池袋で悲惨な交通事故があり、たまたま自転車で通行していた母親と子供が亡くなった。運転していたのは87歳の老人であったとのこと。亡くなった母子には、何とも言えない程の悲しさを覚える。深く哀悼の意を表すところである。
しかし、この交通事故を契機に、いや、それ以前から、「老人の運転免許は自主返納せよ」というような世論が醸成されつつある。ひどいのは、インターネットの動画配信サイトなどで老人を馬鹿にして、「ジジイ」は「免許の返納をすべき」と主張している輩もいる。
しかし、年をとるとその運動能力、知的能力は個人差が非常に大きい。「老人」と一括りにされては、元気な老人にとっては甚だ迷惑である。
そして、このような世論?を加速させるが如く、「老人の交通事故」ばかりが、マスコミで大きく報じられる。しかし、「警察庁 交通事故」で検索すれば、老人の交通事故よりも若年層の交通事故の方が、遥かに多いことが示されている。若年層の交通事故は、報じられないだけなのである。
このデータは、検索すれば、誰にでも見られるデータである。このように簡単に見ることのできるデータも見ずに、「老人の交通事故が多い」と、何となく評価してしまうことは、正しくない。批判するのであれば、データに基づいてするべきである。下のグラフは、警察庁のホームページに示されている「年齢階層ごとの事故件数」である。
図は「警察庁のホームページ」から転載
このグラフによれば、「老人は運転免許を返納せよ」と主張するのであれば、老人よりも先に、まず若年層16歳~29歳の運転免許の取得を制限するべきとの結論になる。因みに85歳以上は、年齢の階層の範囲が広くなっている。
このグラフから判ることは、決して老人の事故率が極端に高いということではない。若年層の最大の事故率は老人の 2.3倍 もある。このように客観的なデータも見ずに、テレビ等の印象操作に乗せられて「老人の運転は危ない」「免許を返納すべき」などとの主張をすることは、「アホ」をさらけ出しているに等しい。
テレビ等のマスコミは何の目的か不明ながら、「交通事故のうち、老人の起こしたものをクローズアップして」「老人の運転は危ない」との印象操作をしているとしか考えられない。その方が何となく世間を納得させられるからなのか、他の理由があるのかは不明であるが、不思議なことである。
なお、トシを取ると確かに運動能力は低下する。筆者は老人の仲間である。しかし、その分、スピードは抑えて、交通標識に注意して、それを守り、運転している。高速道路では「最低速度」を気にしての安全運転である。お蔭で、車の保険は、長年の無事故で最大の割引率となっている。
そして、車は、古いものをそのまま乗っている。保守点検・修理代が嵩み、新車を買う方が安いとも考えるが、安全のために古い車に乗っている。
その理由は、長年月乗っていると、操作は感覚で覚えているのは勿論のこと、エンジン音でギアの位置、車の調子まで判る。また、車幅の感覚なども正しく判るのである。まさに、手足の一部の如くに運転ができる。
新車を買おうと試乗したこともあるが、操作や車幅などの感覚が全く掴めずに怖かった。おまけに、操作そのものが古い車に対して大きく変わっている。そのようなことで、新しい車の運転感覚は、トシを取ってからでは身に付きそうもない。したがって、保守点検・修理代が嵩んでも当分乗り続けるつもりである。
老人になりつつある方は、それ以前に新車に買い替えておき、長い間、同じ車に乗り続けるのが、運転ミスによる事故の防止になると考える。
結論としては、早く完全な自動運転車が開発されることを望むところではあるが、筆者が生きているうちの実現には懐疑的である。それまでの間は、慎重に運転をするしかない。
なお、運転免許は法律に基づいて、取得した時点での技量を保証しているに過ぎない。これは、何の免許でもそうである。
人命に直接に関わる免許としては、医師免許があるが、「トシを取ったから返納すべき」との議論は聞いたことがない。しかし、運転免許と同じく人命に関わる仕事に従事するための免許である。しかし、これは全く問題にされていない。勿論、データを見なければ問題にすべきか否かは言えないことである。
免許証は、少なくとも法律に定められた基準で取得したものである。それを、感情や世論で無効にしようとする、あるいは、自主返納を迫るというのは正しくない。今、池袋の暴走事故の悲惨さから、「二人もなくなっているのだ」、「オイ! ジジイ!」「免許を返納しろ」などとの暴言を織り交ぜて、それらしい理屈をつけて “いい気になって” いる若者の投稿が多々ある。しかし、老人を一括りにして免許証の自主返納を迫る、とか「年齢で無効にすべし」などの言い方は全く正しいことではない。
なお、池袋の事故で「二人も亡くなっている」と、息巻いている動画の投稿を見て、この人は、交通事故で、年間幾人が亡くなっているのかを知らないのではないか? と考えるところである。自動車は便利さと危険のバランスの上にある機械である。これは、他の交通機関についても言えることである。便利さの上には危険もある。この人の言い方であれば、自動車そのものを禁止すべきではないか? と思うところである。
なお、過日、筆者は、89歳の人の運転で、狭い断崖・絶壁のある林道を案内してもらった。しかし、その方の運転は乗せてもらっていて全く怖くなかった。結局のところ、年齢による運動能力などは、非常に個人差が大きいのである。
もっとも、若いうちは自分がトシをとることを忘れている御仁も多いようである。今、「オイ! ジジイ!」などと老人を罵倒している若い人は、自分がトシをとったとき、今、自分の主張していたことを、自身に対して実行できるのであろうか? 次に、このことについてのお笑いの話を書く。
昔、筆者が勤めていたある法人の定年は75歳であった。ところが、ある若い人が、自分の上司が邪魔で仕方なく、労働組合の委員長に就任して、「定年を60歳にすべき」と要求した。最終的に67歳で折り合いがつき、そのように決定された。筆者は、そのとき「明日は我が身ですよ」と反対したが、聞き入れられなかった。
ところが、定年を早くするように主張して、自分の主張を実現したその御仁が定年になったとき、何とか自分だけは「定年を延ばせないか」と必死になっていた。まことにお笑いである。勿論、規定であり延長はできなかったが・・・。自分の身になって初めて気が付いたのである。
若い時は、自分が「トシをとる」ことは現実感がないのであろう。しかし、トシを取るのは早い。特にトシとともに、その時間は猛烈に早くなる。
良く調べもせずに、印象だけで、老人を虐めることは、結局は自分にも返ってくることである。感情だけで運転免許を取り上げることは不正義である。
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