じぶんの足でたつ、それが教養なんだ

「われこそは」と力まないで、じぶんの歩調でのんびりゆったり歩くのがちょうどいい。

地方性を云々する理由

2007-01-20 | 歴史(history)
 小砂丘忠義さんの俳句をいくつか。

 大芭蕉悠然と風に誇り鳴る
 破れ裂けし芭蕉葉にふり注ぐ雨
 涸れ沼に崩折れし葉あり大芭蕉
 巨葉鳴らし風呑まんずと大芭蕉
 大芭蕉葉鳴りゆたかに風をのむ

 小砂丘さんが妻からシャツを「買ってきて」と頼まれたのに一ヶ月も忘れていたら、妻は自分で買ってきた。それをみせびらかしながら、「これでやっとせいせいした、頼んだって買ってくれないんだから」といった。小砂丘さんは冗談交じりに「それはすまなかった。おかげで寒いめにあったね」と相槌をうった。ところが驚いたことに、妻は「寒ければいいのだが、ずっと冬物で、暑苦しくてたまらなかった」といったそうです。
 「シャツがなければ寒いだらうとは我ながら迂闊であつた。ないために却つて暑くるしいことさへあり得ることに気づいてゐなかつたのだ。かういふ認識不足をしでかしがちなのを是正したさにこそ殊更に〈地方性〉を考へなおさうとしてゐるのだつた」(「綴方生活」第七巻 第五号・昭和十年五月発行)
 概念でものをいう、概念に振りまわされる、こんな姿勢を木っ端みじんに砕こうとしたのがかれのやろうとした「綴方」の実践でした