じぶんの足でたつ、それが教養なんだ

「われこそは」と力まないで、じぶんの歩調でのんびりゆったり歩くのがちょうどいい。

先づ綴方から

2007-01-13 | 歴史(history)
 「最初の学校が最も長く私を容れてくれて三年間。いわゆる新卒の猛烈さを以て一本調子に突進した。私は水泳用の褌(ふんどし)に名前を書いてあるというので、村の巡査が『褌に名前を書く男を初めてみた。あいつはほんとうに狂人だ』と、村の内外をふれ歩く。巡査さんのいうことにまちがいはないというので『夜もろくろく眠らんで、髪をのばして変な奴だと思ったが、かはいそうにほんとうの狂人になったのか』と近所の教員連までが狂人扱いするという程度の文化をもった村であった。しかしそこの校長(中島虎義)は、その私を可也に知ってくれていたので、村人との間に立って数回ならず彼等を説得してくれていた。油ののりきった私は、身体も頑健以上の幸運に恵まれて、その三年を痛快に送ることが出来た」
 師範学校の四年間はけっして快適なものではなかった。また杉小学校時代も周囲の理解を得られなかった。それはあまりにも彼が自尊独立の気概が強かったからでもあるし、逆に「教育の世界」が因循姑息を絵に描いたように頽廃していたからでもありました。いつに変わらぬ風潮があったのです。
 「先づ綴方から―と考へて私は教壇に立った」
 ここに綴方生活は着実に始められていたのです。