ほんの500m先に、昨年まで塩次しんじ(g)さんが住んでいた。
突然、佐野市で亡くなったと言うニュースを聞いたのは、土岐でツアー中だった。
もっと親しくしていれば良かったと思う。
2、3年に1回共演したぐらいだったけど、
会う度にその肌触りにゾクゾクして「これは負けた」と思ったものです。
間違いなく世界レベルのギタリストだった。
かれは、なんていうことのないリフが、かっこよく一音でガツンとやられるような
チョーキングを持っていて、ひとつひとつのクオリティーがいつも高かった。
彼が亡くなってお別れ会があり、その会では遺品がところ狭しと並べられていた。
そこには、フルアコからなんとフロイドローズ付きのギターまであり、
ギターシンセまであった。
その昔、20年以上前、すでにMacを持っているという話しを聞いた事があった。
ラテンのコンサートに行くとちょこんといて、
「いや、俺こんなの好きやねん」と言われた。
昨年、福山のドラマーとお話ししたとき、これを聞けと言って、
ウエザー=リポートだったか、延々と聞かされた話も聞いた。
全然ブルースの話しを聞いたこともなかったそうだ。
人に習うのが嫌いで、負けず嫌いと自分で言ってたし、
自分で一生懸命ウエス=モンゴメリーをコピーしてみた
という話しも聞いた。
彼の事だから、そっくりになるまで弾いたに違いない。
フレーズを弾けば満足という人でなかったから。
彼は、好奇心と冒険心の固まりだったのだ。
でも、人前でそれを弾いたり見せたりする人ではなかった。
思い出す度に「これを懐の深さというのかな。」と思う。
今、彼を思い出すと、飄々としたジョークと笑顔しか思い出さない。
突然、佐野市で亡くなったと言うニュースを聞いたのは、土岐でツアー中だった。
もっと親しくしていれば良かったと思う。
2、3年に1回共演したぐらいだったけど、
会う度にその肌触りにゾクゾクして「これは負けた」と思ったものです。
間違いなく世界レベルのギタリストだった。
かれは、なんていうことのないリフが、かっこよく一音でガツンとやられるような
チョーキングを持っていて、ひとつひとつのクオリティーがいつも高かった。
彼が亡くなってお別れ会があり、その会では遺品がところ狭しと並べられていた。
そこには、フルアコからなんとフロイドローズ付きのギターまであり、
ギターシンセまであった。
その昔、20年以上前、すでにMacを持っているという話しを聞いた事があった。
ラテンのコンサートに行くとちょこんといて、
「いや、俺こんなの好きやねん」と言われた。
昨年、福山のドラマーとお話ししたとき、これを聞けと言って、
ウエザー=リポートだったか、延々と聞かされた話も聞いた。
全然ブルースの話しを聞いたこともなかったそうだ。
人に習うのが嫌いで、負けず嫌いと自分で言ってたし、
自分で一生懸命ウエス=モンゴメリーをコピーしてみた
という話しも聞いた。
彼の事だから、そっくりになるまで弾いたに違いない。
フレーズを弾けば満足という人でなかったから。
彼は、好奇心と冒険心の固まりだったのだ。
でも、人前でそれを弾いたり見せたりする人ではなかった。
思い出す度に「これを懐の深さというのかな。」と思う。
今、彼を思い出すと、飄々としたジョークと笑顔しか思い出さない。