コンドル斉藤は三日月蹴りが話題になった。85年夏極悪同盟入りし、武道館大会で試合には出場しなかったが急に金髪になってセコンドに登場したのには驚いた。ダンプのメイクを担当。ちなみに全身にメイクするといいわよとアドバイスしたのは当時来日していたベルベットマッキンタイヤーだったそうだ。コンドルもブルとのコンビでWWWAタッグを獲得。
永堀一恵って脇役だったけれど今思い出すと味わい深い。ブルの全日本選手権に85年と86年正月2回挑戦したがだめだった。レッドタイフーンズでは全日本タッグ、WWWAタッグを獲得した。86年長与、永堀でもWWWAタッグに挑戦している、ダンプ・ブル組に勝てなかった。こう振りかえると実績をちゃんと残している。しかしコンドル斉藤と2人クラッシュよりも先に引退するとは思わなかった。
デビル軍団の頃、怪獣仮面と呼ばれて子供達にすごく人気があった。昔、父と素顔になったユウが控え室から出てくるところを見て興奮したのを覚えている。地元のスーパーに着た時はダンプとの極悪対決で負けてレフェリーになっていた。その後復帰しダイナマイトジャックとしてリングに上がるようになった。細かい事情は覚えていないが、素顔を明かされた後立野との試合で「もう潔くマスクを取れ」と言われていたのを覚えている。高1の時テレビで見た。
デビルとダンプはデビル軍団解散時に遺恨のある同志だった。女子プロをみはじめて間もないころ2人のオールパシフィック戦を見たことがある。すでにデビルは悪役を辞めていたが、ジャガーとデビル、見た目は自分の中でそう変わらないな。でもこれぞ女子プロレスって感じ。自分がそう感じたのはあとクレーン・ユウ凄みがあった。試合後汗でパーマがくしゃくしゃになって妙な色気があったのを覚えている。
とても弱くてデビューからの87連敗はいまだ女子プロレスファンの間では語り継がれている。2年ほど前バンビという娘がミミのオマージュで白いワンピースの水着を着て話題になった。その後ドレスアップファイトで着るような私服風のコスチュームでヒールに変身していった。