じぶんの足でたつ、それが教養なんだ

「われこそは」と力まないで、じぶんの歩調でのんびりゆったり歩くのがちょうどいい。

寄合(承前)

2006-12-16 | 歴史(history)
 私は、かつて村々をさかんにあるきまわっていたころ、村の集会によく出会ったことがある。戦前の集会には意見の対立による論争はほとんどなかった。集会の話しあいそのものが一つの物語であった。多くの古風をのこす対馬西岸のある村で、昭和二五年に見た村寄合は朝早くからはじまって夕方までつづいていた。…話と話が縄をなうようにないまぜられていって方向を見出すのである。…
 それが戦後になると、ずっと変わって来た。対立した意見のもとに論争せられるようになったが、この場合にはむしろ感情の対立の方がさきに立って、自己の意見の主張のみに終わって、いわゆるきく耳をもつことが少なくなった。この変化は日本の民衆社会の変化の中でも大きなものの一つであった。もともと立場を異にするものに対しては無批判、不干渉が普通であった。それが一つの場に出会った場合、全く対立の形で自己主張がなされ、妥協はむしろなれあいとさえ感ぜられたのは、小社会ににおける心情の統一がつよければつよいほど、他の立場に対する拒否性もつよくあらわれることによるものだと思われる。
 つまり異質なものに対しては決してきき上手ではなかったのである。しかし今もっともつよく日本人に要求せられているのはきき上手ということである。民衆の持ったきき上手が拡大せられることである。きき上手であったことから、民衆は意識しないうちに共通の知識や言葉を持つようになっていった。(『日本を思う』)