4月19日「日本軍性奴隷を許さない」の「4・23アクションの10年とこれから」のボランティア市民活動センターで開催されたフォーラムに参加しました。
「金賢玉(キム・ヒョノク)さんを偲んで」の2編の映画の上映からはじまりました。キムさんは1942年、兵庫県に生まれ、朝鮮大学校卒業後、沖縄の「復帰」後、沖縄に行き、在沖朝鮮人の権利獲得運動に取り組むなかで、ぺ・ポンギさんに出会ったそうです。ぺ・ポンギさんは1943年「軍隊慰安婦」として約60名の朝鮮女性とともに釜山からだまされて下関へ。1944年11月日本軍の輸送船に乗せられ、沖縄に連れていかれ、渡嘉敷島の赤瓦の家で他6名の朝鮮女性たちと「慰安婦」としての生活を強いられたのです。沖縄戦のあとも沖縄に残り、沖縄が「復帰」したあと、1975年「残留許可証」の手続きで「慰安婦」として連れてこられたと告白せざるをえなくなりました。そのころにキム・ヒョノクさんと出会い、1991年10月に亡くなるまでの交流を描いた2編の短い映画でした(1991年は韓国のキム・ハクスンさんの「慰安婦」被害を告白した年です)1989年、昭和天皇が死んだとき、ぺ・ポンギさんは「え、なぜね。謝りもせんと逝きよって」「謝ってほしいさ」「仇を討ってくれ」と繰り返し言っていたという。
4・23アクションは、ぺ・ポンギさんが1977年4月23日に朝鮮新報に初めて自らの「日本軍慰安婦」としての被害を告発したのを契機に、2015年から始め、今年はちょうど10年。10年を振り返り、ぺ・ポンギさんの思いを引き継ぎ、日本軍性奴隷制の歴史を否定する動きに反対し、朝鮮半島の分断を克服する取組を進めていこうと在日朝鮮人人権協会のパクキム・ウギさんが報告・提起しました。
そして、4月23日は新宿東口駅前にあつまり、スタンディングとデモへの参加を呼び掛け、フォーラムは終了しました。立ち見も含め100人以上が参加し、会場は満杯でした。
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