じぶんの足でたつ、それが教養なんだ

「われこそは」と力まないで、じぶんの歩調でのんびりゆったり歩くのがちょうどいい。

星月夜

2006-11-11 | 歴史(history)
 65年前の「里の秋」

 きれいな きれいな 椰子の島
 しっかり 護って 下さいと
 ああ 父さんの ご武運を
 今夜も 一人で 祈ります

 大きく 大きく なったなら
 兵隊さんだよ うれしいな
 ねえ 母さんよ 僕だって
 必ず お国を 護ります

 これは小学校教師であった斎藤信夫さんが作られた詩です。昭和16年のことでした。帝国はアメリカとの負け戦に突入、教室では少国民をあおりにあおった教師たちが五万といた時代でした。それは聖戦に身命を賭した聖職者たちだったでしょうか。いまではこのような聖職観は絶滅したと言いたいのですが、とってかわって、新手の「生殖者」教師が出没しています。
 斎藤さんは敗戦と同時に教師稼業を辞しました。戦争責任を感じてのことだったといわれます。45年の12月24日「星月夜」は装いをあらためて登場しました。NHKの電波にのって、少女歌手の川田正子さんの透きとおるような声音がたくさんの人びとのこころをとらえたのです。

 静かな 静かな 里の秋
 お背戸に 木の実の 落ちる夜は
 ああ 母さんと ただ二人
 栗の実 煮てます いろりばた

 明るい 明るい 星の空
 鳴き鳴き 夜鴨の 渡る夜は
 ああ 父さんの あの笑顔
 栗の実 食べては 思い出す

 さよなら さよなら 椰子の島
 お舟に ゆられて 帰られる
 ああ 父さんよ 御無事でと
 今夜も 母さんと 祈ります

 斎藤信夫作詞、海沼實作曲。新しい酒?こそは古い革袋に、ということだったのですね。時が経っていつの日か、新しい酒はもとの味わいにもどることでしょう。