袈裟(けさ)
【 袈裟の真実 】
袈裟=チーヴァラ(サンクスリット語)
〔着る、装う〕 衣類、特に仏教僧がまとう襤褸(ぼろ)着。
“チーヴァラ” とは「着物」のこと、特に「仏教僧」の衣をさす。
チーヴァラは一人につき3枚必要→三衣tri-clvara
三衣・・・袈裟衣kasata-vasanaともいう。
ボロ布を継ぎはぎして一枚布に仕立てた衣。
三衣を体に巻きつけるのが、仏陀が定めた修行僧のコスチュームだった。
≪ 袈裟 ≫
①下半身用
腰巻(ルンギー)・・・畳大の布 (下着は普通つけない)
②上半身用
①と同大またはやや小さめのショールを上半身にかける。
汗を拭いたり、頭に被って日差しをよけたりする。
③全身用
ショールの上に重ねる。(1x 3mぐらい)
外套用の布、または大ショール。
女性・・・一番華美な豪華なおしゃれ着
男性・・・礼装
北インドの冬は寒いので毛布みたいなものを巻いて
受戒や乞食に出かけたり、王などのパトロンに
招かれた時着用する。
③の全身用の礼装が日本での「袈裟」の原型となった。
インドでは基本的に①~③までは、俗人も出家も変わらない。
≪ 仏陀の独創性 ≫
当時のインド女性は、母性の象徴として乳房を露出していたし、
腰巻の布もモスリンのように透けるものが好まれた。
禁欲を強いられる修行僧の前に、こんな女性がうろちょろしていると、
修行どころではなくなってしまう。
そこでブッダはエロティシズムを封殺するために、女性である尼さん
への第四、第五の布の着用を義務付けた。
④サロン(腰巻の下につける)
今のペチコート
⑤乳房を隠すための布
・ブラジャータイプのもの
・膝丈のスリップタイプのもの
≪ 袈裟の着付け ≫
1) 胸を⑤の布で覆い、④のペチコートを付ける。
2) ①の腰巻を巻き、前面をたたんで、紐で締める。
3) ②のショールを二つ折にし、右脇から左肩へと巻きつける。
4) その上を③の大ショールで覆う。
古代インドでは鳥獣葬が行われているところが多かった。
林の中に死者を放置して、ハゲワシやジャッカルがついばむに任せる。
そのかたわらにも僧侶はいた。
死者を弔うのではなく死者の身ぐるみを剥いでいたという。
ゴミ溜めや屍林からあさってきた汚臭をはなつボロ布をつぎはぎして
仕立て直した、出家=世棄人(サンニャーシン)の衣装だった。
材料としては、屍体から剥ぎ取ったものがもっともよし、とされた。
インド人の衣装
男・・・白
女・・・赤青黄など色鮮やかのものを好む
僧衣・・・きたない色の衣(=カシャーヤ・ヴァサナ)
不浄な布をパッチワークした色が判別できないもの
「カシャーヤ」が中国で音訳→ 「袈裟」
ヒンディー語で「カーキー」となり、
イギリスに伝えられて、カーキ色の「カーキ」になった。
「袈裟」も「カーキ」も、もとをたどれば同じ、色褪せたカーキ色
(枯れ草色・土埃色)の衣こそが、世俗的な価値観を放棄して
乞食(こつじき)に生きる出家の象徴だった。
『図説 インド神秘事典』 著:伊藤武 参考
立派な絹の羽二重や金襴緞子の袈裟ならばそれはまがいの袈裟、
いやいやこうなるともう、日本仏教はやっぱり別なもの、
日本独特の仏教に変化しちゃった~と考えた方がいいですね。
もともと出家とは世俗的なもの全てのものを放棄するもの、
ってことは裸で出て行くってこと、そして、生物の輪廻を信じるならば、
屍は土へと帰り、いずれ何かに生まれ変わる。
そして持ち主のいなくなった衣服を土に帰す前に、
もうしばらく使わせてくださいね、というようなところでしょうか。
そうならば、屍体から衣服を頂戴するのを最良の材料とするのも納得、
自分が修行するため生きるための食事を人に乞う「乞食(こつじき)」
もそういやそうかぁ、と妙に納得しました。
先祖の代わりに食べていただく食事をその子孫から布施して頂く
「托鉢」はまた違うものなんですね。
昨日、タイではお坊さんが托鉢で頂く布施の食事が高タンパク質、
高カロリーなものばかりで、肥満の僧が増えてダイエットに励んでいる
というニュースをTVで観ました。
人々は我がご先祖様へ美味しいものをと願い、どうしてもそうなる
のだそうで、お坊さんもそういう人々の気持ちを察して、
残さず頂いているからだそうです。
なんとも皮肉な・・
ご先祖を思う心がお坊様の健康を害するとはね。
日本では、お坊様は精進料理を修業のため行っておられ、
一汁一菜というような質素がよいとなっていますね。
お弁当を頂いたから、あるいはお供え物を頂いたからと
必ずしも全てを自分だけで食べるわけではありませんね。
ところ(国)変われば、いろいろ変化するのは当然かもしれません。
何でもその時代ごと、合わせていかなければ廃れてしまうもの、
長い目でみれば、
どこの宗教も少々は変化して来ているのでしょうね。