沼隈文化財研究所

「温故知新」
文化財を通して歴史を振り返ってみよう。
文化財です。歴史です。

[三太刀(みたち)遺跡発掘調査]現地説明会

2008年06月30日 | 発掘調査情報
[三太刀(みたち)遺跡発掘調査]
現地説明会がありました。

日時:平成20年<2008>6月28日(土)10:30~11:10

場所:三原市本郷町本郷

主催:三原市教育委員会

説明員:時元学芸員、小池学芸員

[発掘調査概要]
 三太刀(みたち)遺跡は、馬蹄形している三太刀(みたち)山に囲まれた
 範囲が三太刀遺跡です。
 三太刀山には、古墳が密集して古墳群を形成し、この遺跡には、
 小早川氏との関連が指摘されている。
 小早川氏は関東から入ってきている武士団で、

 関東では、領主の館を「御館(みたち)」と呼び、関西では「土居(ど
 い)」と呼んでいる。
 この遺跡の調査は、平成12年度から平成16年度までは、広島県が発掘
 調査を行い、平成18年度から三原市教育委員会が発掘調査を実施してい
 る。


1.平成12年度の調査(A~D区)

・掘立柱建物跡、木組みの井戸、鍛冶遺構などを検出し、土師質土器、輸入
 陶磁器、鉄製品、古銭などが出土している。

・出土遺物から、13世紀後半から15世紀前半の遺跡と考えられている。

2.平成13年度の調査

・みたち第2号古墳

 直径約12m、高さ約2.5mの円墳で検出状況から、竪穴式石室と推
 定。出土遺物は、金銅製冠、須恵器、鉄器、玉類、円筒埴輪など。
 5世紀末から6世紀初頭と考えられている。
・ みたち第3号古墳
 径11m、短径8.5mの楕円形の墳径で片袖式の横穴石室を有する。
 出土遺物は。装飾付須恵器、鉄器、玉類など。


3.平成14年度の調査

・三太刀遺跡(E区)

  4世紀から5世紀の竪穴住居跡を3棟確認。


4.平成15年度の調査

・三太刀遺跡(F・G区)

 井戸、柱穴を検出、古代から中世の土師器・須恵器・土師質土器が出土。


5.平成16年度の調査

・みたち第1号古墳

 径13m前後の円墳。

 組合式の箱式石棺の中に頭蓋骨1体分、大腿骨の一部、鉄器(刀子)が出
 土。人骨から顔が小さい壮年から熟年の女性で頭部に水銀朱が認められ
 る。

・みたち第5号古墳

 試掘調査により、銅鏡(盤龍鏡)・玉類・鉄器が出土。

 出土遺物から3世紀末から4世紀の古墳で、みたち古墳群の中で最古の古
 墳。30m前後の前方後円墳である。


6.平成18年度の調査

・みたち第5号古墳の確認調査

 北側部分がなくなっていた。全長30mの前方後円墳と推測。

 長さ約5m、幅3mの主体部を確認、出土遺物は銅鏡片、玉類が出土。

 この銅鏡片で盤龍鏡が完形となる。


7.平成19年度の調査

・三太刀遺跡(H・I区)

 柱穴、土坑などを検出し、古墳時代から中世の須恵器、土師器、瓦質土
 器、土師質土器などが出土。


8.平成20年度の調査

・三太刀遺跡(I区)

 柱穴450個、溝(土塀)9個、土坑などの遺構を検出。

 出土遺物は、土師質土器、瓦質土器、青磁、陶器、鉄器などが出土。

 遺構の時期として、14世紀を中心に15世紀までと考えられる。
・調査の結果、南北方向に検出した2本の溝は、平成12年度の調査で検出
 した掘立柱建物跡・井戸跡の西側の塀跡と考えられる。

・柴垣(資料)は、柱を置いて作成するので、溝の中に柱穴が残る。

 塀跡(板塀)の場合は、溝の中に柱穴が残らず、控え柱として溝より離れ
 た場所に柱穴が残る。

 今回検出した2本の溝は、柴垣から板塀への建替えを考えることが出来
 る。
・ 建物としての柱穴の場合は、一間の幅が6尺5寸から6尺で測れるの
 で、柱穴を2mの尺を当てて測ると、3×2間の建物ができる。
 また、2×4間の建物もできる。時期の違う柱穴を検出しているので、
 このことは、建替えを行っていることが想定できる。

・今回の調査で、遺跡の中で時代の中心は14世紀が中心と考えている。


(左から高山城、新高山城、毘沙門山)


(左から新高山城、毘沙門山、右端が三太刀遺跡遠景)


(三太刀遺跡遠景:馬蹄形の西側は失われています)


   (柱穴・堀跡検出状況)


(柱穴に木の棒を立てて、建物跡の柱穴状況の説明)


      (出土遺物)

      (出土遺物)

      (出土遺物)

      (出土遺物)

(出土遺物:花弁の浮き彫り文様)

(漆器の出土状況:写真)

      (概略、文責:椿庵遍照)


最新の画像もっと見る