大分発のブログ

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心身問題と縁起の法

2019-09-12 19:34:12 | 心の哲学・心身問題
 仏教といえば「悟り」の宗教ですが、その悟りの内容を簡潔に説いたとされるのが縁起の法です。難しい命題ではないので覚えていれば役に立つものです。経典によれば、ブッダは縁起について次のように語っています。
   

 縁起の法

“私の悟った縁起の法は、深くして微妙であり一般の人々の知り難く悟り難いものである。” 
 (南伝大蔵経12巻、234頁)

 またこの縁起の法は、

“これは私の作ったものでも、また誰かの作ったものでもない。私が世に出る出ないに関わらずにこれはこの世界の真理なのである。私はこの法を自ら悟ったのであり、正しく理解したのであなたたちにも“見よ”と示すのである。

 縁起を表現する有名な詩句として、「自説経」では、 

“此があれば彼があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す。”と説かれています。
 (自説経1, 1-3菩提品)

この縁起の法を心身問題に応用すれば次のようになります。

 身体があれば心があり、
 身体がなければ心がない。
 身体が生じれば心が生じ
 身体が滅すれば心が滅す。

 「心身一如」という言葉がありますが、これは身と心は一つであり、互いに分けてはならない、との意味です。

 二つは盾の両面で、その表は、裏から引き離せない。逆もまた真で、どちらかを片方から切り離すと、盾は消えてしまいます。じつにこれは不可能です。この不可能は観念的には可能にできても、現実にはそれは不可能です。身と心は観念化されたイメージなのです。

 なお、縁起における「心身」は有ると無いだけではなく生じたり滅したりするものなので西洋の「実体」の概念とはまた違ったものです。