縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

縄文純愛サスペンス空想科学冒険活劇「火焔型土器とヒスイ、ハープとサユリ」クランクイン!

2020年06月09日 06時43分08秒 | 糸魚川自慢

お元気ですか?サユリです。

聴こえますか?ハープの響き
 
感じますか?頬をなでる初夏の風
 
わたしは今、長者ケ原遺跡にいます・・・カッ~ト!
ダメ~!、もっと自然に!もっと開いて!もっと許して!もっと愛して!、そう、もっとブワッ~と、もっともっと!
 
縄文純愛文芸サスペンス空想科学冒険活劇「火焔型土器とヒスイ、ハープとサユリ」を演出するオレは、長者ケ原のクロサワである( ´艸`)
やっぱ現場はいいですなぁ。動いてきたよ~。
 
 

縄文人はヒスイにどうやって孔をあけたのか?・・・穿孔実験中!

2020年06月06日 07時43分04秒 | ぬなかわヒスイ工房

縄文人は、硬いヒスイにどうやって孔を開けていたのか?

未成品の孔底に、管錐(かんすい;パイプ状の錐先)を回転穿孔した痕跡が残っているので、篠竹やウツギなどを回転させていたのではないかと推測されおり、実験例も幾つかある。
 
しかし縄文前期~後期までの大珠などには直径5㎜内外の大き目の孔が開いているが、晩期の小型装飾品には直径2~3㎜の小さな孔が開けられており、これは竹ヒゴで穿孔したのではないか?と仮説を立てて、只今実験中。
花崗岩片を採集した勝山下の落水(おちりみず)は、糸魚川で唯一花崗岩が露頭した場所で、私の高校時代には花崗岩が砕けた砂粒が堆積していた。
 
竹の錐先のみでは竹が削れていくだけなので、ヒスイより硬い石英質の媒材砂と水を付けて回転穿孔していたと推測されているが、石英系の石を砕いて石英砂を作っていたらしいと言われても、縄文人はそんな危険で面倒なことをしなかったのでは?
石英部分を選んで、石皿の上でコツコツと叩くと、簡単に割れてくれた。
 
そこで勝山から風化して砕けた花崗岩片を拾ってきて、石皿で砕いたら、いとも簡単に真砂(マサ;花崗岩が風化してできた砂)が作れたので、水干(みずひ)して精製。
500円玉くらいの大きさに割った中で、茶色っぽい部分は捨てて、白い石英質部分だけ磨り潰すが意外に楽勝。
全部の作業で1時間で200gくらいできた。
 
次の問題は穿孔具だが、愛用の弓錐式発火具に竹ヒゴが差替えできる先端アタッチメントを製作、試行錯誤を繰り返して、1時間に1㎜の深さを穿孔できる穿孔具が完成した。
ちなみに竹ヒゴは30分で2㎜減っていく。
 
研磨砂製作から3日目にして、現時点で6㎜の深さに孔開け成功!
ヒスイ原石は厚み10㎜あるので、あと4時間で貫通の見通しだ。
 
これが終わったら、条件がもっと楽な管錐による穿孔、その次は、原石割り、成形も含めた実験をする所存。
 
縄文人の知恵に学ぶ、ヒトとヒスイの物語、コロナ禍で暇になったお陰でありマス。
 
 

 


ネコ脱走防止シール・・・来客の皆様ほっこりしてくださ~い!

2020年06月05日 07時27分13秒 | こんなモノ作った!

来客にネコ脱走防止を呼び掛けるシールを自作して、家中の出入り口に張ったら、宅急便屋さんが「ネコちゃん大丈夫ですかぁ?」とおそるおそる網戸を開けて、荷物を渡してくれた。

家もネコを飼っているんですよぅと、宅急便を渡してそそくさと帰っていったが、色んな家があるので宅急便屋さんも大変だ。

百均のシールにマジックで描いただけデス。

医療従事者だけでなく運送業の人も頑張っているのに、暴言を浴びせたりする人がいるという報道に心が痛む。
このシールで、ちょっとでもホッコリしてもらえたら幸い。

八千鉾神は大国主命にあらず?・・・出雲の痕跡が観えない考古学

2020年06月02日 22時13分36秒 | ぬなかわ姫
ヌナカワ姫伝説を考古学から読み解くと、残念ながら「八千鉾神との古代のラブロマンス」の可能性は、極めて低いのデス。
 
八千鉾神=大国主命とするならば、14柱もの奥さんと182柱の子供がいたとされる大国主命だから、ヌナカワ姫とだけに「古代のラブロマンス」もないもんだが( ´艸`)
上越市の関川河口左岸の丘陵の居多神社には、奴奈川姫と大国主命が祀られるが・・・。
居多神社境内の奴奈川姫と大国主命の石像。奴奈川姫が抱いているのは建御名方神なのだろうが、大国主命は巨大なアスパラガスを抱いているのか???(笑)
 
糸魚川と同じく、上越市と妙高市の斐太遺跡群からも山陰系の「四隅突出型墳丘墓」や、青銅器などの威信材が出ておらず、山陰系の土器の破片が少し出ているだけなのだ。
斐太遺跡公園の管理棟の展示は、国指定遺跡にしては淋しい内容ですなぁ。
こちらは斐太歴史資料館の展示。
山陰系の土器とは、山陰の影響を受けた他地域の土器のことであり、可能性としては北陸地方から運ばれてきた可能性が高い。
 
口碑に、ヌナカワ姫は能登から糸魚川に逃げ帰って来たともあるので、古事記の求婚譚の八千鉾神とは、能登に拠点を置く北陸方面司令官、或いはその傘下の豪族ではなかったか?
例えば、東映の大ヒット実録シリーズ「仁義なき戦い」での、好色で狡猾な呉の山守組組長(笑)
山守組長役は、金子信雄さん!
 
「わしゃぁよぅ、出雲(神戸)から盃もろうとるんでっ!わしに任せておきんさいっ!悪いようにはせんけんのぅ!のっ!ウワハハハッ!」と、出雲の権勢を借りてやらしく迫ってきたので、ヌナカワ姫は逃げた・・・。
 
余談だが、山守組組長のモデルになった実際の山村組長をよく知る、山口組三代目の田岡組長は、あまりにも金子信雄さん演じる山守組長が実物通りなので、「ありゃホンモンだ。」と唸ったそうだ( ´艸`)
 
東頚城地方には、八千鉾神から言い寄られたヌナカワ姫が、八千鉾神が醜男だったので嫌って逃亡してきたとの口碑がある。
 
例えば十日町市の松苧神社には、八千鉾神は祀られておらず、ヌナカワ姫のみが祀られている。
 
それは柏崎市の黒姫山に「黒姫神」として祀られるヌナカワ姫にも言えることなのだが、八千鉾神の侵攻に敗れ去り、生き残った人々が逃亡した先々で、敗残の哀れとヌナカワ姫の運命を嘆いた痕跡なのかも知れない。
 
例えばヌナカワ姫の巫女集団や、闘い破れた戦士たちによって・・・。