大分発のブログ

由布・鶴見やくじゅうをメインにした野鳥や山野草、県内四季折々の風景などアウトドア写真のブログです。 

2020年撮り納め

2020-12-31 21:46:00 | 野鳥
2020年撮り納めです。先ずは毎年ルリビタキを撮りに行っている大野川近くの山。2020.12.31


ルリビタキは居たけれどピントが合わず。


アオジ。


マツボックリにヤマガラ。


ヤマガラ落下。鳥も木から落ちるの図。


ジョウビタキ♀


山から大野川に行き、先日見つけたばかりの新たなカワアイサポイント。


カワアイサオス6羽にメス6羽いましたがコウライアイサはいませんでした。


岸辺にオシドリ。



近づいてきた1羽のカワアイサ♀


カモのメスはよく分かりませんが、コガモのメスのようです。


オオバン

早めに引き上げ、最後の大野川のポイント。


午後4時を過ぎると、


川が金色に染まります。


また来年お会いしましょう。良いお年をお迎えください。









臼杵川の野鳥12月

2020-12-28 06:17:00 | 野鳥
臼杵のため池でオシドリのペア。2020.12.27


久しぶりの臼杵川の野鳥撮り。昨年、一昨年と川にはほとんど野鳥がいなかったのであまり期待してなかったのですが、この日はヤマセミからカワセミまで撮れました。


枯れ木の中に何やら白っぽいものが••


いきなりヤマセミの登場です。


かなり高い場所からダイブしてお魚ゲット。


臼杵川では初撮りのヤマセミです。


山の中の雰囲気ですが臼杵川の中流、臼杵石仏の近くです。


キセキレイ


コサギと手前にはカイツブリ。


オカヨシガモのペア

オカヨシガモのシンクロ


オオバン


チィーと鳴き声がしてカワセミ登場。


どこにいるのか探すのも楽しみのひとつ。

マガモと片足立ちのコサギ。
少しななめに立っていますがよく倒れないものですね。


コサギの群れ


川沿いの電柱にノスリ


気がつくと石の上にカワセミ。


くちばしの下が赤いのはカワセミの♀です。


ホバリングを2度披露してくれましたが撮れず。













市内のため池にトモエガモ飛来

2020-12-27 20:49:00 | 野鳥
近くのため池を覗いてみました。池にいたのはマガモとオシドリとカルガモ。2020.12.27


そして赤い頭のホシハジロと黒い頭のキンクロハジロがいました。


別のため池にはトモエガモが飛来していました。マガモやカルガモの半分くらいの小さなカモです。


メスはくちばしの根本に丸い白斑があるのが特徴。

トモエガモは主に冬鳥として日本に飛来し、他のカモと同じく湖や池、河川などに生息しています。


トモエと名の付く通り、オスの顔の模様は非常に特徴的でカモの中でも魅力的な野鳥です。


昨日杵築の守江湾で見たばかりですが、大分市内にもきていました。


何羽いるかは不明ですがせいぜい4羽くらいかと思います。


大野川も2ヶ所チェックしたけど川にはいませんでした。


いつも目の前にやって来るジョウビタキ♀

吉野梅園でミヤマホオジロ。


初春には梅の花とミヤマホオジロのコラボが撮れます。


シロハラ


ジョウビタキ♂






風紋と野鳥

2020-12-26 21:50:00 | 野鳥
日出町暘谷城址の海沿いの遊歩道。2020.12.26


ハクセキレイがいました。

メジロ


シロハラ


前回(12/13)と同じコースで日出町の糸ヶ浜〜杵築の守江湾まで行ってきました。


漁港にはホシハジロが20羽ほど浮かんでいました。


糸ヶ浜は干潮に合わせて行き、風紋と鳥のコラボ狙いでしたが、鳥が少なかった。


風紋とハクセキレイ


風紋とシロチドリ


糸ヶ浜の風紋




金輪島

川にいたマガモ。白いのはアヒルかな。


加貫漁港のセグロカモメ


杵築の守江湾でオナガガモ


スズガモの群れ。

11月半ばからずっといるので、このままここに留まるようです。


突然やって来て着水した4~50羽の鳥の群れ。


トモエガモの群れでしたが、撮る間もなくすぐに飛び立ちました。ただいま南下中のようで来週には大分川や大野川ででも見れそう。


前回いたミヤコドリとクロツラヘラサギはいず、ツクシガモはまだ飛来してないようです。

風紋とカモメ

セグロカモメとハマシギ。


風紋とハマシギ


帰りに再び寄った深江漁港。


あいかわらずプカリと浮かんでるホシハジロ。







負けるが勝ち/スーフィー語録

2020-12-24 08:17:00 | イスラム/スーフィズム
 一頭のロバ

 昔あるスーフィーの教師が弟子を相手にかけごとをしました。

「わしは毎日のように気がせわしい。おまえとかけごとがしたい。お前がもし勝ったら、センベイを買ってわしによこせ、わしがもし勝ったら、わしがセンベイを買っておまえにやる」

弟子
「どうど、カケをおだしください」


「負けることが肝心だよ。勝つことが問題ではない。まず、わしは一頭のロバだといく」

弟子
「わたしはロバの糞」


「ほれ、おまえがわしにセンベイ買いなさい」

弟子
「だめですよ、先生がわたしにセンベイを買わなくちゃ。師弟あい争うのは、いけませんよ」


「この問題は、戦争や政治と同じだ。役所できめられなければ、村長をよびだして決着つけねばならん。ここに三百人ばかりの人々がいる。その中に誰かいないわけではあるまい。皆の衆よ、わしのために決着つけてくれ。客と主と、どちらに理があろうな」

 大衆は決着つけられぬ。
そこで師はいう「目の開いたスーフィーでなくちゃならん」

 三日してから、弟子は気がつく。センベイを買って師に持っていった。

  

 
  ライオン

師は人びとに教えていわれた。 
「わしのところには、洞窟に入っているライオンもおれば、洞窟の外に出ているライオンもいる。しかし、ライオンの子がおらん」 

 ある弟子がでてきて、指をニ、三度はじく。

師はいう。「どうした」
弟子「ライオンの子です」

師「わしがライオンという名をつけることすらまちがいだのに、あんたはそのうえ足蹴にして何とする」

 ひとつの灯火

弟子がたずねた。
「一つの灯火が百千の灯火に燃えうつる、と申しますが、もともと一つの灯火は、どんな灯火なのでしょうか」  

師は片方の靴をけりあげる。そしていう、 
「もしやりてのスーフィーならそんな問い方はせん」

 聖とは何か

 問い「聖とは何ですか。」
 師「凡ではない。」

 問「凡とは何ですか。」
 師「聖ではない。」

 問「凡でも聖でもないときは、どうですか。」 

 師「おお、見事なスーフィーだ。」


 3句

 師は説法のおりにいった。

「朝になるがまだ暗い、暗いが明るくなろうとするところだ。あんたらは、どっちにおる。」

 ひとりの弟子が答えた。「両方におりません。」

 師「それなら中間におるのだな。」

 弟子「もし中間にいたら、両方にいることになります。」

 師「この修業者はこんな言葉を吐くが、3句の内から出られぬままだ。かりに出られたとしても、やはり3句の内にいる。あんたはどうだ。」

 弟子「わたしは3句を使いこなすことができます。」

 師「それだ!なぜそれを早く言わんか。」

 半句

問い「口を開けたら一句になります。どういうのが半句でしょうか」

師は口をあける。

  ロバの神性

 弟子が礼拝してたずねた。「ロバにも神性が有るでしょうか?」

師は答えた。
「無いよ。」
  
 迷わされない方法

 ある日弟子が礼拝してたずねた。

 問い「どのようにしたら他人の言葉に迷わされないでいられるでしょうか。」

 師は片方の足を垂れた。
 弟子はすぐに靴をさし出した。
 師は足をひっこめた。

 弟子「・・・」   

 真実の人

弟子「真実の人の体とは
何でしょうか?」

 師「春・夏・秋・冬だ。」

 弟子「お言葉は、わたしには理解しにくうございます。」

 師「あんたはわしに真実の人の体をたずねたのではないのか。」




 四角と円

問い「完全に四角でもないし、完全に円でもないというのはいかがでしょう」

師「四角でもないし、円くもない」

問い「そういう場合は、どうなりましょう」
師「四角であり、円である」


  緊急なこと

 弟子が質問した。
「人が緊急にしなければならない事とは何でしょうか」

「小便はささいな事かもしれんが、自分でせねばならぬ。」


 呵々大笑

 ある晩、修行中のスーフィーが裏山を散歩した。たちまち雲が開けて月のあらわれるのを見てカラカラと大笑した。その笑い声が彼の寺院のいる村の東九十里の中に響きわたった。

 その九十里ばかりの村の人々は、その夜同じ笑い声を聞いて、口々にいった。「東隣で人の笑う声がした」
朝になって村人が一斉にたがいに東へ東へと探して、そのまま修行者に来る。

 弟子たちはいう、「ゆうべは、山頂で大笑いする人の声が聞こえた」

  頂上に誰かいたか

師はたずねた、
「どこにいっていたのだ」
弟子「山歩きをしていました」

「頂上に行きついたか」
弟子「行きつきました」

「頂上に誰かいたか」
弟子「いません」

「それでは頂上に行きつかなかったのだな」
弟子「もし頂上に行きつかなければ、どうして誰もいないとわかりましょう」

「なぜちょっと待っていなかったのだ」
弟子「わたしは待ってもかまいませんが、ある男がそれを許しますまい」

「わしはあんたを前からくさいとにらんでいたのだ」

 スーフィーの祖

 悪事に眼をすえて嫌疑の心を起こすのでもなければ、善事を観察してつとめはからうのでもない。  

 愚をすてて賢に近づくのでもなければ、迷いをすてて悟りにつくのでもない。

 凡聖ともに腰をすえず、すべてを飛びこえているものを名づけて、祖とはいう。