1977年78年と2年連続で大盛況のうちに終わったビューティペアショー。会場は浅草・国際劇場。私ずっとスターの手形がいっぱい飾ってある浅草公会堂と勘違いしていました。どちらの年の公演かわかりませんが、よく昔の全女ヒストリーのビデオにジャッキー王子とマキ姫のベルサイユのバラ風のミュージカルが出てきますね。残念ながら79年ビューティが解散してからの同所での「熱闘!!ジャッキー佐藤」という単独のコンサートは全くの不入りになってしまいました。クイーンエンジェルスとゴールデンペアも応援出場しました。
女子プロレスララバイに書いてあったが、クラッシュが炎の聖書でレコードデビューするときリング屋さんに反対された。「大関だってレコードを出せば負け越すんだぞ」と言われたらしい。時代的に琴風とかかなと思われるが?その殺し文句が面白いと思いません?
1991年立野記代の引退試合で小松美加を発見。真っ赤な服を着ていました。88年頃の全女のパンフレットに載っていた服と同じだったのではないかと?靴も赤いハイヒールでした。とにかくどぎつくて目立っていました!ニンニンはあまり表舞台には出てきませんね?1998年の全女30周年のセレモニー、レディゴンのあのOGは今以来お見かけしません。元気でしょうか?
1987年に宇野久子と堀田祐美子がWWWAタッグに挑戦し戴冠する快挙があった訳だが。その頃の入場時の2人のガウンは男子プロレスラーやボクサーが着るようなものだった。宇野は水色の着流しのようなもので猪木や藤波を思い起こさせる。堀田はより色の濃い青の胸が開いたもの。2人ともボーイッシュで新日本のヤングライオンみたいだった。
ジャパン女子プロレスが旗揚げされることが発表されたのが1986年の1月。久しぶりにジャッキー佐藤とナンシー久美がメディアの前に現れた。東スポの一面を飾っている。同じ時にスペースシャトルが爆発した記事が載っていた。そんなこともあったなあと感慨深いものがあった。たまに世相とプロレスを合わせて思い出すのも面白いですね?