第一条・毎朝早ク起キ顔ト手ヲ洗ヒ口ヲ漱キ髪ヲ掻キ父母ニ礼ヲ述ヘ朝食事終レバ学校ヘ出ル用意ヲ為シ先ツ筆紙書物等ヲ取揃ヘ置キテ取落シナキ様致ス可シ
第二条・毎日参校ハ受業時限十分前タルベシ
第三条・校ニ入リ席ニ就カントスル時教師ニ礼ヲ致ス可シ
第四条・席ニ着キテハ他念ナク教師ノ教ヘ方ヲ伺ヒ居テ仮リニモ外見雑談等ヲ為ス可カラズ
第五条・教師ノ許シナクシテ猥リニ教場ヘ入ル可カラズ
第六条・受業ノ時刻至レバ扣席ニ於テ銘々ノ席ニ着キ教師ノ指図ヲ待ツ可キ事
第七条・若シ受業ノ時限ニ後レ参校スル時ハ猥リニ教場ニ至ル可カラズ遅刻ノ事情ヲ述ベテ教師ノ指図ヲ待ツ可キ事
第八条・出入ノ時障子襖等ノ開閉ヲ静カニス可シ書物ノ取扱方ハ成丈ケ丁寧ニシテ破損セザル様ニス可シ書物ヲ開クニ爪ニテ紙ヲ傷メ又ハ指ニ唾シテ開クル事無カルベシ
第九条・毎日ヨク顔手衣服等ヲ清潔ニシテ参校スベシ
第十条・生徒タル者ハ教師ノ意ヲ奉戴シ一々指揮ヲ受クベシ教師ノ定ムル所ノ法ハ一切論ズ可カラズ我意我慢ヲバ出ス可カラズ
第十一条・受業中自己ノ意ヲ述ベント欲スル時ハ手ヲ上ケテ之ヲ知ラシメ教師ノ許可ヲ得テ後ニ言フ可シ
第十二条・人ヲ誹議シ或ハ朋友ト無益ノ争論致ス可カラズ 但シ文学問答ノ儀ハ苦シカラズ然レ共語ヲ敬ミ礼儀ヲ失ハズ喧シク語ル可カラズ豪慢不遜ノ語ヲ出ス可カラズ
第十三条・師友又ハ其他知リタル人ニ逢ヒタランニハ礼儀ヲ尽シテ挨拶ス可シ帽アルトキハ之ヲ脱ス可シ
第十四条・便所ニ行キタラバヨク心ヲ用ヰテ便所又ハ衣服ヲ汚サヌ様ニス可シ
第十五条・人ノ部屋ニハ案内ヲ乞テ後ニ入ル可シ
第十六条・校内ハ勿論他所タリ共相互ヒノ交リハ親切ニ為シ挨拶応接等謙遜ヲ旨トシ決シテ不敬不遜ノ振舞アル可カラズ
第十七条・途中ニテ遊ビ無用ノ場所ニ立ツ可カラズ無益ノ物ヲ見ル可カラズ疾ク走ル可カラズ若シ馬車等ニ逢フコトアラバ早ク傍ニ避ケテ馬車等ノ妨ニナラズ自身モ怪我ナキ様ニス可シ
今週の番茶は「小学生徒心得」です。文部省が定めたもので、明治六年のことですから、学校制度が創立された(明治五年)直後の「世話焼き」のはしりでありました。「教師の指揮を受けろ」「教師の許可を得ろ」「疾(はや)く走るな」とうるさいことおびただしい。この「うるささ」はいまにつづいているのではないでしょうか。学校は人間を信用しないところのようです。
生徒は私有物にあらずして、大事な「国宝」だったかどうか、とにかく国家の好き勝手にこしらえられる「材料」であったことだけはたしかです。
現代の「生徒」になるのもいやだけど、明治の「生徒」もごめんですね。つまるところ、学校はひとりの人間が、自分らしく生きるところじゃないという話です。そんな「勝手」はけっして許されなかったのです。「書物ヲ開クニ爪ニテ紙ヲ傷メ又ハ指ニ唾シテ開クル事無カルベシ」うるせえ、黙れ。(華ノ落第士)
第二条・毎日参校ハ受業時限十分前タルベシ
第三条・校ニ入リ席ニ就カントスル時教師ニ礼ヲ致ス可シ
第四条・席ニ着キテハ他念ナク教師ノ教ヘ方ヲ伺ヒ居テ仮リニモ外見雑談等ヲ為ス可カラズ
第五条・教師ノ許シナクシテ猥リニ教場ヘ入ル可カラズ
第六条・受業ノ時刻至レバ扣席ニ於テ銘々ノ席ニ着キ教師ノ指図ヲ待ツ可キ事
第七条・若シ受業ノ時限ニ後レ参校スル時ハ猥リニ教場ニ至ル可カラズ遅刻ノ事情ヲ述ベテ教師ノ指図ヲ待ツ可キ事
第八条・出入ノ時障子襖等ノ開閉ヲ静カニス可シ書物ノ取扱方ハ成丈ケ丁寧ニシテ破損セザル様ニス可シ書物ヲ開クニ爪ニテ紙ヲ傷メ又ハ指ニ唾シテ開クル事無カルベシ
第九条・毎日ヨク顔手衣服等ヲ清潔ニシテ参校スベシ
第十条・生徒タル者ハ教師ノ意ヲ奉戴シ一々指揮ヲ受クベシ教師ノ定ムル所ノ法ハ一切論ズ可カラズ我意我慢ヲバ出ス可カラズ
第十一条・受業中自己ノ意ヲ述ベント欲スル時ハ手ヲ上ケテ之ヲ知ラシメ教師ノ許可ヲ得テ後ニ言フ可シ
第十二条・人ヲ誹議シ或ハ朋友ト無益ノ争論致ス可カラズ 但シ文学問答ノ儀ハ苦シカラズ然レ共語ヲ敬ミ礼儀ヲ失ハズ喧シク語ル可カラズ豪慢不遜ノ語ヲ出ス可カラズ
第十三条・師友又ハ其他知リタル人ニ逢ヒタランニハ礼儀ヲ尽シテ挨拶ス可シ帽アルトキハ之ヲ脱ス可シ
第十四条・便所ニ行キタラバヨク心ヲ用ヰテ便所又ハ衣服ヲ汚サヌ様ニス可シ
第十五条・人ノ部屋ニハ案内ヲ乞テ後ニ入ル可シ
第十六条・校内ハ勿論他所タリ共相互ヒノ交リハ親切ニ為シ挨拶応接等謙遜ヲ旨トシ決シテ不敬不遜ノ振舞アル可カラズ
第十七条・途中ニテ遊ビ無用ノ場所ニ立ツ可カラズ無益ノ物ヲ見ル可カラズ疾ク走ル可カラズ若シ馬車等ニ逢フコトアラバ早ク傍ニ避ケテ馬車等ノ妨ニナラズ自身モ怪我ナキ様ニス可シ
今週の番茶は「小学生徒心得」です。文部省が定めたもので、明治六年のことですから、学校制度が創立された(明治五年)直後の「世話焼き」のはしりでありました。「教師の指揮を受けろ」「教師の許可を得ろ」「疾(はや)く走るな」とうるさいことおびただしい。この「うるささ」はいまにつづいているのではないでしょうか。学校は人間を信用しないところのようです。
生徒は私有物にあらずして、大事な「国宝」だったかどうか、とにかく国家の好き勝手にこしらえられる「材料」であったことだけはたしかです。
現代の「生徒」になるのもいやだけど、明治の「生徒」もごめんですね。つまるところ、学校はひとりの人間が、自分らしく生きるところじゃないという話です。そんな「勝手」はけっして許されなかったのです。「書物ヲ開クニ爪ニテ紙ヲ傷メ又ハ指ニ唾シテ開クル事無カルベシ」うるせえ、黙れ。(華ノ落第士)