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がんばれナラの木

震災にあわれた東北地方の皆様を力づけたくて
The Oak Treeを地方ことばに訳すことを始めました

「ナラの木」の詩に寄せて マッコイ.H.マクハリ

2011年04月01日 | エッセー
 2011年3月11日、まるで巨大な生き物のように海水が溢れ出し、うねり押し寄せ、町を、建物を、人々の暮らしのあらゆるものを呑み込み流し去っていきました。その惨状をテレビ映像で目撃したとき、心の中に強く湧き上がったのは、どういうわけか
「人は争ってはいけない。周囲の人たちと仲良く暮らしていかなければならないのだ。」
ということでした。
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 私が暮らす関東地方の遠浅の海を埋め立てた地域にも被害がありました。電柱は傾き電線は垂れ下がり、家々の塀は傾き、アスファルトの路面はうねり盛り上がって亀裂を走らせ、地盤の液状化により噴き出した砂があちらこちらに小山を作りました。また、一晩だけでしたが計画停電で明かりの消えた近隣地域の街中を歩き、夜の本来の暗さに驚いたものでした。
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 あれから3年が経ちましたが、私が住む町の震災の爪痕は次々と修復されて今ではほとんどが見当たらないほどに回復しました。私自身の中でも、津波の映像を見て恐れ慄いた記憶は薄れていっています。また、あの日、強く心に刻んだ思いも、実践できたかといえば、心もとない限りです。
 そうした中で「ナラの木」の詩を読みました。ナラの木は抗うことのできない強大な風に、葉や枝を奪われて裸に剥がされ、傾かされて、また仲間も失いながらも、その逆境の中で自分自身に授けられていたものの本当の姿を見出し、知っていた以上に自分自身が強靭な存在であることを確信します。そんな「ナラの木」の詩から伝わってくるものがありました。
 詩そのものには表現されていませんが、私の心の中に湧いてきたことばがありました。
 ・・・「わたしは、力を持っている。」「わたしには、できる。」「わたしは、つながっている。」

2014年4月20日
マッコイ.H.マクハリ

「ナラの木」の朗読を聴いて~被災された東北の皆様へ

2011年04月01日 | エッセー
千葉県 丸山隆行

 知人から「ナラの木」の存在を聞き、NHKに出演された高槻先生のナラの木の録音内容を聞きました。その録音を聴くにつれ、被災さえたに皆様の気持ちが心に染み入りました。
 あの時思いもよらない突然の大きな地震とそれに次ぐ大津波を経験された皆様の気持ちは、千葉に住む者には計り知れないものだったに違いありません。
 私の父の実家が宮城県仙台で、親戚も岩手県大船渡にいるので連絡をとろうとしましたが、当時連絡もつきませんでした。連絡がつくまでは不安で仕事も手につきませんでした。ようやく連絡がついてわかったのは、親戚の一人が不幸にあっていたということです。とてもショックでしたが、他にも多くのご家族の方がご不幸に遭われたのだという話を聞いて、私の関係者は一人ですんだのだから、まだありがたいほうだと思いました。もっともっと悲しい思いをされている方々がおられるのだと思うと辛くなります。
 しばらくは沈んだ気持ちでいましたが、次第に「いつまでも悲しんでばかりいてはいけない」と思うようになりました。そうしたときに、「ナラの木」の詩のことを知り、俳優の皆様の方言による朗読を聞いて心に染みました。朗読も心のこもったものでしたが、大分版の川野誠一様が書いておられた感想文を読み、人の温かさを感じて、不覚にも泣いてしまいました。
 NHKの放送や、「ナラの木」の朗読を聞き、皆様が被災者を励まそうとしておられる尊い気持ちを、仙台と大船渡の親戚にも伝え、そのCDも送りました。
 私は千葉に住んでいますが、私の体には東北人の血が流れていると感じています。東北人には独特の粘り強さと根性があります。復興は容易ではないし、時間もかかるでしょうが、東北人ならそれをなしとげると信じています。そのことに、皆様の温かい励ましの言葉が大きな後押しをすると思います。本当にありがとうございます。

阿武隈のサクラ

2011年04月01日 | エッセー
4月28日に福島に行きました。私は福島県の被曝地のイノシシのプロジェクトに参加しており、イノシシの生息地の一部を訪問する機会がありました。阿武隈山地はなだらかに波打つ地形で、峠を越えると別の里山があらわれるという具合です。



 季節はまだ早春で、ニリンソウなどが咲いていました。福島市市内ではサクラは終わっていましたが、阿武隈では今が盛りのところもありました。
 一部ですが、避難地域にも入りました。今にも人が出て来そうな農家は、実は人がいません。当たり前のことではありますが、それでも桜が咲いていました。サクラは人に見てもらうために咲くわけではないとわかっていても、人気のない庭に咲く桜をみると
「ああほんの3年前まで、この桜をみながら春を楽しむ生活があったのに。」
と思わないではいられませんでした。



 こののどかでうるわしい阿武隈の土地に人が住めなくなったということの意味を考えてしまいました。



 原発は絶対に再稼働してはならない。この景色をみれば誰でもそう思うはずです。こういうことを繰り返すということはこの日本列島に対する冒涜だと思います。そんなことが許されるはずがありません。

花は心の食べ物

2011年04月01日 | エッセー
5月1日は大学が休みだったので、朝、テレビを見ていたら、南房総を紹介していました。房総といえば暖地というイメージで、よく晩冬くらいのときに菜の花だとか水仙だとかの花が紹介されます。
 テレビで紹介していたのは、この南房総では戦前から花作りが盛んだったのを、戦中に軍が「畑では食料を作るべし」と花作りを禁じ、花の種子や球根を捨てるように命じたということです。花作りをしていたおばあさんは、捨てるのは忍びないと、森の一本杉といわれるところに、水仙の球根を密かに隠したそうです。当時、軍命に逆らうというのは命がけのことだったに違いありません。
 戦争が終わったときに、その場所を訪れたら、人に見られることもなく水仙が見事に咲いており、それを見たおばあさんは感動したそうです。放送では言っていませんでしたが、私にはそのおばあさんが
「ああ、また花を植えられる平和な時代が来たのだ」
と喜びをかみしめた姿が想像されました。そして
「もし見つかったらえらい目にあっていたかもしれないけど、やっぱり命をかけて隠したことはまちがっていなかった」
と思ったろうとも。
 結果として敗戦し、終わってからふりかえれば勝ち目のない戦争だったわけですが、その渦中にいれば、勝つとは思わないまでも、ずっと長く戦争が続くと思っていたはずです。花作りなど永遠にできないと思ってあきらめるほうがふつうだろうと察します。しかしこのおばあさんは、花作りの伝統を絶えさせてはならないと考え、実行したのです。本当に勇気のあることだと思います。
 番組の最後にたしかそのおばあさんのお孫さんという人が出て来ました。立派に跡をついで花作りをしているとのことで、いまおこなわれている花をつめる段ボール箱に
「花は心の食べ物」
と書いてあるのを紹介していました。
 そのおばあさんは、畑にはイモを作れ、花は作るなという軍の命令を聞いて、「それは人生ではない」と反骨心をもち、その思いをこのことばに込めたのではないでしょうか。胃袋に入るエネルギー源たる食物を摂取しなければ生きてはいけないのは確かです。それは必要条件です。では心に入る食べ物がなくても生きていけるか。その答がこのおばあさんには、はっきりとわかっていたのだと思います。
 兵士が殺し合う場面を描くことによって反戦を語るのはもちろん必要なことですが、私は「花は心の食べ物」の意味を考えることのほうがよほど反戦を能弁に語るように思います。戦争になれば花のことなど考える余裕がなくなる、それは人生を破壊するのだということでしょう。
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 福島原発は同じ意味で人生を破壊しました。いや、畑にイモを作ることさえできなくしたという意味では、戦争よりも悲惨な仕打ちを強いたのです。南房総のおばあさんの何百分の一でもよいから勇気をもらいたいと思いました。同時に思ったのは、真に悲惨なのは、多くの現代日本人が、このことが戦争よりも悲惨だと気づくことさえできないでいるということです。

「ナラの木」の放送を聴いて~震災4年目を迎えて

2011年04月01日 | エッセー

生活クラブ風の村八街介護ステーション  峯岸 美由紀

NHKの高槻先生の放送録音を聴きました。そして、全てを理解できました。
「ナラの木」は心にしみる詩でした。そしてどうしてこの詩を紹介することになったかの話を聴いて、被災された皆さんの復興を支援することの大切さも知りました。私は、自分なりに少しでも助けになると思い、ご当地の物品を買い求めましたが、そういう形の支援だけでなく、精神的な励ましが必要と感じました。
あの震災が起きて早いもので4年目を迎えました。ニュースによれば、いろいろむずかしい問題が起きているようです。比較的順調に復興している地域もある一方で、あまりにも規模が大きいために個人では解決できない原発事故に、どうすることもできない人々のことを知り、心を痛めております。
 目に見えない放射能があると思う恐怖はたいへんなことだと思います。そして、県外に出る方がおられる一方で、出たくても出られない母子には深い葛藤があるようです。それに、仕事の問題もあるので、引っ越しも簡単ではないでしょう。
 そうした問題もありますが、さらに大きい問題として、いったいいつになったら帰れるのか、いや自分の一生のあいだに帰られる日が来るのだろうかということも見えない状況にあります。
 私たちにできることは限られますが、被災された皆様に心からお見舞いし、応援をさせて戴きます。「ナラの木」の大地にしっかり張った根っこのある立ち姿は、東北地方の皆さんの不屈の精神そのものです。私達はそのことを信じて、のどかで、安心できる生活がもどってくることを心から祈っております。

土を耕す者から 齋藤正一

2011年04月01日 | エッセー

栃木県 齋藤正一

 私は栃木県北部で農業を営んでおります。毎日、土を相手に生きてきました。野菜を作るのは時間もかかるし、天気のよい日ばかりではないし、体調のよい日ばかりでもないのでたいへんです。植物のようすを見ながら、あるいは機嫌をうかがいながら育てるのです。だから消費者がキュウリの形がおかしいから買わないと聞くと、何をわがままなことを言うのか、味は同じではないかと腹が立ちます。どの野菜も同じように手をかけて育てるので、少しおかしな形をしていても、皆同じようにかわいいと想います。
 農民は作物を産み出す土地に対して深い思いをもって生きています。その思いは家族に対するものと同じといってもよいかもしれません。土地は作物を産み出してくれます。今、都会の人は祭を大騒ぎをする楽しみの場だと思っていますが、農民にとって祭とは土地に対する思いを表すものなのです。田植え祭は今年もたくさん米を作らせてくださいという祈りであり、秋の祭はおかげでたくさんの米が収穫できました、ありがとうございましたというお礼のためのものです。
 そうして生きていますから、東日本大震災のときの衝撃は忘れることができません。あの日、私はいつものように畑仕事をしていましたが、これまでにない大きな揺れだったので、思わず地面に座り込んでしまいました。かなり長い時間だったように思います。揺れが収まってからも、しばらくは動けませんでした。我に返って家にもどり、ラジオのスイッチを入れました。それからテレビを見て、あまりのすさまじいようすに釘付けになりました。津波が田を畑を飲み込んでいきました。同じ農民として田畑を失うことがどういうことかはよくわかり、その気持ちを思うと、涙が出てとまりませんでした。あの夜は衝撃で眠りにつくことができず、祈り続けていました。
 私たち農民は自然に生かされていると思うから、自然をありがたいと思います。しかし同時に自然はときに牙をむく恐ろしいものだということも知っています。そういう私たちからすれば、原発事故は人間が傲慢だったために起きたのだと思えます。自然の力はとてつもないものなのに、「想定外だった」などといいますが、そういう言葉を使ってほしくないと思います。自然のすごさを知らないから、この程度でよいだろうという工事をしたために、電源喪失という事故が起きたのだと思います。これは結局、人間が便利さを求め、自然を抑えつけることができると思い上がり、いい気になっていたせいです。
 日本は自然災害の多い国であり、これまでにも何度も大災害があったはずです。でも、我々の祖先はそれを乗り越えてきました。山火事、台風、地震など大きな被害があっても、時間が経てば復興してきました。しかし放射能汚染はそうはいきません。いったいいつになったら復興できるのでしょうか。あるいは復興はできるのでしょうか。
 このたび久しぶりに齋藤忠夫さんにお会いし、「ナラの木」のこと、また「ナラの木」に寄せられたすばらしい文章を知りました。私たちは毎日植物を育てていますから、植物の根ということはとてもよくわかります。根は土の中にあってふだんは見えないものですが、私自身はその根のようでありたいと思っています。思えば「根性」ということばには「根」があります。表面的なことではなく、本当に強い気持ちのことを根性というのは、まさに「ナラの木」に描かれている根のことだと思います。
 被災された農民の方は、一日も早く田畑に出て、これまでのように田畑の仕事をしたいという気持ちが痛いほどわかります。そのことが農民にとっては一番幸せなことなのですから。その日が来ることを信じて、栃木からお祈りしています。


小田百合子様からのお便り

2011年04月01日 | エッセー
小田百合子さんからは2012年の春に突然連絡を頂戴しました。それは慶応大学でおこなわれる「来往舎コンサート OTOの余韻 秋・空・響 Part 3」と題するコンサートを開催(10月6日)するにあたって「ナラの木」を紹介してもよいかという打診でした。驚いたのは小田さんが大船渡のお医者さんである山浦先生とお知り合いで、その朗読を山浦先生にしてもらうということでした。私は若い頃、大船渡にある五葉山でシカの調査をし、山浦先生のことは存じていました。山浦先生は大船渡地方の方言を「ケセン語」と呼んで、その文法を解説する本を出版しておられます。その精神は東京の標準語をよしとし、地方のことばを低く置くことに対する強烈な反撥にあり、私はその本を読んで溜飲を下げた思いでした。先生は敬虔なクリスチャンでもあり、東日本大震災のとき、先生の訳になるケセン語訳の聖書が奇跡的に無傷で残ったそうです。その山浦先生が「ナラの木」を自ら朗読されるということで私は大感激したのですが、あいにくその日は調査の予定が入っていて泣く泣くあきらめましたが、小田さんからDVDが送られてきたので、拝聴できました。
 小田さんは音楽家で邦楽のオリジナル作品を紹介されたようです。その小田さんから久しぶりにこの6月にお手紙がとどき、大船渡と陸前靍田でおこなわれたコンサートのようすがDVDで送られてきました。それを見ると邦楽演奏のあとで山浦先生がすばらしい「ナラの木」の朗読をしておられました。それは慶応大学のときと違い、「ナラの木」をケセン語にしただけでなく、語数を整えてリズムがつけてありました。靍田では別の方がやはり自分のことばで朗読しておられました。聴衆は静かでしたが、こういう場にあまり慣れていなくて、遠慮したようすでした。でも、演奏が終わると、もうたまらずに拍手をしたという感じで、大きな声を出した人もいました。英語の詩が東京ことばではなく、自分たちの心の言葉で朗読されて心に響いたことが伝わってきました。
 小田さん、ほんとうにありがとうございました。東京でのコンサートの企画もあるとのこと、楽しみにしています。

スコットランドの独立 2014.9.18

2011年04月01日 | エッセー
 スコットランドが独立する、しないの選挙がおこなわれるという。
「どういうことなの?」
 というのが最初の思いだった。
 イギリスといえばすばらしい国という印象がある。第二次世界大戦後はアメリカの世界になったが、そのアメリカの本家あるいは老舗という感じだ。物質的に豊かといっても、底の浅さや、ケバケバしさを感じさせるアメリカとはかなり違う重厚感がある。私の中でひとつ忘れられないのは、モスクワ五輪をアメリカがボイコットしたとき、日本は追従したが、イギリスはスポーツと政治は関係ないといって参加したこと。それに生物学を学ぶ者としては、BBCのドキュメンタリーのすばらしさや、ダ―ウィンを生んだ国としてそびえるような感じがある。その大英帝国に所属するスコットランドが「独立したい」というのはどういうことなのだろう。
 あるとき、ロンドンにある大学に行った。イランでマングローブの調査を手伝うことになったとき、情報が乏しかったので、収集に行ったのだ。東北大学にいた先生を通じてイランに詳しいスコットランドの先生に会うことになったのだが、その知人の先生が「訛りがきつくてわからないから私が説明する」と言われて驚いた。もちろん、その会話は英語でしたのだが。
 今回の報道によれば、スコットランド出身の政治家は訛りを変えないし、ジェームズ・ボンドもそうであったという。これはイングランドのことばを赤とすると、スコットランドのことばは青であるというようなこと、つまりどちらが正しいとか、よいとかいうことではなく、ことばの違いに優劣はないということの現れである。そのことは、体系の違うゲルマン語とラテン語のような違いではなく、コミュニケーションはできるが、アクセントが違うという範囲では当然のことである。中国でも毛沢東は強い訛りがあったが、彼のことばを笑った中国人はいない。そう思うと、日本の方言感は相当特殊なのだということになる。
 確か佐々木幸三という社会党の政治家がいた。いかにも東北の人のよいおじさんという雰囲気の人だったが、彼が国会質問をしたとき、自民党の議員が「訛っていてなにをいったかよくわからないが、要するにこういうことのようだ」と言ったのを覚えている。これは東京弁が「正しく」て、それ以外の地方のことばは「正しくない」という価値観による暴言である。
 政治的、とくに経済的に国としての体がなりたつのであれば、違う文化を保つためには独立したほうがよい―今回のスコットランドの独立騒ぎはそういうことから生じたのであろうか。スコットランド人はイングランドを、日本の東北人が東京に対して思うようには思っていないのかもしれない。

 思えば、権力者がいう「天下統一」というのは、要するに武力で対抗勢力を抑えつけることである。イングランドは現在の4カ国を「統一」したのである。だが、ほかの国と違うのは、それで新しいイングランドというひとつの名前の国にしたのではなく、UK(United Kingdom)つまり連合王国という一般名詞のような国名にし、イングランドはそのうちのひとつ、スコットランドもしかりというとした点である。私はそれを「イギリスは別格」だからととらえていた。イギリスの切手には国名がない。そのことで世界のどの国とも違う特別の存在であることをアピールしている。山岳協会という名前も、イギリスという国名を冠していない。UKという特殊な国名は、そういう「世界の例外」としてのイギリスらしさの表れのひとつだと思っていた。だが、今回のような騒動があると、そうではなくて、イギリス、つまりイングランドという国名にできない事情があったのではないかという気がしてくる。日本でも町を合併するときに町名をどうするかでは必ず一悶着があり、片方にすると、他方が消えるので、新しい別名にしたりする。ではUKがイングランドにできなかった背景とはどういうことか。
 信長から家康に至る過程で起きたのは、天下統一という建前のもとに、武力で敗者を服従させたことにほかならない。明治政府は革命政府であるとはいえ、社会全体は徳川の三百年で形成された中央集権性に乗ったものであった。その過程で官軍が逆らう者を抑えつけた。江戸時代のことばのことは想像ができないが、明治以降ほど東京弁が「正しい」とは思われなかったに違いない。明治政府は「統一」に懸命だった。方言の矯正と標準語の押しつけは、そのひとつの活動であった。そのことが世界て類例のない、同じ国のことばに優劣をもたらすことになった。
 日本で沖縄が独立するということはありえないだろうか。経済的には困難であるかもしれないが、独特のすばらしい文化をもち、相当違うことばを使い、大和に迷惑を被り続けたという意味で、十分に理由になるだろう。
 UK4カ国がイングランドにならなかったことには、イングランドがそれだけ強くなかったということかもしれないし、他の3カ国に対する遠慮、配慮、敬意といったものがあったということなのかもしれない。それこそが民主的ということなのかもしれない。そうであれば、明治政府の統一は強く中世的で、UKの民主的とは相当に質が違うものということになる。私はそういう勉強をしたことがないので、本当のところはわからない。
 もしスコットランドが独立するということになれば、世界中で新たな動きが生まれるに違いない。少なくとも「私たちは本当にこの国の一部であることが幸せなのだろうか」という見直しが起きるであろう。それは権力者にとっては脅威であろうが、国家とは何か、国家と民族の関係はいかにあるべきかという重大な問題を内包していると思う。
 私はみんなが仲良くしたらよいのに、と思う。誰だってそうだろう。だが、仲良くするということは、相手を尊重することなしにはありえない。相手の言葉を嗤うようでは、その条件を満たしていることにはならない。「ナラの木」の地方版のすばらしさは、そういうことを知ることに通じるはずだ。私はスコットランドは独立しないほうがよいと思う。そしてUKの中にあって、お互いがもっと独自の言葉や伝統を尊重しあいながら国を維持してもらいたいと思う。

島クトゥバ 2014.10.12

2011年04月01日 | エッセー
NHKテレビでとてもおもしろい番組がありました。沖縄のことば「島クトゥバ」をとりあげた「沖縄 島言葉の楽園」(2014.10/4)です。ご承知のように私は方言に興味があります。それは言葉そのものが好きだということに加えて、心と表現、言葉と文化、共通性と個別性といったことにつながるからです。
 実際に沖縄の老人が使う言葉を聞いて驚きました。まったく違うことばで、字幕があってもほとんどことばが拾えません。韓国や中国の人が話しているときに、たまに漢字で共通なのがでてきて、「あ、この言葉かな」と思うことがありますが、あの程度です。ユネスコの見解では、島クトゥバは日本語の方言というレベルではなく、日本語に対して沖縄語という別の言葉と認識すべきものだそうです。沖縄は小さな島でできているから、それぞれの島に違うことばがあります。そのため、首里政府は統一のために首里語を共通語としたそうです。驚いたことに首里と那覇で相当違う言葉をつかっていたらしい。いつの時代でも、どこの社会でも、権力者というのは自分たちと違うものを嫌い、しばしば見下し、自分たちと同じようにさせようとするものです。スターリンによってシベリアの少数民族の言葉は絶滅しました。同じことは世界中で起きています。自分の心からわきでる言葉を使うことを禁じられるということが、どれだけひどい仕打ちであることか。同じことを明治政府はおこないました。沖縄では「方言札」という札があって、学校で方言を使うと罰としてこれを首からぶらさげられました。私は同じことを岩手県の老人から聞いたことがあります。
 私が着目したのは、首里政府は首里語を共通語としながらも、各島の言葉を使うことを禁じなかったという点です。これはとても重要なことだと思います。ウチナンチュウはヤマトンチュウよりもやさしい。
 この番組の中で重要なことを言っていました。言葉をひとつしか知らないと、ものの考え方も偏ってしまう。違う土地には違う言葉があるということを知っていれば、ものの考え方にも違うということがわかり、ものの考え方に多様性が生まれるということです。
 飛躍するかもしれませんが、いま「イスラム国」が恐ろしいことをしています。まともな感覚では理解できないことです。ただ、そうするにはそれなりの事情と理屈があるはずです。アメリカが地上戦を避けて巨額を要する空爆を続けて、公共施設や無実の子供を爆撃すること、同じことをイスラエルがしたことはどういう正当化ができるでしょうか。「あいつらがわけのわからぬ悪い奴らだから」でしょうか。アメリカにダーティな面がたくさんあることは周知のことです。私には客観視ができませんが、アメリカだってイスラム国だって、相手を憎んで攻撃するという点で程度の差と言うところがあります。私は自分が目にする報道などで、イスラム国はどういう道理で戦っているのかを報じたものを知りません。初めから「あいつらは気違い染みたテロリストだ」という前提です。
 私には、そういう無知は、言葉の理解と共通するという確信があります。アメリカ人は政治家でも企業人でも、母語でそのまま世界中に発信します。そして英語が使える異邦人を「わけのわかる仲間になった人」とみます(口先では「あなたのことばもすてきね」ということを忘れないようにしながら)。でも、アメリカ人が本当の意味で違う国には違う価値観があると知っていたら、相手の言い分を聞いた上で武力以外の解決策を模索するはずです。
 方言をすばらしいと思えたら、それだけで楽しいはずなのに、自分が理解できないことを棚にあげて「あいつら、わけのわからない言葉を使う」と考え、理解不能→異質→差別と連鎖していきます。そして政治力のある国が、小さな国を踏みにじります。私の中の連想では、それは新幹線や大型スーパーともつながります。企画で作るから、新幹線の駅は大同小異、同じ雰囲気、のっぺらぼうです。大型スーパーやコンビニもそうです。土地土地の気候や土壌の違いがあって農作物や海産物が違い、それにふさわしい生活があり、それにともなう言葉が生まれ、工夫した表現が生じたはずです。それを資金力と組織力でお城のような建物を造って企画商品を売り、集客し、人の動きを変えてゆくのを見ていると、社会や人の生活を暴力的に破壊するかのようです。それは武器は使わないが原理的には大国の横暴と共通するものがあります。