〔諸国漫遊@見聞ログ〕(続)写真する山旅人

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20201114 木地師伝説の奥山〔番外(隠山)(紅葉)トレック 8/▲六郎山〕山頂奥の岩場からは県央〜県南山岳をぐるり大展望

2020-11-14 | 〔歩く徳島 番外編〕

今朝も日の出前に目が覚めた。

[日の出前のトワイライト]

 

[ドウダンツツジの赤が鮮やかだ]

 

[日の出頃のパノラマ]

 

[そして、朝日が輝いた]

 

[朝日を浴びる▲日明山(上)、本日予定の▲六郎山(下)]

 

[前回にも増して真っ赤なドウダンツツジ]

 

日の出風景を撮影してから出発した。

今日は目前に見える木地師伝説の奥山▲六郎山(隠山)を予定している。

以前の2004.8月豪雨で大災害を受けた大用知の集落を抜けて、登山口広場に着いた。

[過去(2004.8月)に豪雨災害のあった大用地地区]

 

[登山口から雑然とした杉林の中を進む]

 

出発後直ぐの所で、国土調査のピンクテープや木杭と山師の赤ペンキなどに惑わされ、二度も進路を間違ってしまった。

[目印があちこちに多く、全く紛らわしい]

 

[正しい目印は、赤テープと積まれた岩のようだ]

 

何とかようやく、ガイド本にも載っていた造林小屋のある「木地師の辻」に到着した。

かつては、木地師(きじし)または轆轤師(ろくろし)と呼ばれる人たちがいた。

椀や盆などの木製食器を作っては良木を求めて山から山へと移り住む「漂泊の民」である。

それだけ、この▲六郎山は良木に恵まれた山だったのだろう。

徳島県内には、つるぎ町一宇の木地屋、山城町の木地屋敷、六呂木、佐那河内村と上勝町との境に▲轆轤山など木地師に関係のある地名や山名が残されている。

この▲六郎山は轆轤からと推察されているらしい。

[墓碑まである「木地師の辻」]

 

 

[岩ケルンを目印に杉林を登って行く]

 

杉林から荒れた急傾斜の雑木林を登り詰めると主稜線上に出た。

[稜線で右奥にある山頂に向かう]

 

ここまで来れば、木々も疎らになり見通しがきくので、間違うことはない。

[太いブナも見られた]

 

まもなく、目前に▲高城山が見渡せる▲六郎山頂上に到着した。

山頂では、県央の名峰▲高城山と対峙すると共に、眼下に小さく四季美谷温泉館を見下ろせた。

[眼下に四季美谷温泉館(左下)、目前には▲高城山(右下)]

 

 

[▲六郎山頂上のパノラマ]

 

 

[目前に▲高城山が大きく見える]

 

誰も居ない山頂で昼食を食べて休憩。

東側は樹林が目障りなので、尾根筋を奥へ進んだ。

[尾根筋を奥へ進むと東側の山並が見渡せる]

 

展望の良い岩場で暫く撮影した。

[岩場の目前には▲カロート山のピークか?、奥には▲西子三山だろうか?]

 

ピークまで行けそうであったが、樹林に覆われている様なので止めた。

[▲樫戸丸だろう]

 

 

[▲カロート山~手前に▲日明山か?]

 

 

[県南の山並]

 

 

[▲高城山~手前に▲カロート山のパノラマ]

 

 

[目前に▲カロート山と対峙する]

 

 

[今朝の車中泊していた木沢花木園も確認]

 

 

[足元にも秋の彩り]

 

[出羽集落を取り囲む山並]

 

展望の岩場でUターンした。

[帰路はGPSでも確認しながら戻った]

 

登山口手前で藍住からの単独者と出会っただけの静山歩だった。

[GPSでも二度の道迷いを確認]

 

下山後は、先ほどの単独者と暫く山談義。

その後はクルマで夕食を自炊してから、四季美谷温泉に向かった。

若い支配人と暫く話し、11/28の閉館前に最後の入浴となった。

今後は山行ルートから考え直さなければならない。

そして今夜も木沢花木園で車中泊にしました。