じぶんの足でたつ、それが教養なんだ

「われこそは」と力まないで、じぶんの歩調でのんびりゆったり歩くのがちょうどいい。

隣の家に倉がたつと腹がたつ(承前)

2006-12-23 | 歴史(history)
 生産単位としての家をつぐことは、共同体としての村の一員になることでもあった。小さな個々の生産体が集合して村落共同体は成立したのである。
 村の中の耕地面積は一定している。それをある一人が買い集めたとすれば、その周囲には貧しいものが出て来るのが当然の姿であった。一人が富むことによって周囲もうるおうというようなことのないのが日本の村の姿であった。「隣の家に倉がたつと腹がたつ」とか「隣の家の没落は鴨の味」などというのは農村の経営がどういうものであるかを物語るもので、それは限られた土地を限られた人びとによって経営していく場合に、必然的におこって来る現象であったと言っていい。
 隣の家の発展を素直に喜べない事情は、それが自分の家の衰微につながるとことにあった。明治の中ごろまでは、そのような家がギッシリと日本の国土を埋めていたのである。(『日本を思う』)