退を決意し、勇蔵さんにも電話して伝えたところ「やめるんだったらやめればいい」と言われたあと「ボロボロになるまでやったのか。やるなら死ぬ気でやれ」と言われたといいます。

 子どものころから聞き慣れた父のことばを改めて聞いて「自分は逃げている」と感じた佐藤選手は、再びオリンピックを目指すことを決めました。

 フェンシングを強化
 そこから強化に力を入れたのが、海外勢との差を感じていたフェンシングでした。コーチのつてをたどり、東京大会で金メダルパリ大会でも銀メダルを獲得した男子エペ団体のメンバーと一緒に練習を始めました。

 子どものころに練習していた少林寺拳法で培った独特な間合いに加えてフェンシング世界トップレベルの選手にももまれて高度な技も吸収し、日本代表の石川公文監督が「世界のトップレベルの選手が警戒しても、技が読めないくらいレベルが上がった」と高く評価するほどになりました。

 勢い止まらず銀メダル 
 その成果は初めてのオリンピックの舞台でも発揮されました。

 初日に行われたフェンシング。エペによる1分間1本勝負で出場する36人が総当たりで対戦する「ランキングラウンド」では、佐藤選手は6位につけて好スタートを切りました。そして「フェンシングで流れに乗ったらその後の競技も勢いに乗る」と話していたことばどおりに、すべての競技を1日で行う2日目以降も準決勝でフェンシングと馬術で得点を伸ばして全体の2位で通過。決勝でも勢いが止まることはなく、銀メダルを獲得しました。

 大会前 父親との面会で… 
 実は勇蔵さんはおととしから認知症などを患って入院をしています。それでも佐藤選手が大会前に面会に行くと「死ぬ気でやってこい」と激励を受けていました。父のことばを支えに初めて挑んだ大舞台。30歳の息子が日本選手として初めての快挙を成し遂げました。

 近代五種とは
 近代五種は近代オリンピックの父・クーベルタン男爵が古代オリンピックで行われていた「やり投げ」「円盤投げ」「幅跳び」「短距離走」「レスリング」の「五種競技」にヒントを得て考案し、1912年のストックホルム大会から実施されています。

 現在は「フェンシング」「水泳」「馬術」に加えて、「ランニング」と「射撃」を組み合わせた「レーザーラン」で総合得点を競います。

 これを1人で行うことから、近代五種は海外では“キングオブスポーツ”とも呼ばれています。ヨーロッパ勢が強い競技で日本は1960年のローマ大会で初出場して以降、男女を通じて8位以内の入賞を果たした選手はいませんでした。

 一方で馬術をめぐっては、国によって環境を整えるのが難しいことや安全面をどう整備するかなどが課題となっていて、2028年のロサンゼルス大会では馬術に変わって障害物レースが行われることが決まっています。

*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240811/k10014545891000.html より

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<パリ五輪2024> メダリスト 柔道・混合団体

2024-09-05 06:51:34 | パリ五輪2024

 「柔道・混合団体」 銀 

 「阿部一二三」

 <パリ五輪2024> メダリスト 阿部 一二三 https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry/?eid=edb7cbd58b8a0391a783acd356a21903&sc=c2VhcmNoX3R5cGU9MSZsaW1pdD0xMCZzb3J0PWRlc2Mma2V5d29yZD0lRTklOTglQkYlRTklODMlQTglRTQlQjglODAlRTQlQkElOEMlRTQlQjglODkmcD0x

 「ウルフアロン」

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1896764-------------------- より

 ウルフ・アロン(英語: Aaron Phillip Wolf、1996年〈平成8年〉2月25日 - )は、日本の柔道家。東京都葛飾区出身。階級は100kg級。身長181cm。組み手は左組み。得意技は大内刈。 2021年開催の東京オリンピック柔道男子100kg級金メダリスト。 父親はアメリカ出身で駒澤大学の講師、母は日本人。

 パーク24所属。*Wikipedia より

 来年6月をもって引退予定。

 「斉藤立」

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1896748-------------------- より

  斉藤 立(さいとう たつる、2002年3月8日 - )は、大阪府出身の日本の柔道家。階級は100kg超級。身長191cm。体重170kg。血液型はO型。組み手は左組み。得意技は大外刈、体落。父親はオリンピックの95kg超級で2連覇を達成した斉藤仁。

 国士舘大学所属。*Wikipedia より

 「永瀬貴規」

 <パリ五輪2024> メダリスト 永瀬貴規 https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry/?eid=81d8fa1d8b8f6b0dfa24a134b4d748d7&sc=c2VhcmNoX3R5cGU9MSZsaW1pdD0xMCZzb3J0PWRlc2Mma2V5d29yZD0lRTYlQjAlQjglRTclODAlQUMlRTglQjIlQjQlRTglQTYlOEYmcD0x

 「永山竜樹」

 <パリ五輪2024> メダリスト 永山竜樹 https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry/?eid=6f192e3a00f8b9cabc49a3c52095e866&sc=c2VhcmNoX3R5cGU9MSZsaW1pdD0xMCZzb3J0PWRlc2Mma2V5d29yZD0lRTYlQjAlQjglRTUlQjElQjElRTclQUIlOUMlRTYlQTglQjkmcD0x

 「橋本壮市」

 <パリ五輪2024> メダリスト 橋本壮市 https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry/?eid=af05a396eea665f9af08339cf78f7ea4&sc=c2VhcmNoX3R5cGU9MSZsaW1pdD0xMCZzb3J0PWRlc2Mma2V5d29yZD0lRTYlQTklOEIlRTYlOUMlQUMlRTUlQTMlQUUlRTUlQjglODImcD0x

 「村尾三四郎」

 <パリ五輪2024> メダリスト 村尾三四郎 https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry/?eid=f6b546d071a90973a36366536b2b239e&sc=c2VhcmNoX3R5cGU9MSZsaW1pdD0xMCZzb3J0PWRlc2Mma2V5d29yZD0lRTYlOUQlOTElRTUlQjAlQkUlRTQlQjglODklRTUlOUIlOUIlRTklODMlOEUmcD0x

 「阿部詩」

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1896760-------------------- より

 阿部 詩(あべ うた、2000年〈平成12年〉7月14日 - )は、兵庫県神戸市出身の日本の女子柔道家。階級は52kg級。身長158cm。握力は右48kg、左46kg。血液型はB型。段位は四段。組み手は右組み。得意技は内股、袖釣込腰。夙川学院中学校・高等学校(現在の夙川中学校・高等学校)、日本体育大学を卒業した。兄が二人おり、次兄は66kg級の阿部一二三。2018年の世界選手権では兄妹同時に世界チャンピオンとなり、2021年開催の東京オリンピックでは同日に兄妹で金メダルを獲得した。

 パーク24所属。*Wikipedia より

 「素根輝」

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1896762-------------------- より

 素根 輝(そね あきら、2000年7月9日 - )は、福岡県久留米市出身の日本の女子柔道選手。階級は78kg超級。身長162cm。握力は右45kg、左47kg。血液型はA型。段位は五段。組み手は左組み。得意技は大内刈、体落。 2021年開催の東京オリンピック 柔道 女子78kg超級 金メダリスト。

 パーク24所属。*Wikipedia より

 「高市未来」

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1896767-------------------- より

 髙市 未来(たかいち みく、旧姓:田代、1994年4月7日 - )は、東京都八王子市出身の日本の柔道家。階級は女子63kg級。身長163cm。握力は右40kg、左43kg。バスト93cm。リーチ174cm。組み手は左組み。柔道参段を取得。得意技は内股、大内刈、小外刈、寝技。2019年3月現在、コマツ女子柔道部に所属。同柔道部のコーチでもあるオリンピック2連覇の谷本歩実とは同じ階級で、容姿もそっくりだと言われている。かつての登録選手名義は田代 未来(たしろ みく)だったが、2022年11月に66kg級の選手だった髙市賢悟と結婚したことにより登録選手名義も夫の姓に変更した。

 「高山莉加」

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1896743-------------------- より

 高山 莉加(たかやま りか、1994年8月27日 - )は、宮崎県都城市出身の日本人の女子柔道家。階級は78kg級。身長169cm。血液型はO型。組み手は右組み。得意技は払腰、寝技。2022年現在、三井住友海上に所属し、柔道弐段。

 「角田夏実」

 <パリ五輪2024> メダリスト 角田夏実 https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry/?eid=f0925701bb780b4a65ee60d08fa0ccef&sc=c2VhcmNoX3R5cGU9MSZsaW1pdD0xMCZzb3J0PWRlc2Mma2V5d29yZD0lRTglQTclOTIlRTclOTQlQjAlRTUlQTQlOEYlRTUlQUUlOUYmcD0x

 「新添左季」

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1896744-------------------- より

 新添 左季(にいぞえ さき、1996年7月4日 - )は、奈良県橿原市出身の日本の女子柔道選手である。陸上自衛官で階級は2等陸尉。職種は輸送科。身長170cm。柔道の階級は70kg級。段位は四段。組み手は左組み。得意技は内股。趣味は自転車で一人のんびりとぷらぷらすること。*Wikipedia より

 「舟久保 遥香」

 <パリ五輪2024> メダリスト 舟久保遥香 https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry/?eid=c63f16a25d0c7c654dc1ce7e44119a31&sc=c2VhcmNoX3R5cGU9MSZsaW1pdD0xMCZzb3J0PWRlc2Mma2V5d29yZD0lRTglODglOUYlRTQlQjklODUlRTQlQkYlOUQlRTklODElQTUlRTklQTYlOTkmcD0x

 

 柔道 混合団体 日本が銀メダル 2大会連続 パリ五輪【詳しく】 2024年8月4日 4時16分 

 パリオリンピックの柔道の競技最終日の3日、混合団体が行われ、日本は決勝で前回大会で敗れたフランスと対戦し、代表戦までもつれた末、3対4で敗れ、2大会連続の銀メダルとなりました。

 日本 決勝でフランスに敗れ2大会連続の銀メダル
 柔道の混合団体は男女それぞれ3階級ずつ、あわせて6階級で試合を行い、先に4勝したチームが勝ちとなります。

 前回の東京大会で銀メダルだった日本は、初戦の2回戦でスペインと対戦し、1人目の女子57キロ級では、阿部詩選手が試合終了間際に2つめの技ありを奪い、合わせ技一本で逆転勝ちしました。その後、6人目を終えて3対3で並んだため、抽せんで階級を選ぶ代表戦が行われ、女子70キロ級で高市未来選手が小外刈りで一本勝ちし、準々決勝に進みました。

 ▽セルビアとの準々決勝では、阿部一二三選手が合わせ技一本で勝つなど4対1で
 ▽ドイツとの準決勝はウルフアロン選手の一本勝ちなどで4対0で勝ち、決勝に進みました。

 決勝は、前回大会の決勝で敗れたフランスと対戦し
 ▽1人目の男子90キロ級では個人戦で銀メダルを獲得した村尾三四郎選手が、銅メダリストのマキシメ ゴエル・ヌギャップ ハンボウ選手に延長戦に入った直後、内股で一本勝ちしました。

 ▽2人目の女子70キロを超えるクラスでは、高山莉加選手が個人戦の78キロを超えるクラスで銅メダルを獲得したロマンヌ・ディコ選手と対戦し、1分50秒すぎに大内刈りで技ありを奪うと、そのまま優勢勝ちし、2連勝としました。

 ▽3人目の男子90キロを超えるクラスでは斉藤立選手が今大会、個人種目で3個目となる金メダルを獲得したテディ・リネール選手と対戦し、延長戦の末、内股で一本負けし2対1となりました。

 ▽4人目の女子57キロ級では、個人戦の48キロ級で金メダルを獲得した角田夏実選手が、2つ上の階級の銅メダリスト、サラ レオニー・シジク選手に得意のともえ投げを積極的にしかけ、開始から2分過ぎに、そのともえ投げで一本勝ちし、3対1としました。

 ▽金メダルまであと1勝として迎えた5人目の男子73キロ級では、今大会、66キロ級で連覇を果たした阿部一二三選手が、1つ上の階級の銀メダリスト、ジョアン ベンジャミン・ギャバ選手と対戦し、延長戦に入っても技をしかけ続けましたが、開始から8分50秒を過ぎたところで、すくい投げで一本を奪われ、3対2となりました。

 ▽6人目の女子70キロ級は高市未来選手が63キロ級で銅メダルを獲得したクラリス・アグベニュー選手に延長戦の末、外巻き込みで技ありを奪われて敗れ、3対3で並びました。

 ▽そして、抽せんによって階級を決める代表戦は男子90キロを超えるクラスが行われ、斉藤選手が開始6分過ぎにリネール選手に大内刈りで一本を奪われて敗れました。

 この結果、日本は3対4でフランスに敗れ、2大会連続の銀メダルとなりました。

 勝ったフランスはこの種目2連覇を果たしました。
 銅メダルはブラジルと韓国がそれぞれ獲得しました。

 《日本代表 談話》 
 斉藤立「顔向けできない」
 男子90キロを超えるクラスで、3人目と代表戦ともに敗れた斉藤立選手は「代表戦でもう一度チャンスもらい、挽回するチャンスと思って挑んだので、本当に悔いが残る。きょう勝たないと、いつ勝つんだという場面で勝てなくて、顔向けできない」と悔しさをにじませました。

 阿部一二三「いい流れをものにできず 申し訳ない」
 5人目の男子73キロ級で勝てば金メダルという試合で延長の末、敗れた阿部一二三選手は「あそこで勝ちきらないと意味がない。本当に悔しい。みんながつないでくれたいいバトン、いい流れをものにできず、申し訳ない気持ちです」と涙を流しながら話しました。

 また表彰式のあと「うれしい気持ちも悔しい気持ちも両方味わうことができて、何ものにもかえられないオリンピックになった。きょうの負けでみんながびっくりするぐらい強くなると思うので、もっともっと期待してほしい」と力強く話していました。

 阿部詩「五輪の借りは五輪でしか返せない」
 女子52キロ級では2回戦で敗退したものの、混合団体で日本の銀メダル獲得に貢献した妹の阿部詩選手は表彰式を終えて「チームのために、日本のためにという思いで準備していた。望んでいた結果で終わることができなかったが、それよりも大きなものを収穫できたと思う。オリンピックの借りはオリンピックでしか返せないと思うので、必ずリベンジしたい」とまっすぐ前を向いて話していました。

 角田夏実「チームで戦うことでき いい大会に」
 女子48キロ級の金メダルに続いて、混合団体で銀メダルを獲得した角田夏実選手は表彰式のあと「不安はあったが役割を果たしたくて、少しでもチームの力になりたいと思って戦った。チームとして一緒に最高の舞台で戦うことができて、すごくいい大会になった」と笑顔で振り返りました。

 高山莉加「がむしゃらにポイントを取りに」
 2人目の女子70キロを超えるクラスで優勢勝ちした高山莉加選手は「自分より強い相手だったので、がむしゃらにポイントを取りにいこうと思った。素根輝選手にアドバイスをもらって戦うことができたので感謝している」と話していました。

 村尾三四郎「このメンバーと戦えたことを誇りに思う」
 1人目の男子90キロ級で一本勝ちした村尾三四郎選手は、「先ぽうとして相手に飲まれることがないようにポイントを取って次につなげる役割は果たせた。日本を背負って、このメンバーと戦えたことを誇りに思う」とまっすぐ前を向いて話していました。

 高市未来「たくさんの挑戦をすることができて幸せ」
 柔道の混合団体で銀メダルを獲得した高市未来選手は表彰式のあと「本当にうれしい。長かったなという気持ちと、たくさんの挑戦をすることができて幸せだったなという気持ちでいっぱいです」と目に涙を浮かべながら話していました。

 競り負けて雪辱ならず 三度目の正直へ新しいスタート 
 混合団体のフランスとの決勝。日本は階級が上の選手からも勝利をあげるなどフランスを追い詰めましたが、競り負けて東京大会の雪辱はなりませんでした。

 日本が1勝したあとの決勝の2試合目は女子70キロを超えるクラス。ここにふだんは78キロ級の高山莉加選手が出場しました。本来であれば最重量級の素根輝選手が出場するはずのクラスですが、けがのため断念せざるを得なかったためです。高山選手は素根選手に「『あとは任せろって、結果はどうなるか分からないけど私が戦う』ということを伝えてきた」と腹を据えて78キロを超えるクラスで銅メダルを獲得したロマンヌ・ディコ選手との一戦に挑みました。ディコ選手に背中をつかまれてはおさえつけられたり振り回されたりする苦しい展開が続きましたが、2分近くが経った場面、「何もせずに負けるんだったら本当に一生後悔する。とりあえず足をかけてみようと思った」と繰り出した大内刈りが技ありとなりました。素根選手に誓ったことばに恥じない、まさに死力を尽くした戦いぶりでその後、2分8秒にわたってディコ選手の攻撃をしのぎきり殊勲とも言える白星をつかみ取りました。

 そして、2対1とされたところで畳に上がったのが今大会48キロ級で金メダルを獲得した角田夏実選手。相手は2つも階級が上の銅メダリストサラ レオニー・シジク選手です。「出られる準備はしておけと言われていたが、オーダーを提出するときに知った。ドキドキな感じで試合に出た」という角田選手ですが、シジク選手を相手にしても1週間前の48キロ級で見せた得意の「ともえ投げ」を徹底して繰り返しました。シジク選手も警戒していたように見えはじめのうちはこらえられましたがあきらめずに何度も仕掛けていくと、最後は踏ん張る相手を豪快に回転させて見事に一本。再びリードを広げました。

 3対3でもつれたあとの代表戦は男子90キロを超えるクラスが選ばれ、斉藤選手とリネール選手が決勝で2回目の戦いに臨むことになりました。厳しい攻めをしのいでチャンスを探った斉藤選手、自分も指導2つを受けながらリネール選手にも同じく指導2つを受けさせともにあと1つで反則負けとなるところまでの接戦に引きずり込みました。しかし、6分すぎにリネール選手の大内刈りを決められ、日本のこの種目、初の金メダル獲得はなくなりました。

 試合後は「本戦で負けて、代表戦で自分が選ばれてこれがチャンスだと思ったが後半だんだん自分の流れになってきたが、投げられてしまった」と悔しさをにじませました。追い詰めながらも最後はフランスの英雄に立ちはだかられたかたちにはなりましたが日本は、けがを抱えた選手が抜けた穴を全員でカバーする強さは見せました。

 東京に続き、あと一歩届かなかった「金」。三度目の正直を果たすべくロサンゼルス大会に向け、選手たちは新しいスタートを切ることになります。

 ==決勝【詳しく】==
 《決勝のメンバーは》
 パリオリンピック、柔道の混合団体の決勝で金メダルをかけてフランスと対戦する日本のメンバーです。先に4勝したチームが金メダルを獲得します。

 【1人目】
 男子90キロ級は、この階級の銀メダリストの村尾三四郎選手で、この階級の銅メダリストのマキシメゴエル・ヌギャップハンボウ選手と対戦します。今大会個人戦の準決勝で対戦し村尾選手が勝っています。

 【2人目】
 女子70キロを超えるクラスは高山莉加選手で、78キロを超えるクラスで銅メダルを獲得したロマンヌ・ディコ選手と戦います。

 【3人目】
 男子90キロを超えるクラスは斉藤立選手で、相手は今大会で3個目の金メダルを獲得し、地元で絶大な人気を誇るテディ・リネール選手です。

 【4人目】
 女子57キロ級は、48キロ級で金メダルを獲得した角田夏実選手で、57キロ級銅メダリストのサラレオニー・シジク選手と対戦します。

 【5人目】
 男子73キロ級は、今大会66キロ級で連覇を果たした阿部一二三選手で、73キロ級銀メダリストのジョアンベンジャミン・ギャバ選手と戦います。

 【6人目】
 女子70キロ級は高市未来選手で、相手は63キロ級で銅メダルを獲得したクラリス・アグベニュー選手です。

 【1人目】日本 村尾三四郎が一本勝ち 日本1-0フランス 
 1人目の男子90キロ級で、この階級の銀メダリストの村尾三四郎選手がこの階級の銅メダリストのマキシメ ゴエル・ヌギャップ ハンボウ選手と対戦しました。
 村尾選手は積極的に技をしかけ、延長戦に入った直後、内股で一本勝ちしました。これで日本は1勝0敗となりました。
 この種目は、先に4勝したチームが勝ちとなります。

 【2人目】高山莉加が優勢勝ち 日本2-0フランス 
 日本対フランスの決勝は、2人目の女子70キロを超えるクラスで、高山莉加選手がロマンヌ・ディコ選手と対戦しました。高山選手は個人戦では階級が上の相手に対し、試合開始1分52秒に大内刈りで技ありを奪って、そのまま優勢勝ちしました。
 これで日本は2勝0敗となりました。
 この種目は先に4勝したチームが勝ちとなります。

 【3人目】斉藤立 リネールに敗戦 日本2-1フランス 
 3人目の男子90キロを超えるクラスで、斉藤立選手がテディ・リネール選手と対戦しました。リネール選手は今大会3個目の金メダルを獲得した地元で絶大な人気を誇る選手です。斉藤選手は攻めあぐねる展開が続いて試合は延長戦に入り、開始7分すぎに内股で一本負けしました。
 これで日本は2勝1敗となりました。
 この種目は、先に4勝したチームが勝ちとなります。

 【4人目】角田夏実が一本勝ち 日本3-1フランス 
 日本対フランスの決勝は、4人目の女子57キロ級で、48キロ級で金メダルを獲得した角田夏実選手が、この階級の銅メダリストのサラ レオニー・シジク選手と対戦しました。角田選手は階級が上の相手に積極的に技をしかけ、ともえ投げで一本勝ちしました。
 これで日本は3勝1敗となりました。
 この種目は、先に4勝したチームが勝ちとなります。

 【5人目】阿部一二三が一本負け 日本3-2フランス 
 日本対フランスの決勝は5人目の男子73キロ級で、今大会66キロ級で連覇を果たした阿部一二三選手が、73キロ級の銀メダリスト、ジョアン ベンジャミン・ギャバ選手と対戦しました。阿部選手は延長戦の末、すくい投げで一本負けしました。
 これで日本は3勝2敗となりました。

 注目
 【6人目】高市未来が延長で敗れる 日本3-3フランス 
 日本対フランスの決勝は6人目の女子70キロ級で高市未来選手とクラリス・アグベニュー選手が対戦しタカ市選手が延長戦の末、敗れました。6戦目で終えた時点で3対3と並んだため、抽せんによって階級を決めて対戦する代表戦が行われることになりました。

 ☆抽選方法は?ルーレットのような仕組み
 柔道の混合団体は各チーム6人ずつで対戦し、3対3で並ぶと、抽せんで階級を選んで代表戦を行います。
IJF=国際柔道連盟によりますと、今大会の抽せんにはコンピューターの専用のソフトが使われていて自動で階級が選ばれるということです。また、このシステムはすでに国際大会では数年前から使われているということです。

 注目
 ◆代表戦は男子90キロ超級に 斉藤×リネール
 日本対フランスの決勝は3勝3敗で代表戦にもつれ込み、抽せんの結果、男子90キロを超えるクラスで斉藤立選手とテディ・リネール選手が対戦することになりました。代表戦は、技によるポイントを奪った時点で勝敗が決まるゴールデンスコア形式で行われます。

 注目
 【代表戦】斉藤がリネールに敗れ 日本は銀メダル 
 日本対フランスの決勝は、抽せんによって男子90キロを超えるクラスで代表戦が行われ、斉藤立選手がテディ・リネール選手と対戦しました。技によるポイントを奪った時点で勝敗が決まるゴールデンスコア形式で行われた試合で、斉藤選手はリネール選手に大内刈りを決められ、一本負けしました。

 この結果、日本は2大会連続で銀メダルとなりました。
 フランスは2大会連続の金メダルです。

 ==決勝までの勝ち上がり==
 【準決勝】ドイツに勝利で決勝へ
 柔道の混合団体の準決勝で日本はドイツと対戦し、4対0で勝って決勝に進みました。前回の東京大会で銀メダルの日本は、この種目初の金メダル獲得を目指します。
 決勝はフランスと対戦することになりました。

 【準々決勝】セルビアに勝利 
 パリオリンピック、柔道の混合団体の準々決勝で日本はセルビアと対戦し、4対1で勝って準決勝に進みました。

 【初戦の2回戦】スペインに勝利 
 パリオリンピック、柔道の混合団体で日本は初戦となる2回戦でスペインと対戦し、3対3で抽せんによる代表戦にもつれ込み、その後の代表戦で女子70キロ級で高市未来選手が小外刈りで一本勝ちして準々決勝に進みました。

 3対3で並ぶとルーレットのような画面で階級選択
 柔道の混合団体は各チーム6人ずつで対戦し、3対3で並ぶと、抽せんで階級を選んで代表戦を行います。

 IJF=国際柔道連盟によりますと、今大会の抽せんにはコンピューターの専用のソフトが使われていて自動で階級が選ばれるということです。また、このシステムはすでに国際大会では数年前から使われているということです。

 3日は日本の初戦で抽せんが行われ、会場のシャンドマルス・アリーナのモニターでルーレットのような画面が映し出されて試合が行われる階級が決まると歓声が上がっていました。

*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240803/k10014535811000.html より

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<パリ五輪2024> メダリスト 古俣聖/見延和靖/山田優/加納虹輝

2024-09-04 07:52:00 | パリ五輪2024

 「古俣聖/見延和靖/山田優/加納虹輝」 銀-フェンシング・男子エペ団体

 【2024 パリオリンピック_フェンシング】男子エペ団体で銀メダル獲得🥈⚔
 史上初!オリンピック2大会連続、団体メダル獲得🥇🥈 公益社団法人日本フェンシング協会 2024年8月3日 11時30分

 現地時間2024年8月2日(金)、男子エペチーム(加納虹輝/かのう こうき、見延和靖/みのべ かずやす、山田優/やまだ まさる、古俣聖/こまた あきら)が銀メダル🥈を獲得致しました!


左から:見延和靖、山田優、古俣聖、加納虹輝


 今大会を世界ランキング3位で迎えた日本チームは、加納虹輝(日本航空株式会社)、見延和靖(NEXUS FENCING CLUB)、山田優(株式会社山一商事)、古俣聖(株式会社本間組)のメンバーで大会に臨みました。

 準々決勝ではベネズエラに39対33で勝利。準決勝ではチェコに45対37、決勝では世界ランク5位のハンガリーに25対26で惜敗するも、見事、史上初⚔2大会連続のメダル獲得となりました🥇🥈

 準決勝前に円陣でチーム一丸に!

 応援くださった方々に感謝をこめて🍀

 【コメント】
 加納 虹輝:悔しさと嬉しさが半々という感情ですが、自分が今できることは精一杯やりました。でもこのチームでグラン・パレで試合ができてすごく楽しかったです。本当に応援ありがとうございました!
 
 見延和靖: 連覇とはなりませんでしたが、2大会連続でメダルを獲得することができました。初戦から苦しい試合が続きましたが、接戦をものにできたのも、皆さんの応援の後押しがあったからだと感じています。遅くまで応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました。

 山田優: 応援ありがとうございました!この日のために3年間がんばってきて、終わってみて思ったのは「楽しかった」でした。もちろん悔しさもありますが、この悔しさは残りの種目がやってくれると信じてます。あと2日最後まで応援よろしくお願いします!

 古俣聖: 優勝こそ逃しましたが、メダルを獲得することが出来てとても嬉しいです。決勝はギリギリのところで負けてしまいましたが、フェンシングの面白さが伝わるような良い試合が出来たのではないかと思っています。遅くまで応援していただいた皆様にとても感謝しております。大変ありがとうございました。

以上

*https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000189.000039246.html より

 「古俣聖」

 古俣 聖(こまた あきら、1998年1月31日 - )は、日本のフェンシング選手。

 本間組所属。

 「見延和靖」

 見延 和靖(みのべ かずやす、1987年〈昭和62年〉7月15日 - )は、現役の日本のフェンシング選手。福井県越前市出身。種目はエペ。武生商業高等学校を経て、法政大学を卒業。Nexus所属。左利き。2021年開催の東京オリンピックフェンシング男子エペ団体金メダリスト。全個人種目を通じて日本選手として初めて年間ランキングで世界1位を獲得した。

 「山田優」

 山田 優(やまだ まさる、1994年6月14日 - )は、日本の男子フェンシング選手。種目はエペ。

 2021年開催東京五輪男子エペ団体金メダリスト。2024年パリ五輪男子エペ団体銀メダリスト。アジア競技大会の男子エペ団体で2大会(2018年ジャカルタ・2022年杭州)連続金メダル。

 三重県鳥羽市出身。日本大学卒業。山一商事所属。元幹部自衛官(2等陸尉、自衛隊体育学校所属)。

*Wikipedia より

 「加納虹輝」

https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry/?eid=2577eb968e9ec2719e637cc9d40fce9f&sc=c2VhcmNoX3R5cGU9MSZsaW1pdD0xMCZzb3J0PWRlc2Mma2V5d29yZD0lRTglQTYlOEIlRTUlQkIlQjYlRTUlOTIlOEMlRTklOUQlOTYmcD0x こちらを参考に

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<パリ五輪2024> メダリスト 玉井陸斗

2024-09-03 06:52:22 | パリ五輪2024

 「玉井陸斗」

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1891685-------------------- より

 玉井 陸斗(たまい りくと、2006年9月11日 - )は、日本の飛込競技選手。兵庫県宝塚市出身。身長160cm、体重55kg(世界水泳ブダペスト2022開催時点)。パリオリンピック銀メダリスト。

 JSS宝塚所属。

*Wikipedia より

 

 “気持ち切り替え銀メダル” 高飛び込み 玉井陸斗【解説】 2024年8月11日 22時39分 NHK NEWS 

 飛び込みの男子高飛び込みで銀メダルを獲得した17歳の玉井陸斗選手。

 「自分がやってきたことを信じる」と苦手としていた技での大きなミスから気持ちを切り替え会心の演技で巻き返し、目標としてきた日本の飛び込み界で初めてのメダルをつかみました。 (スポーツニュース部 記者 松山翔平)

 課題は後ろ向きに回転する技
 キレのある回転力と正確な入水を持ち味に、2022年の世界選手権での銀メダル獲得など、14歳で出場した東京オリンピック以降、実績を積み上げてきた玉井選手。

 目標とするオリンピックでのメダル獲得へ、課題としてきたのが後ろ向きに回転する技でした。

 特に、後ろ向きに踏み切って3回転半回る『207B』、それに前向きで踏み切って後ろに3回転半回る『307C』という、難度の高い2つの技の完成度に不安を抱えてきました。

 後ろ向きに踏み切って3回転半回る『207B』
 玉井陸斗 選手
 「後ろ向きに回るので、景色があまり見えない。その中で自分の感覚がいちばん大事になってくるが、試合でうまくいかないことが多かった。この苦手意識をなくして技を決めきることがメダルに近づくことになる」

 滞空時間を長くするための踏み切りの改善や、空中感覚を養うトランポリンを使ったトレーニングなど、技の安定感を高める練習を重ね「練習でもうまくいく本数が増えてきた」と自信をつけていきました。

 馬淵崇英コーチも、その実力に太鼓判を押してパリの舞台に立たせました。

 馬淵崇英コーチ
 「メダルを目指さなくても手が届く位置に到達している。挑戦ではなく、平常心を持ってやればメダルは取れるという話を陸斗にはしてきた。そうすればプレッシャーも感じることなくやれる」

 決勝 苦手な技で高得点
 そして日本飛び込み界初のメダル獲得に挑んだ決勝。

 2回目の演技
 玉井選手は2回目の演技。
 「流れを作るうえでも重きを置いていた」と、苦手だった『207B』で、キレのある回転からきれいに入水を決め、95.40の高得点をマークしました。

 4回目の演技
 重要な局面を確実に決め「ほかの演技もよくなっていった」と流れをつかむと、3回目と4回目の飛び込みもミスなく高得点をマークし、トップと僅差の2位につけました。

 もう1つの苦手な技で入水に乱れ
 しかし、もう1つの課題だった『307C』。

 5回目の演技で繰り出すと「苦手意識がある分、“力が入ってしまわないよう”とか、“決めきれるのか”とか、いろんなことを考えて飛んでしまった」と、入水が乱れて大きく水しぶきが上がってしまいました。

 得点は39.10。得点を伸ばせず、3位に順位を落とします。

 気持ちを切り替えて
 ただ、馬淵コーチは慌ててはいませんでした。
 「飛び込みは何があるかわからない。自分自身を信じて、最後の得意の技を決めれば挽回できる」と励まし、玉井選手も「心が揺れてしまうところもあったが、ここで終わるようでは、これまでが無になってしまう」と気持ちを切り替えました。

 最後は得意技で最高得点
 最後の技は『5255B』。
 後ろ向きに踏み切り2回転半ひねりながら2回転半回転する玉井選手の持ち味を生かした得意技です。

 最後6回目の演技
 「自分のやってきたことを信じて最後は飛ぶ」。

 その思いをのせた飛び込みは、水しぶきをほとんど上げることなく静かに水の中へと消えていきました。

 得点は99.00。決勝の演技で出場した選手の中で最も高い点数をたたき出し、銀メダルをたぐり寄せました。

 玉井陸斗 選手
 「『307C』だけ決められなかったことが心残りだが、ほぼパーフェクトな演技ができた。ロサンゼルス大会では完璧な演技で金メダルを取りたい」

 馬淵崇英コーチ
 「一瞬でも1位の選手を追い詰めた陸斗のレベルを見て、金メダルの可能性も見えた。残りは金メダルだけ。次のオリンピックは夢ではなく、現実に金を取るということを目標にしていけば可能になるのではないか」

 銀メダルを獲得した玉井選手と馬淵コーチ
 日本飛び込み界の歴史を変えた17歳。

 さらなる扉を開くため、その目はすでに“世界の頂点”という次の目標に向いています。

*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240811/k10014546311000.html より

 

 飛び込み界レジェンド寺内健、パリ五輪代表の玉井陸斗は「メダルにものすごく近いところにいる」 [2024年1月22日20時57分]
 飛び込みで夏季五輪日本勢最多の6大会に出場した寺内健(43=ミキハウス)が22日、パリ五輪代表に決まっている玉井陸斗(17)に太鼓判を押した。

 昨年32年間にわたる現役生活を終え、功績がたたえられて関西スポーツ大賞「功労賞」を受賞した。現在は後輩の坂井丞(31=ミキハウス)の指導にあたっており、自らも馬淵崇英コーチの存在の大きさを実感。「崇英コーチがいかにすごいかが分かった。改めてコーチの偉大さ、エネルギー、強くさせたい気持ちはすごいなと感じた」と語った。

 期待する選手を問われると玉井の名前を挙げ、「僕が6回のオリンピックで果たせなかったメダルにものすごく近いところにいる。昨日まで合宿で演技を見ていたが、今すごぶる調子がいい。彼の持っているオリンピックのメダルへの思いは人一倍強い」と期待を寄せた。

 さらにサポートする立場として「彼の調子が落ちないようにモチベーションを高く維持できるように先輩として少しでもサポートできれば」と飛び込みで日本人五輪初メダルを後押しする姿勢を見せた。

*https://www.nikkansports.com/sports/news/202401220001184.html より

 レジェンド寺内の後を玉井はちゃんと埋めることができた。ますますの活躍を祈るばかり。

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<パリ五輪2024> メダリスト 松下知之

2024-09-02 06:02:44 | パリ五輪2024

 「松下知之」

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1963635-------------------- より

 松下 知之(まつした ともゆき、2005年8月1日 - )は、日本の男子競泳選手。栃木県宇都宮市出身。2024年パリオリンピック400m個人メドレー銀メダリスト。

 東洋大学所属。

*Wikipedia より

 憧れの萩野公介さんに追いつき、追い越すために 松下知之選手 公開:2024年3月16日(土)午後5:19 更新:2024年3月17日(日)午後0:29 長井ゆめの(NHK宇都宮)
 競泳で、かつて日本のエースとして活躍した萩野公介さんに憧れ、萩野さんと同じ栃木県から、同じ個人メドレーで、パリオリンピック出場を目指している選手がいます。

 宇都宮市の18歳、松下知之選手。

 高校生になってから急成長を遂げ、一気に日本代表候補に名乗り出ました。

 オリンピックの代表選考会には、男子200メートルと400メートルの個人メドレーなどにエントリーしています。

 成長著しい18歳

 松下選手は、個人メドレーのレース前半でも後半でも勝負に出られるバランス型のオールラウンダーで、豊富なスタミナが持ち味です。

 去年の全国高校総体で初めて高校日本一になったあと、9月の世界ジュニア選手権は大会新記録で優勝。

 泳ぐたびに自己ベストを更新し、2年あまりで400メートルのタイムを12秒近く縮め、国内トップ選手へと駆け上がってきました。

 ■400メートル個人メドレー 松下選手の記録

 2021年 全国高校総体 4.22.50 5位

 2023年 全国高校総体 4.13.82 優勝

 2023年 世界ジュニア選手権 4.10.97 優勝

 現在の自己ベストは、200メートルと400メートルで、ともに国内3番目。

 伸び盛りの今、代表選考会で派遣標準記録を突破して2位以内に入り、オリンピック初出場を決めたいと意気込んでいます。

 (松下知之選手)

 「実力がトップ選手に近づいてきていると感じたのが高校2年のときで、そこからパリオリンピックを目指してきました。今では、暇さえあればいつも『オリンピックに出たい』と考えているくらいなので、練習にも緊張感が出てきて、わくわくしています」

 急成長を支えるスピード練習

 松下選手の急成長を支えているのが、レースよりも短い距離を決められたタイムで泳ぐスピード練習です。

 日によって、1本ごとの距離や目標のタイム、インターバルの時間などを変えながら、多いときには1日100本以上、繰り返します。

 持ち味の豊富なスタミナに加えて、世界のトップ選手に負けないスピードを、この練習で培ってきました。

 (永松康一コーチ)

 「練習の最後に『この1本、スピードをあげよう』と言ったとき、100メートルで2秒とか、タイムを一気に上げられるようになってきました。年を追うごとに、どんどん自覚を持って、いい選手になってきたと思います」

 (松下知之選手)

 「練習内容はハードで、体もすごくしんどいですが、それをこなせるようになってきているので、体も強くなっていると感じます。いい感覚がつかめるとすごく自信になります」

 体幹トレーニングで姿勢を維持

 松下選手が、もうひとつ力を入れているのが、体幹トレーニングです。

 これまではレース後半で疲れてくると、キックをする脚が下がって水の抵抗を受け、スピードが落ちてしまうことが課題でした。

 トレーニングで腰回りの腹筋と背筋を重点的に鍛えることで、少しずつ、体を水平に保てるようになり、タイムのロスが少なくなってきたと言います。

 (松下知之選手)

 「体幹的な部分でぶれなくなったと感じています。泳ぎの中心であるおなかを鍛えると、ボディーポジションが高くなって水から受ける抵抗が少なくなるので、地道なおなかのトレーニングというのは大事ですね」

 憧れの存在から目標へ
 その松下選手が小さいころから憧れ、目標にしてきたのが、同じ栃木県出身の萩野公介さんです。

 200メートルと400メートル個人メドレーの日本記録を持ち、日本のエースとして出場したリオデジャネイロオリンピックでは、金、銀、銅の3つのメダルを獲得しました。

 松下選手は、今も萩野さんのレース映像を繰り返し見ながら、水中のキックの動作やストロークの回数などを研究し、みずからの泳ぎに取り入れています。

 (松下知之選手)

 「まんべんなく速いんですけど、特に背泳ぎと自由形は世界一だと思っているので、すごく参考にしています。地元が栃木県で同じというのもありますが、世界のトップに上り詰めて、日本の個人メドレーを引っ張っていた存在なので、すごくかっこいい。以前は憧れのような感じでしたが、最近は目標になり、さらに超えたいという気持ちが強くなってきました。自分が成長できているからこそだと思います」

 萩野さんが初めてロンドンオリンピックに出場して銅メダルを獲得したのは、高校3年生のときでした。

 松下選手はこの春、高校を卒業し、かつて萩野さんを指導した平井伯昌監督が率いる東洋大学に進学する予定で、すでに海外で合宿を行うなど、平井監督の指導を受け始めています。

 憧れていた存在に追いつき、いずれは追い越すために。

 松下選手は今、間近に迫ったオリンピックの代表選考会を心待ちにしています。

 (松下知之選手)

 「自分はすごく若手なので、パリオリンピックに出て、これからの競泳を引っ張っていくというスタートラインだと思っているので、しっかりそのスタートラインに立てるように頑張りたいです」

*https://www.nhk.jp/p/swimming/ts/N75371XQMZ/blog/bl/pz3jmkeKZW/bp/pk4PxxnWyk/ より

 

 水泳 松下知之が銀メダル 男子400m個人メドレー パリ五輪 2024年7月29日 8時40分 

 パリオリンピック、競泳の男子400メートル個人メドレーの決勝で、18歳の松下知之選手が後半にスピードのある泳ぎで銀メダルを獲得しました。

 瀬戸大也は7位 後半に順位落とす
 男子400メートル個人メドレーの決勝には、オリンピック初出場で大学1年で18歳の松下選手と、2016年のリオデジャネイロ大会で銅メダルを獲得した30歳の瀬戸大也選手が出場しました。

 レースは、この種目の世界記録保持者、フランスのレオン・マルシャン選手が序盤から飛び出し、瀬戸選手が食らいついて前半の200メートルを2位でターンする中、松下選手は後半での勝負を意識した泳ぎで、6位で折り返しました。

 そして、レース後半に松下選手は徐々に前の選手との差を縮め、得意とする最後の自由形では力強いストロークで、350メートルの地点で4位に浮上しました。

 松下選手はさらに上位の選手をとらえて、最後は自己ベストを1秒以上更新する4分8秒62のタイムでフィニッシュして、銀メダルを獲得しました。

 瀬戸選手は後半に順位を落として、4分11秒78のタイムで7位でした。

 この種目で日本選手がメダルを獲得するのは、2016年のリオデジャネイロ大会の萩野公介さんの金メダルと瀬戸選手の銅メダル以来、2大会ぶりです。

 金メダルはフランスのマルシャン選手で、自身の世界記録と0秒45差の4分2秒95のタイムでした。銅メダルはアメリカのカーソン・フォスター選手でした。

 松下知之「最後まで信じて頑張った」 
 銀メダルを獲得した松下知之選手は「本当にここに来るまで、いろんなつらいこともあったが、本当に頑張ってきてよかった。すごくうれしい」と率直な思いを笑顔で話しました。

 後半に追い上げたレース展開については「平井コーチとはずっと持ち味をぶらさず、ラストのクロールのタフなレースになると想定していたので、最後まで信じて頑張った」と振り返りました。

 また、世界記録保持者で、フランスのレオン・マルシャン選手に大きな声援が送られた会場の雰囲気については「もう自分はこの雰囲気をただ楽しむだけだと思っていたので、雰囲気に身を委ねて、僕は夢中になって泳いだ。最高の思い出になった」と話していました。

 瀬戸大也「自分の中では全力を尽くせたと思う」 
 決勝で7位となった瀬戸大也選手は「自分が言っていた自己ベスト更新にはほど遠かったが、前半からいく練習をしてきて、最後にばてたが、全力で泳げた。自分の中では全力を尽くせたと思う」と振り返りました。

 そして、残る200メートル個人メドレーに向けては「まだ泳ぐチャンスはうまく進められれば3回あるので、この舞台を楽しんで、しっかりといい泳ぎをしたい」と切り替えていました。

 18歳の新星 日本競泳界復活の光となるか
 初めてのオリンピックで銀メダル獲得を成し遂げた松下知之選手。

 この春、大学生となった18歳の新星は、競泳界の“ロールモデル”になり得る存在と期待されていて、パリでの活躍をステップに4年後の頂点を目指します。

 男子400メートル個人メドレーの決勝。序盤からレースを引っ張ったのはこの種目の世界記録保持者、地元・フランスの“怪物”レオン・マルシャン選手でした。
他の選手をぐんぐん引き離し、4分2秒95のオリンピック新記録で金メダルを獲得しました。

 銀メダル争いになるなか、松下選手は最後の自由形で猛然と追い込み、ラスト50メートルで一気に順位を上げて銀メダルを獲得。

 松下選手は「後半勝負の自分の持ち味を生かしていくと思っていた。自分のスピードをぶつけられた」と話し、“自分の土俵”での会心のレース運びだったと笑顔で振り返りました。

 松下選手はパリ大会の代表内定後のことし4月、リオデジャネイロ大会の金メダリストで、同じ栃木県出身の憧れの存在、萩野公介さんを追うように東洋大に進学し、萩野さんや北島康介さんを育てた平井伯昌コーチの指導を受けることになりました。

 5月からは長期のヨーロッパ遠征に出て、標高2300メートルのスペイン・シエラネバダなどで厳しいメニューをこなし、持久力アップに取り組んできました。

 その強化が生かされた今回の銀メダル獲得に、松下選手は「本当に苦しいことばかりで、なんでこんな苦しい思いをしているんだろうと思うときもあった。それでも笑って終われて、選んだ道は間違いではなかったし、いろんな人に支えてもらった銀メダルだと思う」と語りました。

 そして、平井コーチも松下選手には今後の競泳界を引っ張っていく存在として大きな期待を寄せています。

 平井コーチは「彼は水泳の話をすると毎回、目が輝く。速くなりたい、強くなりたい、そういう気持ちが表れている。日本の水泳界には北島さんのような“ロールモデル”が必要だと思う。彼がそうなれるように頑張ってほしい」とレジェンドを引き合いに評価しました。

 松下選手が次に目指すのは4年後、ロサンゼルス大会での金メダル獲得です。

 ただ、そこでも立ちはだかるであろうライバルがマルシャン選手です。

 松下選手は「マルシャン選手という高い壁はあるが、自分はチャレンジャーとして挑んでいきたい。4年後はまた違った気持ちで迎えられると思うので、4年間かけて頑張りたい」と早くも今後を見据えました。

 飽くなき向上心を持つスケールの大きな若手選手の登場が、低迷期とも言われてきた日本競泳界復活の光となりそうです。

 ==予選の結果==
 パリオリンピックの大会3日目、競泳の男子400メートル個人メドレーでは、瀬戸選手が予選2組に出場し、最初のバタフライでは、この種目の世界記録保持者でフランスのレオン・マルシャン選手を抑えて一時はトップに立ち、その後も上位をキープして、4分10秒92のタイムでフィニッシュしました。

 瀬戸選手はこの組の3位になり、全体でも3位で、決勝進出を決めました。

 また、オリンピック初出場の松下選手は予選1組に出場し、4分11秒18のタイムで全体の5位で決勝に進みました。

 男子400メートル個人メドレーの決勝は、日本時間の29日午前3時30分に行われる予定です。

 瀬戸大也「ほっとしている」
 決勝に進んだ瀬戸大也選手は「バタフライは調子がいいので、背泳ぎもうまく泳いで、平泳ぎから伸びた。最後の自由形では結構抜けていたので、周りを見ながら泳いだ。3番だったけど、決勝に駒を進められてほっとしている」とレースを振り返りました。

 そのうえで、決勝進出を逃した東京オリンピックを踏まえて「東京大会の悔しさをぶつけてしっかりと決勝に駒を進められたし、真ん中のほうのレーンで泳げるのでよかった。この舞台に立てていることに感謝して、一生懸命泳ぎたい」と意気込んでいました。

 松下知之「落ち着いて泳ぐことができた」
 決勝に進んだ松下知之選手は「予選はすごく緊張したが、まずは練習の成果を出そうと、落ち着いて泳ぐことができた。少し余力を残して泳ぎ切ることができた」と振り返りました。

 決勝に向けては、この種目の世界記録保持者で今大会に出場しているフランスのレオン・マルシャン選手に触れて「マルシャン選手が主役となるような大会だと思うが、どこまで食らいつけるかというところで頑張っていきたい」と意気込んでいました。

*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240728/k10014527561000.html より

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<パリ五輪2024> メダリスト 早田ひな

2024-09-01 05:46:38 | パリ五輪2024

 「早田ひな」 銅-卓球・女子シングルス 銀-卓球・女子団体

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1931100-------------------- より

 早田 ひな(はやた ひな、2000年7月7日 - )は、日本の卓球選手。福岡県北九州市戸畑区出身。左シェーク両面裏ソフトドライブ型。ITTF世界ランキング最高位はシングルス4位、ダブルス1位。段級位は7段。Tリーグは日本生命レッドエルフ所属。同年生まれの平野美宇、伊藤美誠らと共に日本の「女子卓球黄金世代」の1人でかつては控え選手の立場であったが、2020年の全日本シングルスで優勝して以降は日本女子卓球の筆頭格となった。

*Wikipedia より

 卓球 女子シングルス 早田ひな 銅メダル パリオリンピック 2024年8月3日 23時56分 NHK NEWS 

 パリオリンピック、卓球女子シングルスの3位決定戦で、早田ひな選手が韓国の選手にゲームカウント4対2で勝って、銅メダルを獲得しました。

 目次
 早田ひな 平野美宇を破った相手を退け銅メダル

 早田ひな 腕を痛めて「試合直前に注射」

 【解説】“二人三脚でつかんだ銅メダル” 卓球 早田ひな
 早田ひな 平野美宇を破った相手を退け銅メダル
 卓球の女子シングルスは3日、パリ市内の「パリ南アリーナ」で3位決定戦が行われ、世界ランキング5位の早田選手は、準々決勝で平野美宇選手を破った世界8位で韓国のシン・ユビン選手と対戦しました。

 早田選手は、第1ゲームは持ち味のフォアハンドが決まらず、ミスが続いて9対11で落としましたが、第2ゲームは緩急をつけた攻撃で流れを引き寄せ、4連続ポイントを奪うなどして13対11で取り返しました。

 続く第3ゲームは、7対10とリードされた場面で力強いフォアハンドが次々と決まり、一気に5連続ポイントを奪って12対10で連取しました。

 早田選手は、このあとも勢いを失わずに第4ゲームを11対7で取り、第5ゲームは10対12で落としましたが、第6ゲームを11対7で奪い返して、ゲームカウント4対2で勝ちました。

 早田選手は、「2日前の試合で腕を痛めていた」ということですが、日本女子のエースとして初出場したパリ大会で意地を見せ、銅メダルを獲得しました。

 早田ひな 腕を痛めて「試合直前に注射」 
 女子シングルスで銅メダルを獲得した早田ひな選手は「おとといの試合中に腕を痛めてしまい、きょうの試合開始の5分前まで2割から3割ほどの力しか出せない感覚だったが、試合直前に注射を打ってもらって『もしかしたら行けるかも』と思えた。試合中は後悔しないように、どんな結果になっても最後までやり続ける気持ちで、1ゲーム1ゲームを戦いました」と話していました。

 注目
 “黄金世代” エースに成長してつかんだ銅 
 初めてのオリンピックで、日本のエースとして女子シングルスで銅メダルを獲得した早田ひな選手。準決勝以降は、左腕のけがに苦しみながらも、最後までラケットを振り続けました。

 24歳の早田選手は、平野美宇選手、伊藤美誠選手と同い年で“黄金世代”と呼ばれ、3人で切磋琢磨して卓球界をけん引してきました。その卓球人生は幼い頃から活躍してきた2人とは対照的。早田選手は中学、高校と1歩ずつ着実に実力をつけ2人と肩を並べる存在へ。

 しかし、前回の東京大会では、同世代の2人が代表に選ばれるなか早田選手は選考から漏れ、リザーブメンバーとして日本チームを支える役割に徹しました。この悔しさをバネに大きな成長を遂げます。

 2021年のアジア選手権では、女子シングルスと女子団体、それに混合ダブルスで優勝し、3冠を達成すると、2023年には世界選手権の準々決勝で中国選手を破るなどして銅メダルを獲得。パリオリンピックの代表選考レースでも今度は平野選手、伊藤選手に圧倒的な差をつけてシングルス代表の座を勝ち取り、名実ともに日本のエースとなりました。

 そして迎えた、自身初めてのオリンピック。混合ダブルスでは初戦で敗れたものの、シングルスでは順調に勝ち進み、目標としてきた世界ランキング1位の孫頴莎選手と準決勝で対戦。早田選手は利き腕の左前腕部に痛みを抱え、万全の状態で試合ができず、ストレート負けを喫しました。

 それでも試合後「いろんな方がサポートしてくれてけがの回復に努めているので、3位決定戦ではしっかり気持ちに応えられるように全力で銅メダルを目指したい」と前を向きました。

 3位決定戦の相手は、平野選手を準々決勝で破った韓国のエース、シン・ユビン選手。痛み止めの注射を打って試合に臨んだ早田選手は、強化してきた多彩なサーブや持ち味の強烈なフォアハンドなどで主導権を握りました。

 勝利のあと、早田選手は涙を流しながらこれまで支えてきた石田大輔コーチと喜びを分かち合いました。

 同世代の2人を追うように成長し多くの支えを受けてつかんだ銅メダル。しかし、戦いはまだ終わりません。打倒・中国を掲げてきた団体戦が待っています。シングルスに続くメダル獲得へ。より良い色を目指して、エースの自負を胸に戦い続けます。

 出身の北九州市ではメダルに沸く
 早田ひな選手の出身地の北九州市では3日パブリック・ビューイングが行われ、大声援を送った市民らが勝利の喜びを分かち合いました。北九州市小倉北区にある映画館「小倉昭和館」で行われたパブリック・ビューイングには、早田選手に声援を送ろうと市民らおよそ150人が集まりました。

 試合前、地元の応援団の団長を務める井上修さんは「幼いころから応援しています。今までの練習の成果を発揮して笑顔で元気よく試合に臨んでほしいです」と話していました。

 試合は、早田選手が第1ゲームを落としたものの、その後、粘り強く戦い、ポイントを重ねるたびに大きな拍手が起きていました。そして迎えた第6ゲーム。試合を優位に進めた早田選手の勝利が決まると、会場は大歓声に包まれました。

 中学校のときの同級生の石田早優さんは「友達として遊んでいた人がメダルを取ったことは『まさか』という感じで驚きました。みんなでお祝いしてあげたいです」と話していました。

 また、同じく中学校の同級生の廣松奈夏さんは「東京オリンピックに出られず、悔しい気持ちもあったと思いますが、メダルを取ることができてうれしいです。帰国したらお疲れさまと言ってあげたいです」と話していました。

 北九州市の武内和久市長は「北九州市で育ち練習した人が世界で3位になるとは、わがまちの誇りです。すばらしいゲームをありがとうございました」と話していました。

*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240803/k10014535981000.html より

 

 “二人三脚でつかんだ銅メダル” 卓球 早田ひな【解説】 2024年8月4日 5時04分 NHK NEWS 

 「神様に意地悪をされましたけど最後『お前なら乗り越えられる』と言われてるのかなと思って、乗り越えることができて良かった」

 パリオリンピック、卓球女子シングルス。日本のエースとしての成長を支えてきた左腕が悲鳴をあげ、痛み止めの注射を打って臨んだ試合で、早田ひな選手は銅メダルを獲得しました。

 「私より卓球を好きな人はいない」と断言し、“卓球マニア”を自称するほど、卓球愛にあふれる早田選手をこの10年間、ずっと支えきたのが石田大輔コーチでした。 (スポーツニュース部 記者 森脇貴大)

 “この子は絶対に五輪でメダルを取れる”
 早田選手が卓球を始めたのは4歳のころ。

 先に始めていた姉の卓球教室の送り迎えについていっていたのがきっかけで、そこが石田コーチの両親が指導している教室でした。

 1メートル67センチの女子の卓球選手としては長身の早田選手の持ち味は、左腕から繰り出す男子顔負けの強烈なフォアハンド。

 しかし、実は卓球以外はすべて右利き。

 卓球で左打ちにしたのは、石田コーチの母の「この子は足は左利きなんじゃないか。その足の力を利用したパワーを生かせる」という助言からでした。

 そして、石田コーチの両親が早田選手を指導したあと「ひなのドライブを世界一にしてね」と託され、当時、勤めていた会社を辞めて早田選手の指導に専念したのが石田コーチでした。

 当時について「早田選手の努力と姿勢を見たときに、この子なら絶対にオリンピックでメダルをとれると思った」と振り返ります。

 10年間 支え続けたコーチ
 それから10年、石田コーチは、卓球の指導や戦術の考案はもちろんのこと、早田選手の食事づくりまでありとあらゆる面で支え続けてきました。

 シングルスのエースとして臨んだ初めてのオリンピックの舞台。

 準々決勝の北朝鮮の選手とのフルゲームの激闘を終えたあと、早田選手の左腕が疲労の蓄積などもあって悲鳴をあげたのです。

 世界ランキング1位の孫頴莎選手との準決勝では、痛みから本来の実力を発揮できず、ストレート負けしました。

 3位決定戦まで残された時間はおよそ20時間。

 自分ができる最大限のサポートを 
 準決勝後、7時間にもおよぶ医師の治療をうけたという早田選手を石田コーチは「自分ができる最大限を」と懸命にサポートをしました。

 みずからも腕にテーピングをし、動きにどんな制限が出るか実際に確かめたうえで、早田選手と一緒に戦術を考えました。

 そのうえで試合開始の5分前に痛み止めの注射を打つと、早田選手は「やれるかもしれない」とコートに出ました。

 試合が始まると石田コーチは、強化してきた多彩なサーブを有効に使うことなどともに考えた左腕の負担を抑える戦術をアドバイスし、笑顔を絶やさず、早田選手を鼓舞し続けました。

 二人三脚でつかんだ銅メダル 
 そうしてたどり着いた銅メダル。

 勝利を決めたあと早田選手は石田コーチのもとに駆け寄り、抱き合って喜びを分かち合いました。

 試合後、石田コーチは「奇跡です。本当に努力が報われて良かった。金メダルとはいかなかったが、その価値に値すると思う」と話したうえで、「準々決勝まではやっぱりすごいな、楽しいなだったが、左腕の痛みが出て急にまずい、まずいとなって、これはもうだめだ、どうしようってところからのメダル獲得。世界一のジェットコースターに乗ってるみたいな感じ」と笑顔で話しました。

 一方、早田選手は「けがをしてからずっと隣で支えてくれて、石田コーチには感謝しきれないほど感謝している。銅メダルを獲得できて少し恩返しができたかなという思いはある。周りの人のたくさんのサポートがあってできたことなので、私の中では金メダルより価値がある」と話しました。

 石田コーチの両親が見いだした卓球での左打ち。

 それを10年かけて開花させ、二人三脚でつかんだ銅メダルです。

*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240804/k10014536371000.html より

 早田ひな「4年後に金を」 パリ五輪 卓球日本代表の報告会 2024年8月27日 20時51分  NHK NEWS

 パリオリンピックに出場した卓球日本代表の報告会が開かれ、団体とシングルスで2つのメダルを獲得した早田ひな選手は「4年後に金メダルを取るために頑張っていきたい」とさらなる飛躍を誓いました。

 日本卓球協会が東京 港区のホテルで開いた報告会には、早田選手のほか、平野美宇選手と張本美和選手、それに張本智和選手と篠塚大登選手のパリオリンピック日本代表の5人の選手が出席しました。

 女子は団体で4大会連続のメダルとなる銀メダル、シングルスで早田選手が銅メダルを獲得しましたが、メダルが授与されたのは選手だけだったため、報告会では、女子の3人の選手から渡辺武弘監督に協会が作った特製のメダルが贈られました。

 そのあと、選手たちがあいさつし、2つのメダルを獲得した早田選手は「腕のけがをしたときは棄権するのではないかという気持ちもあったが、1%でも可能性があるのであればコートに立ち続けようと思い、戦うことができた。4年後に金メダルを取るために自分に厳しく、期待に応えられるように頑張っていきたい」とさらなる飛躍を誓いました。

 また、メダル獲得はならなかった男子のエース、張本選手は「3種目に出場して1つもメダルを取れなかったのはすごく悔しいが、自分ができる最高のプレーができたと胸を張って言える。次の4年間、プレーの戦術などを増やして、後悔がないように努力していきたい」と話していました。

 選手たちには協会の規程に基づいて報奨金が贈られ、銀と銅の2つのメダルを獲得した早田選手は500万円の目録を受け取りました。

*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240827/k10014561351000.html より

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