◆新元号と皇室
天皇陛下のご譲位により、今年の5月1日から元号が「平成」から「令和」になった。筆者が経験した昭和から平成になったときは、随分と違和感を持った。しかし、今回の「令和」には殆ど違和感はない。随分と美しく綺麗な元号であるように思う。これは、一つには聞きなれた「しょうわ」と「れいわ」、共に「わ」であるからかも知れない。街の人の声も好意的なものが殆どであるように思う。
この元号は、万葉集からとったとのことである。今までは、全てがチャイナ、すなわち、昔の支那の漢籍から取っていた。そのためか、万葉集からとったことに、ケチを付ける輩がいる。さらに、ケチを付ける輩は「令和」の「令」は「零」すなわち「ゼロ」であり、「和」をゼロにするとは何事かとか、「令」は「命令」の「令」で、平和を命令するとか、難癖を付ける輩もいるようである。しかし、そのようなイチャモンはともかくとして、素直にみれば、何とも良い元号である。
しかし、平成31年4月30日の天皇陛下の退位、5月1日の新天皇の即位では、テレビではお祭り騒ぎである。
そして、このお祭り騒ぎに紛れ込ませて、NHKは女性天皇を容認すべきとの世論操作とも思える番組を放送していた。インタビューで「今の時代ですから女性天皇でも良いのではないですか・・」とか「天皇家だけが男系に拘るのは・・」とかの声を紹介していた。
しかし、そうであろうか? 天皇家は神武天皇の即位が紀元(西暦)前660年前とされている。勿論、神話の世界であり、この数字が正しいか否かは議論のあるところであろう。しかし、少なくとも男系継承で現存する、世界で最も古い王朝・・・実態としては、他国の「王朝」とは少し違う存在であるが・・・このことは少なくとも世界の王朝からの尊敬と羨望の目で見られている。そして、ローマ法王、イギリス女王よりも上位の権威・格式を有しているとされている。
現在、男系継承が難しいとのことであるが、この原因は、敗戦後にGHQの命令で宮家を強制的に皇籍離脱させた結果である。これは、旧宮家の皇籍を復帰すれば良い。NHKの同番組では旧宮家に皇籍復帰に関するアンケートを取ったと報じていたが、回答は「コメントできない」であり、拒否はされていないのである。また昔は、天皇は側室を置いた。側室の生んだ男子が天皇に就いている例は多々あった。しかし側室は、「現代において」は難しいことであろう。そうであれば「現代」の方法、すなわち、医学的に男子を誕生させることである。そのような手段を用いるのも一つの方法であろう、そして、このようなことは絶対に公表する必要はないことは勿論である。
女系天皇はいろいろと問題が生じる可能性が高い。絶対にするべきではない。すなわち、女系天皇となり、その子供が天皇となったとき、神武天皇以来の天皇家の血脈は途絶えるのであり、諸外国からの羨望と尊敬はその瞬間に失われてしまう。そして、全く違った、お婿さんの血筋の別の王朝となってしまう。そのような天皇は必要がないであろう。
そもそも少なくとも2000年余の間、男系継承を伝統として来た多くの先人の英知と努力を、「今の人」だけの考えで変更してしまうのは「今の人」の傲慢である。一度失われたら、現在の状況に戻すのに、また2000年が必要になるのである。
このような間違った男女平等を言わせてしまうのは、皇室・皇族をタレント扱いの如くしているマスコミの報道が原因である。その結果、「天皇の権威」を軽く考えてしまい、「今は男女平等の時代だから女系でも良いのではないか・・」などと言わせてしまうのである。これは、大きな勘違いである。
女系天皇は日本国の国体の破壊であることを認識すべきであり、何としても男系で継承させなければならない。
◆平和について
「令和」の元号が発表されたとき、テレビ等のニュースでは、「平成は戦争のない時代であった」と、「これからも平和が続くとよいですねぇ~」との声が紹介されていた。勿論、平和であることは誰にとっても望むべきことである。
しかし、武力戦争は、日本がいくら「嫌だ」と「平和・平和」と唱えても、日本が弱いと見れば、戦争を仕掛ける国はある。地球上は、弱肉強食の世界であることは忘れてはならない。戦争は、日本だけが平和を希求していても、他国から仕掛けられたら起きる。平成の時代、日本には、運よく“たまたま”武力戦争がなかっただけである。
しかし、平成の時代にも、北朝鮮からのミサイルが日本列島を飛び越えて、空襲警報が鳴り響いたこともあった。そして、拉致問題の解決は全く進展していない。被害者は拉致されたままである。
また、韓国には大東亞戦争の敗戦後になってから竹島を奪取され、ロシアには大東亜戦争の敗戦直前に北方4島を奪取されたままであり、その解決は遅々として進んでいない。
更に、チャイナの艦艇が日本の尖閣諸島の領海を堂々と侵犯し、「チャイナの領海だ」と主張され領土と領海を奪取されつつある。加えて、チャイナの大漁船団が小笠原諸島の領海と排他的経済水域に侵入して、宝石サンゴと呼ばれる希少なサンゴを根こそぎ強奪していくという事件もあった。
また、韓国からは極端な反日攻勢を仕掛けられ、チンピラの喝上げの如くのことをされている。
しかし、平成の時代は、そのようなことは無かったが如く、「平成は戦争のない平和な時代であった」と多くの日本国民は「思わされている」のである。
インチキな憲法の規定によって、手足を縛られた状態にある日本は、外国から何をされても黙っている。そうであれば、確かに戦争は起きないかも知れない。しかし、戦うこともなく侵略・占領されてしまえば、その後には、占領した国による日本国民の大量虐殺や自由の剥奪などが待っている。このことは、チャイナに占領されて、国家を奪取されたチベットの例を見れば判ることである。そのようなとき国際社会は何もしてくれない。
平成の時代は問題を「見ることをしないで」先送りした時代でもあったのである。決して平和な時代ではなかった。そして、これから周辺国からの更なる侵略が予想されるところであり、早急にインチキ憲法を改定して、戦える国にしなければならない。
なお、誤解のないように言えば、「戦える国」といっても、日本から他国の侵略をするということではなく、侵略を阻止できるようにするという意味である。これは、例えば、もし、日本がピンポイントで、狙った場所を消滅させるような武器を開発して保持したとすれば、日本を攻撃して侵略をしようとする国はなくなる。強さこそが平和を保持する手段なのである。すなわち、インチキ憲法を改定して、戦える国にするということは、少しでも、この例に示す方向に向かうということなのである。
平和・平和と何百万回唱えても、平和はやってこない。インチキ憲法の改定をして、戦える国であることを示すことこそ、平和でいられる唯一の方法なのである。
了
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