2011年3月11日、まるで巨大な生き物のように海水が溢れ出し、うねり押し寄せ、町を、建物を、人々の暮らしのあらゆるものを呑み込み流し去っていきました。その惨状をテレビ映像で目撃したとき、心の中に強く湧き上がったのは、どういうわけか
「人は争ってはいけない。周囲の人たちと仲良く暮らしていかなければならないのだ。」
ということでした。
***
私が暮らす関東地方の遠浅の海を埋め立てた地域にも被害がありました。電柱は傾き電線は垂れ下がり、家々の塀は傾き、アスファルトの路面はうねり盛り上がって亀裂を走らせ、地盤の液状化により噴き出した砂があちらこちらに小山を作りました。また、一晩だけでしたが計画停電で明かりの消えた近隣地域の街中を歩き、夜の本来の暗さに驚いたものでした。
***
あれから3年が経ちましたが、私が住む町の震災の爪痕は次々と修復されて今ではほとんどが見当たらないほどに回復しました。私自身の中でも、津波の映像を見て恐れ慄いた記憶は薄れていっています。また、あの日、強く心に刻んだ思いも、実践できたかといえば、心もとない限りです。
そうした中で「ナラの木」の詩を読みました。ナラの木は抗うことのできない強大な風に、葉や枝を奪われて裸に剥がされ、傾かされて、また仲間も失いながらも、その逆境の中で自分自身に授けられていたものの本当の姿を見出し、知っていた以上に自分自身が強靭な存在であることを確信します。そんな「ナラの木」の詩から伝わってくるものがありました。
詩そのものには表現されていませんが、私の心の中に湧いてきたことばがありました。
・・・「わたしは、力を持っている。」「わたしには、できる。」「わたしは、つながっている。」
2014年4月20日
マッコイ.H.マクハリ
「人は争ってはいけない。周囲の人たちと仲良く暮らしていかなければならないのだ。」
ということでした。
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私が暮らす関東地方の遠浅の海を埋め立てた地域にも被害がありました。電柱は傾き電線は垂れ下がり、家々の塀は傾き、アスファルトの路面はうねり盛り上がって亀裂を走らせ、地盤の液状化により噴き出した砂があちらこちらに小山を作りました。また、一晩だけでしたが計画停電で明かりの消えた近隣地域の街中を歩き、夜の本来の暗さに驚いたものでした。
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あれから3年が経ちましたが、私が住む町の震災の爪痕は次々と修復されて今ではほとんどが見当たらないほどに回復しました。私自身の中でも、津波の映像を見て恐れ慄いた記憶は薄れていっています。また、あの日、強く心に刻んだ思いも、実践できたかといえば、心もとない限りです。
そうした中で「ナラの木」の詩を読みました。ナラの木は抗うことのできない強大な風に、葉や枝を奪われて裸に剥がされ、傾かされて、また仲間も失いながらも、その逆境の中で自分自身に授けられていたものの本当の姿を見出し、知っていた以上に自分自身が強靭な存在であることを確信します。そんな「ナラの木」の詩から伝わってくるものがありました。
詩そのものには表現されていませんが、私の心の中に湧いてきたことばがありました。
・・・「わたしは、力を持っている。」「わたしには、できる。」「わたしは、つながっている。」
2014年4月20日
マッコイ.H.マクハリ