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華の会

日本文化を考える

太宰治 「桜桃忌」

2005年06月08日 | 文学
太宰治 「桜桃忌」
太宰治は昭和23年6月13日深夜、
山崎富栄と三鷹市の山本有三の家の近くの玉川上水に入水した。
二人の遺体は6月19日に、
入水場所から1キロ程下った所の橋げたに絡んでいたのが発見された。
二人の遺体が発見されたのが6月19日なので、
彼のお墓のある東京・三鷹の禅林寺では
毎年、法要が催され、沢山の太宰ファンが訪れる。
この日を「桜桃忌」というのは
死の直前に発表された彼の短編「桜桃」による。
尚、太宰治の生誕地、青森県金木町では
太宰の誕生日が奇しくも遺体発見日と同じ、
6月19日であった事から、
最近、桜桃忌から、「生誕記念祭」と名前を変えて開かれている。

東京・三鷹の禅林寺の太宰治の墓の斜め前には明治の文豪森鴎外のお墓がある。
又、瀬戸内寂聴が昭和20年代、
夫と別れて、一人で暮らしていた下宿も禅林寺の近所である。

5年程前、二人が入水したと推定される場所に自然石の記念碑が建てられた。
20年程前までは二人に縁のある建物が三鷹市に残っていたが今はほとんどない。
山崎富栄が下宿していた葬儀屋も建て直され、
太宰がよく訪ねたという「美登利寿司」も一昨年、春に閉店した。
以上

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