千葉ロッテの主砲井上が女子プロレスラーアジャ・コングに似ているためアジャとあだ名がついたそうな。春先ぐらいから話題になっていたが、女子プロレスファンは響き的にスーパー・マニアックスアジャ&井上京子を思い出してしまうだろう。ちなみにデイリィースポーツに昔一時期京子がアダモ井上と表記されていたことがあった。実際使われていたのかは定かではない。アジャは本名の宍戸江利花からアジャ宍戸、ザ・アジャ、ブラック・サンデー、コング・アジャを経てアジャ・コングに落ち着いた。
1990年に」組まれたカード。神谷が得意の正拳突きなどで攻めたが一瞬の丸め込みで後輩の豊田に負けてしまう。悔しくてたまらない神谷は執拗に負けてないと詰め寄る。よくあることだが試合のときにそれを出せと解説の長与千種は言っていた。スイートハーツは豊田が台頭してきた感があった。二人で水着も豊田ピンク、下田水色とお揃いの模様。まだあどけなさが残る。
Jdでエース候補と期待されたバイソン木村。しかし不甲斐なくその期待に応えられずにいた。そんなとき謎の覆面レスラー麗華が登場してバイソンに発破をかけた。正体は師匠のジャガー横田だった。最後に自分の額を釘みたいなもので割り血を流し、それを倒れているバイソンに垂らすという不気味なパフォーマンスをした。しかしあえなくバイソンは引退してしまった。
85年組でがけっぷちトリオという有難くないネームをつけられていた岡林。デビューして1年足らずで辞めてしまった。歌舞伎の浮世絵のガウンを着けていた。少年隊も同じのを着ていたのを見たことがある。
引退セレモニーをせずに去ったクレーン・ユウがマスクをつけて88年に復活した。ダイナマイト軍団の大将的な存在となった。ブル中野とタッグリーグザベスト88にも出場。決勝進出はならなかった。そう考えると歴史は続くジャパングランプリ85でダンプ松本のセコンドについてユウを痛めつけた新人時代、同グランプリでの極悪ナンバー2、ナンバー3の対決。両コーナーからあの極悪同盟のテーマが流れ出した時、吹き出しそうになったことを思い出した。