じぶんの足でたつ、それが教養なんだ

「われこそは」と力まないで、じぶんの歩調でのんびりゆったり歩くのがちょうどいい。

なんで学校へやるの?

2006-05-27 | 教育(education)
 Teach your own - A Hopefull Path for Education by John holt ―アメリカのホームスクール運動の推進者であったJohn Holt(ジョン・ホルト)の著書のタイトルです。(邦訳は『なんで学校へやるの』一光社刊)    「学校」を変革することは可能か?―という問いに、「否」の答えを返す前に、私はより根底的な疑問を抱くようになりました。「学校」と . . . 本文を読む

教師と生徒の面談―教師について

2006-05-20 | 教室(classroom)
 反学校の文化の内奥から表層まで一貫している特徴は、「権威=当局」(オーソリティ)に対する、類型的でもあれば個性的でもある抜きがたい敵愾心である。(P.ウイリス『ハマータウンの野郎ども』ちくま学芸文庫版。以下も)  ジョウイ 教師はおれたちを処分できる。教師はおれたちよりもえらいんだ。やつらにはおれたちよりもでかい組織が控えてる。おれたちのはタカがしれてるけど、教師はでっかい制度を味方にもってる . . . 本文を読む

わたしはこのように授業に参加していました

2006-05-13 | 教室(classroom)
(ある授業における「学生」のコメントから) ①《「私の嫌いなこと「考えること」でした。今まで生きてきて、学校でこのような授業は一度も受けたことはないし、学校でなくふつうの日常生活においても「考える」ことはせず、物事をすぐ決めてしまう私でした。「考える」と「悩む」に至ってしまい、答がきちんと出ないと気持ち悪くなる、だから嫌いなんです。でも、この授業は、それを私に初めて行わせました。今までの勉強が、答 . . . 本文を読む

授業は山登りです

2006-05-06 | 教室(classroom)
 授業にはさまざまな可能性があります。もっと正確にいうと、可能性の固まりのような子どもが何十人も教室にいるんです。授業の可能性とは子どもの可能性と同じことです。一人として同じものを持った子どもはいない。それぞれがちがいを持った子どもに丁寧に対面すれば、自ずから授業の様子は変わるんじゃないでしょうか。なによりもちがいとか差異といったものを認めなければ、教育の筋が曲がってしまうだろうと、わたしはいいた . . . 本文を読む