沼隈文化財研究所

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福山市瀬戸町「地頭分溝渕遺跡」現地説明会(報告)

2015年12月27日 | 発掘調査情報

 (公益財団法人)広島県教育事業団埋蔵文化財調査室では、
福山市瀬戸町「地頭分溝渕遺跡」を平成27年5月11日 ~ 平成28年1月22日(予定)の日程で発掘調査を続けている。

 今回、その発掘調査の現地説明会を、平成27年12月19日(土)13:30~に行った、現地説明会の概要の報告です。

 今回の発掘調査は、一般国道2号改築(福山道路)工事に伴うもので、工事に先立ち福山市教育委員会が試掘調査を行い、弥生時代から古墳時代・中世(鎌倉~室町時代)のものと思われる遺構や遺物を確認し、本格的な調査を行う事になった。

 調査面積は、約8,000?で、調査区を水田ごとにA~F区の7つに分けて、北側から順次調査を進めて、E区まで終わったところで、F区は表土を除いた状況です。

 A区B区は、調査を終了し遺構は、埋め戻されていて、今回の現地説明会は、D区・E区を中心に説明がありました。


(周辺遺跡地図)
(発掘調査区)

 [発掘調査の記述事項の内容]
 SD:溝状遺構
 SX:性格不明遺構面
 SK:土坑状遺構
 SB:建物跡

[出土遺物]
 出土遺物については、鎌倉~室町時代にかけての土師器や土器類が出土し、調査区により、近世の遺物も出土している状況でした。

 以下、調査区により概略を報告します。


[調査区A区]
 調査区A区は、調査が済み埋め戻されていて、現状の確認は、出来なかっが、調査区の北東側あり、溝状遺構と性格不明遺構や柱穴等や調査の状況から窯的な遺構も検出しています。

 遺物については、土師質土器を中心に陶磁器・須恵器・瓦等の破片や近現代のものも出土している。

 [調査区B区]
 調査区の北西側にあり、北部を中心に土坑(SK)三基、溝状遺構(SD)2条、性格不明遺構(SX)1基、柱穴などを確認している。

 SK1は、隅の丸い長方形状の平面形で、長さ1.9m、幅1.1m、SK2は平面形が円形で、礫が出土し、SD1は幅1.5mで底面形状や埋土の土層断面から小さな溝を幾度も使用したものと判明した。

 遺物は、土師質土器を中心に陶磁器・須恵器・瓦などの破片が出土している。

[調査区C区]
 A区の南側に位置し、上段を中心に掘立柱建物跡(SB)1棟、土坑(SK)6基、溝状遺構(SD)2条、性格不明遺構(SX)1基、柱穴などを確認している。
 SB1は、等間隔で並ぶ柱穴列から1間×8間以上と考えられ、柱穴の一部に根石を据えていた。SD2は、東側に1間×2間で並ぶ柱穴列があり、建物に伴う溝の可能性がある。大型のSX1は、自然流路と考えられる。
 遺物は、SK3で須恵器の甕片、遺構内外で土師質土器を中心に陶磁器・須恵器・瓦などの破片が出土している。

[調査区D区]
 E区の東側に位置し、堆積土中から古代の円面硯・土師器・土師質土器などが出土している。

 現在までに、土坑(SK)4基、溝状遺構(SD)5条、性格不明遺構(SX)3基、柱穴などを確認している。

 SD1は、東西方向に延びる溝状遺構で、底に横長の石を並べた状態で見つかり、SX1~3は、土器溜と考えられ、特にSX1は、古墳時代初期の甕が2個体分出土しており、それぞれ器形が異なる点が注目される。
 SX2は、礫や焼土に交じって三つ巴文の軒丸瓦が出土している。SX3は、SX1よりも新しい時期の土師器甕が出土している。また、土師質土器椀や瓦器椀・火鉢が出土した柱穴もある。
 この調査区内から出土した遺物は、他区と同様に土師質土器や須恵器、陶磁器などが出土している。
 D区は遺構に伴った遺物もみられ、古墳時代初期から中世
にわたって生活を営まれたことがわかる。

[調査区E区]
 調査区E区は、C区の南側、D区の西側に位置し、掘立柱建物跡(SB)1棟土坑(SK)7基、溝状遺構(SD)12条、性格不明遺構(SX)6基、柱穴等を確認している。

 SB1は、山側(西側)に溝を持つ建物跡で、左右対称な間隔で柱穴が並んでいる。
 現状の規模は東西方向に7m、4間×1間以上であったと考えられる。
 SK5は、長方形状の平面形で、現状の規模は1m×0.8mで、削平により深さは最大15cm程で北西隅で土師質の小皿と椀がまとまって出土した。
 SK6は、円形の土坑で、須恵器甕の破片が多く出土している。
 SX1は、ほぼ床面のみが残存した建物跡で、床面では、柱穴2本のほか、土坑5基がみつかり、土坑内では、大量の砕けた炉壁や羽口が出土していることから、最寄りに鍛冶関連の作業場があったと考えられる。
 遺物は、土坑内で土師質の椀や刀子、床面から希少な蔵鍵が出土している。
 SX3は、直径2m以上になる大型の掘り込みで、下層で底面に窪みのある土師質の椀が出土している。
 上記以外の遺物として、SD4・12で土師質の小皿が出土したほかに、調査区内や包含層から土師質土器・陶磁器・須恵器・瓦等が出土している。
 出土の大半は、土師質土器でA・B区に比べると陶磁器の出土量が少ない傾向にある。
 SX2付近で流れ込みとみられる鉄刀の柄部や銅製品の破片も出土し、かつて上方に存在していた古墳が開墾により失われている可能性も考えられる。

[調査区F区]
 今回の調査区の最も南に位置し、現在調査中で重機による
表土剥ぎでは、住居状遺構や溝状遺構、土坑、柱穴群を確認している状況です。


 今回のまとめとして


 A・B区では、近世以降の遺構が多く、中世以前の遺構はC~E区など遺跡南半に集中しているようである。

 出土した土師質土器は、草戸千軒町遺跡や草戸町を荘域の一部とする「長和荘」と平行する時期(鎌倉~室町時代)のものです。
 また、灯明皿と思われる土師質の小皿や円面硯、青磁、白磁などの輸入陶磁器などは、宗教施設や役所的な施設の存在を考えることが出来る。
 これらの出土遺物以外にも、弥生時代後期や古墳時代初期の甕、古墳時代中期の須恵器、平安時代の様相が窺える土師質土器など、
時期幅のある土器類が出土している。
 近辺に古墳の存在を想起させる鉄刀のほか、敲石類などの石器も出土しており、今回の調査は原始・古代の遺跡が確認されていなかった当地域の歴史像を見直す契機になるであろう。

 今後、遺跡の整理を進め、福成寺や草戸千軒町遺跡・長和荘との関連を解明して行く中で、この地域の歴史の様相が明らかに成って行く事と考えられる。

(本資料の内容は、現地説明会で配布された資料に基づく)
(文責:芦田流水)

【出土遺物】



(土師質土器)




(土師質土器)



(土師質土器)




(円面硯 須恵器)





(土師質土器)




(土師質土器)




(土師質土器 甕)



(土師質土器 壺)




(備前焼 甕)




(瓦器 椀)


(瓦器 香炉)


(古銭 宋銭)


(蔵戸鍵)


(刀子)

【調査C区】


(C区 北から南西方面)


(C区 南から北方面)


(C区 自然流路)


(C区 SB1)

【調査D区】


(調査D区 北方面)



(調査D区 南側方面)


(調査D区 瓦出土状況 赤丸部分)

【調査E区】



(調査E区 上段部分 南から北方面)



(調査E区 下段 南から北東方面)


(調査E区 SK5拡大)


(調査E区 SD5部分)



(調査E区 SB1部分)

【現地説明会風景】

(現地説明会風景)



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