85年組でがけっぷちトリオという有難くないネームをつけられていた岡林。デビューして1年足らずで辞めてしまった。歌舞伎の浮世絵のガウンを着けていた。少年隊も同じのを着ていたのを見たことがある。
引退セレモニーをせずに去ったクレーン・ユウがマスクをつけて88年に復活した。ダイナマイト軍団の大将的な存在となった。ブル中野とタッグリーグザベスト88にも出場。決勝進出はならなかった。そう考えると歴史は続くジャパングランプリ85でダンプ松本のセコンドについてユウを痛めつけた新人時代、同グランプリでの極悪ナンバー2、ナンバー3の対決。両コーナーからあの極悪同盟のテーマが流れ出した時、吹き出しそうになったことを思い出した。
1988年全女マットに覆面軍団が現れたが、当初のリングネームが間抜けだ。岩本久美子がパイレーツ熊、仲前芽久美がドリルドライバー。のちにダイナマイトベア、ダイナマイトクイーンに変更になるが今となっては爆笑ものだ。