じぶんの足でたつ、それが教養なんだ

「われこそは」と力まないで、じぶんの歩調でのんびりゆったり歩くのがちょうどいい。

忘れられた日本人(承前)

2006-12-30 | 歴史(history)
 『忘れられた日本人』が公刊されたのは1971(昭和46)年4月。それから十年後の81年1月30日に、宮本さんは亡くなられました。74歳でした。その宮本さんもまたいつしか「忘れられた日本人」となる。人間が歴史をつくるのではなく、悠久の時間が紡ぎだすものだからです。
 どのようなねらいをもって『忘れられた日本人』は書きとめられたのでしょうか。「これらの文章ははじめ、伝承者としての老人の姿を描いてみたいと思って書きはじめたのであるが、途中から、いま老人になっている人々が、その若い時代にどのような環境の中をどのように生きてきたかを描いてみようと思うようになった。それは単なる回顧としてではなく、現在につながる問題として、老人たちのはたしてきた役割を考えてみたくなったからである。(略)
 一つの時代にあっても、地域によっていろいろの差があり、それをまた先進と後進という形で簡単に割り切ってはいけないのではなかろうか。またわれわれは、ともすると前代の世界や自分たちより下層の社会に生きる人々を卑小に見たがる傾向がつよい。それで一種の悲痛感を持ちたがるものだが、ご本人たちの立場や考え方に立ってみることも必要ではないかと思う」(宮本常一『忘れられた日本人』「あとがき」)
 「が私の一ばん知りたいことは今日の文化をきずきあげてきた生産者のエネルギーというものが、どういう人間関係や環境の中から生まれ出てきたかということである」ともいわれ、「忘れられた世界やそこに生きる人びとを含めて、歴史は特別の有名な人びとによってのみつくられているのではなく、大ぜいの民衆によってつくられていることを知ってもらいたい」とも、同じ「あとがき」で述べられているのです。