ギタリスト岡本博文 生徒諸君!

プロギタリストのリアルな経験談、本音を語って行きたいと思います。

Tango Libre Nuevoについて(2)

2018-09-07 11:40:40 | Weblog

当時の僕は、何がなんだか、よくわからなくなっていたと思います。
また、ギターのスタイルについても、生活についても荒れていて、
何をやっても説得力がない気分に陥っていました。

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その頃、長年務めた音楽学校の契約も更新されず、
私生活でも困っていたところ、
RAGの現須田会長に相談したところ、
「もう一度、エレキギターを弾いてはどうか」と提案され、
始めたのが、その後、Okamoto Islandになって行く活動です。

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その後時が流れ、久しぶりにユミ子さんのメモリアルライブが
数年ぶりに、大阪の岸田さんのお声がけで復活し、
タンゴリブレの曲を清野(g)さん、飯田(p)さん、
西島(p)さん、で演奏する機会がありました。

特に飯田さんとは、タンゴリブレ解散以降は、
一回も連絡を取っていなかったのですが、
タンゴリブレに未だに心残りがあり、
彼がそのピアノパートを練習していたことがわかりました。

僕も久々にそれを弾くと今となっては、それが自分の一部になっている
事を発見したのです。

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ユミ子さんの曲は特殊で、運指も初見ではどう弾いていいかわからないものも多く、
メモリアル=ライブのような状況で、初見に近い形で演奏するだけでは、
気がすまなくなりました。

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飯田さんにすぐ連絡をとり「タンゴリブレの曲を復活させよう」と
いう話になりました。
すぐ「バンドネオンはどうしよう、バイオリンは?」
と言う話になりましたが、
二人で「まず、ユミ子さんを理解し音楽を発展できる
人間重視で、楽器にはこだわらない人選でスタートしよう」
と言う話になりました。

僕は、自分のギターは、
こう言う音楽ではパーカッションの代わりになり得るし、
それを追求したいので
ドラムは無しから始めたい、と提案しました。

メロディー担当は、飯田さんが
我々のご縁と揺るぎないスタンスで、
太いメロディーを弾く実力から、
清野さんにお願いしたいと意見が出され、
何かと一緒にやりたいけど、フィールドが違ってきた
清野さんに「これはユミ子さんの力が働いたに違いない」
と感じ、二つ返事でオッケイしました。

そして、ベースに二人一緒に名前が挙がったのが、石橋さんでした。
僕もJawangoの初期の頃は、石橋さんに弾いていただいていましたし、
飯田さんが名前を挙げた時には、運命を感じました。
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そう言う訳で、Tango Libre Nuevoは、
メモリアルを言う枠を超えて、自分たちが
もっとも快感に感じるやり方で、
自分たちの知恵でユミ子さんの音楽を発展させていければ、
と思います。

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タンゴリブレの曲は難易度も高いのですが、
昨日は、大変良い評価を受けたようです。

まだ完璧と言えませんが、定期的に、
活動をしていきたいと思います。







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