■ 編成を考える
山手線の73形は17m車との混結編成ながら、8両化されたのは早く、昭和26年末には終えています。
フル編成での再現も少し考えましたが、これまで作ってきたほかの山手線電車の編成との兼ね合いも考慮し、6両編成としました。以下のような編成で作ろうと思っています。
奇数向き(池袋) 東京 (品川)偶数向き
Mc73 + T78 + M72 + T78 + M72 + Mc73
この編成でいけば、とりあえず手持ちパーツでやりくりできそうです。
工作は、明日以降ですので、あしからず。
実車の話ですが、
この頃の山手線は、田端から田町までは京浜東北線と線路を共有していましたが、これでは増発もままならないという訳で、線増工事を経て昭和31年末から現在のような分離運転が始まりました。
と、ここまではいろいろな雑誌にも出ていますが、分離運転が始まるまでの話はそれ程見聞きしません。
グランプリ出版の「首都圏の国電」という単行本には、その辺の記述があったのですが、驚きの内容もありました。同じ線路に京浜東北と山手が一緒に走り、それも両線ともブドウ色一色の電車とあっては間違えやすいのは目に見えています。ということで、誤乗防止のためにいろいろ手段が講じられてきました。
写真を見ていてすぐに気づくのが、扉間の中央の窓上に貼られたステッカー。「京浜東北」、「山手」とそれぞれに書かれたものが貼られていました。サボに比べれば小さなステッカーですが、モノクロ写真だと結構目立っています。
そしてなんと驚きの記述とは、現在のラインカラーの元祖かもしれないことが行われていたのです。
山手線の電車の塗装を分離運転まで緑色!に塗っていたというのです。残念ながら写真を探すことは出来ませんでした。どんな緑色だったのか知りたいなぁ。
103系投入でウグイス色が山手線カラーになりましたが、それに近い色が一度は山手線を走る電車に塗られていたという事実を知り、何か感慨深い気持ちになりました(大げさか)。
因みに、分離運転が始まった後は、ブドウ色に戻されたそうです。あくまでも誤乗防止のための臨時措置だったのでしょう。電車はブドウ色という基本まではまだ崩せなかったのか?
どんな色合いの緑か分かったら塗り替えてもいいかなぁ~なんて思いもしましたが、
旧国の場合、ガラスパーツの窓枠まで車体色で塗らねばならないので、73形特有の三段窓にマスキングを施すことを6両分するとなると、考えるだけで避けたくなりますね。
続く…