のりひめのひとりごと Monologue of Noriko

2012年からオーストラリアと日本を行き来しています。日常のいろいろを書いてます。

のりひめの過去ばなし38.続お米屋さん向けセミナー「チラシの研究」

2011-07-28 16:53:54 | のりひめの過去ばなし

●続お米屋さん向けセミナー「チラシの研究」

お米屋さん向けセミナーは、会社のお客様や、とある全農のお客様や
東京都の米穀店向けセミナーなどでも行いました。

好評だったのが「チラシの研究」です

チラシの反応率は近年激減しています。
新聞を取っている人も少なくなってきているし、
ポスティングも見ないで捨てられる。
インターネットやテレビショッピング、
大型ショッピングセンターにディスカウントと
商店で買う理由がほとんど皆無になっている厳しい時代です。

また情報の入り口がインターネットに携帯に
多様化しているとともに、テレビで見た情報がYAHOO!でもmixiでも
自分のブログでも同時に現れるという具合に、広告の形態が大きく変わってきています。

昔はチラシの反応は数パーセントはあったのですが
いまや1パーセント未満です。
なにしろ新規顧客獲得は不可能に近い。

それでも紙は強いもの。
企画内容、対象、配り方、頻度などによって、
既存のお客様にはしっかりと効果を出すことができます。

しかし多くのお米屋さんは、チラシは新米のときにだけ、
あるいは年末ののしもちのときだけ、というのです。

なぜでしょう?ときいたら、
チラシはあたらないから。

出さなければあたりませんよね。

また、たまにしかださないから、作るのもおっくうです。
今の時代パソコンでいくらでも自分で作って
安い印刷もたくさんあるのですから、
やってみない手はないのではないでしょうか?

そこでまず、チラシをつくってみたいと思えるよう、
別の業種のチラシを持ってきてみんなで研究しました

まずはもとのチラシをじっくりと見て、
なにが一番目に入るか、
なにが心に残ったか、よいところ、いまいちなところ・・・
など話し合います。

その後にそのチラシをレイアウト枠だけにして、
内容を消したもので、自分の店で考えます

白紙にすると、企画のアイデアがわいてくるものです。
みんなで話すと、様々なお店のイベント企画や商品の案内が持ち上がり
ひとつを採用して、グループごとにチラシを作って発表すると

な~んだ
新米、のしもちだけでなく、こんなにたくさんのアイデアがでるじゃないですか!

これをきっかけに毎月お客様向けに案内を出し、
自分の考え方を発信する決心をしたお米屋さんが出てきました。

チラシも手紙も、お客様に対するお店からのラブレターです。
そう、ものだけを売ろうとするからお客様は捨ててしまうのです。
そこに店主や農家の思い、お客様への思いやりがたくさんつまっていれば
すぐには捨てられません。
「今回のお話よかったわ~ わたしもね・・・」
とお客様から話しかけられます。

発信すればお客様からなにかメッセージが帰ってきます。
はじめたお米屋さんははげみになって、ますますがんばっています。


ここまで読んでいただきありがとうございます。
次回は ●●続続お米屋さん向けセミナー「オリジナルギフトをつくる」です

のりひめの過去ばなし37.お米屋さん向けセミナー

2011-07-27 08:46:53 | のりひめの過去ばなし
関根典子です
ビジネス書の出版をめざし、ただいま過去の棚卸中
よかったらおつきあいください。

●お米屋さん向けセミナー1ほめられアンケート

会社の仕事はこだわり米の卸です。
お取引先のお客様は、小さな商店です。
夫が酒屋さんをしていた縁で、多くは酒屋さん、
そしてお米屋さん。

結婚したのが2005年ですが、その年から
「商売繁盛セミナー」というのを夫婦で始めました。
それまでは夫が講師で商品のことも、マーケティングのことも
セミナー全部を構成してやってきたのですが、
ここから夫婦で二人三脚、わたしがマーケティングのこと、
夫が商品の深い知識の部分を担当し、
前半後半の二部構成にして午後4時間のセミナーを
シリーズで5回とか6回で行いました。

わたしも商店に特化していたわけではなかったので、
手探りではじめました。
10年以上の長いお客様が多く、いままでにない温かい家族の
ような雰囲気で、素直にお客様のふところを借りて、
参加のみなさんが元気が出て、次に会うまでになにか
アクションを起こせるような、そんな運営をしました。

一番盛り上がったのは「売上三倍増セミナー」で行った
「ほめられアンケート」です。

大規模ショッピングセンターがどんどんできるなか、
商店街の集客というのは、とくにパワーのある吉祥寺や
武蔵小山などの商店街などを除いては、
もうほとんど消滅しているといって過言ではありません。

まわり中がシャッターだらけでも、自店だけはお客様が
コンスタントに買いに来る、あるいは店を閉めていても
固定のお客様がいて、毎日配達に行っている、
そんな状況でなければ生き残ってはいけないのです。
仕入れも、すべて完売する予定で予約をとってから
一気に売り切るとか、前金をいただいていて、定期的に
お届けする頒布会方式とか、そんな工夫をしないとなりません。
「だれか」ではなく、「あの人に」買っていただく。
そんな厳しい時代です。

こうした状況ですから、商店主の方たちは自信を失っています。
この人たちにもっともっと自信を持ってもらいたいと思って
お客様向けアンケートを実施してもらうことにしました。

アンケートは、お店や商品についてのご意見と、
店主へのはげましのメッセージを書いていただきます。
設問の仕方で、ほめられるアンケートかけなされるアンケートか
きまってきます。

でも、いまお店に来てくれているお客様へのアンケートですから、
そんなにひどいことを書かれる心配は、実はありません。
いやだったらいくらでも店は他にありますから、
基本的にファンしか来ていないのです。

お客様の意見を収集できたら、活用できることはたくさんあります。
イベントや仕入れにお客様の意見を取り入れたり、
チラシやPOP制作の際にお客様の声として掲載することもできます。
意見を言ってくれたお客様も、お店が要望をきいてくれたら
ますますファンになります。
お店もお客様から繁盛のヒントをもらえて、
さらに励ましのメッセージをもらえたら、
ますます元気がでるというわけです。

宿題を出して、翌月、
お店の皆さんはそれぞれにアンケートの結果をもって
発表してくれました。
お客様に上手に働きかけて、たくさんの意見とはげましのメッセージを
もらったお店もありましたし
機械的にアンケートを配布して、機械的に集計したお店もありました。

あるお店は、返信用封筒に切手を貼ってお客様にわたしたところ
ほとんど回収できて、
「お店に封筒がつくたびに、お客様からラブレターをもらっているようで
それだけで元気が出た」といっていました。

また別のお店の店主は
「お客様から温かいはげましの言葉をもらって、
くじけそうだったのが、すごくやる気がでてきた」

先代からひきついだ二代目店主は
「お客様が長くあたたかい目で見守ってくれていることが身にしみた」

お客様に、日ごろ「私のお店のことどう思っていますか?」とは
なかなか聞けないものです。
勇気を出してきいてみると、
思わぬ温かいコミュニケーションが生まれます。

機械的にアンケートをしたところは
やっぱり機械的な答えが返ってきます。

商店のコミュニケーションはもともとが地域と長く交流する
あたたかいコミュニケーションです。
これを、みなさんの発表からしみじみと感じたのでした。


●次回は、セミナーの続編「チラシの研究」です。

のりひめの過去ばなし36.夫婦で未来創造プランニング

2011-07-25 09:14:16 | のりひめの過去ばなし
●夫婦で未来創造プランニング

2004年の7月、付きあい始めてから2ヶ月でプロポーズされました。
わたしも嬉しく、「はい」と返事をしました。
それからふたりでやったことは、未来創造プランニング
これからお互いにやりたいことや夢を付箋にひとつずつ
かわりばんこに書き出してみました
その中には、今まさにとりかかっている「海外移住」の夢も入っていました。

つぎに、まずはふたりで生活するところをどうするか、
地図でいろいろ考えました。
その頃はわたしも渋谷の会社に通うつもりでしたので、
夫の会社がある越谷と渋谷のどちらにも行きやすい場所を考えました。

結果、夫のほうはお客様が数件固まっている地域、
わたしは一本で渋谷にいけるということで、
吉祥寺に住むことになりました。
8月の暑い日に、不動産屋さんにいってさっそく物件さがし。
駅から10分ほどのすてきな構えのマンションで45㎡の2DKが気に入りました
家賃175000円、渋谷並です。
サムタイムというジャズライブハウスにかよったり、
おしゃれな居酒屋さんを発掘したり、
たのしい吉祥寺の生活がスタートしました。

将来の夢とすむところの夢を描くこと
このふたつはいまでも二人にとってなにより楽しい妄想です。
引越し大好きで、結婚して7年目ですが、事務所と自宅の引越しを6回もしています。


手順などはこちらに載せてあります
キャンピングカーで移動オフィス


だいたい二日やって毎晩宴会です。

2005年は熱海で海の見えるお部屋に泊まりで未来について考えました。
かなり一生懸命やりました。
ふたりで書き出したやりたいことは108個

まさに煩悩の数!
熱海で将来を考える2005年

2009年から10大ニュースをやるようになりました
10大ニュースづくりは、最初にやるウォーミングアップです。
これをするにはやっぱり年末か年始がよいですね。

2008年夫婦の10大ニュース
また、10年後の自分たちの夢を描いて、リビングに飾りました。



10年後の自分たちは社会貢献もしているだろう、
NPOを立ち上げて農業応援をしているだろうと書きました。
そうしたらなんと、その年にNPOを立ち上げ、長野でコンサートをしてしまいました。
10年後の自分たちの夢


2010年はお正月あたりに考えました
未来創造マップ作り2010年



で、また年末に2011年のことを考えました 
このときはキャンピングカーででかけて富津岬にお泊りしました
昨年の棚卸
昨年の夢や目標をエクセルに転記したもので、
かなったもの、かなわないが継続するもの、もういいものを振り分けます
今年、現在7月ですが、今年のかなったものは
車の免許をとったこと、出版を目指して勉強していること
英語の勉強をする、オーストラリアとのビジネスの準備をすすめる などです。


未来創造プランニングでは、仕事、健康、家族、知識、お金、社会貢献といった
6つの分類で、考えています。

仕事ものプランニングでは、自由に動けるスタイルになるよう、
毎年こつこつと体制を整えてきました(夫ががんばりました!)

キャンピングカー移動オフィスも実現しましたし、
自由に動ける体制になったおかげで親孝行の海外旅行もいけるようになりました。
両家族で、3回海外旅行にいくことができました。
海外移住の夢も近づいてきました

健康では、ふたりはすごいお酒のみなので、楽しく長生きするために
毎年休肝日100日を決意、現在6年間継続しています。
ほかに、保険の見直しをしてみたり、NPOを立ち上げたり
ぜんぶこのプランニングをしたものです。

ふりかえると毎年のテーマがあり、ずっと継続したテーマがあります。
これは続けてきてわかることでした。
だんだん生き方も価値観も、自分たちらしく変化してきました。
夫婦で夢や問題意識を共有することの大切さを毎年実感しています。

そして、この未来創造プランニングを数年間続けて思ったこと

「未来創造プランニング」は、「未来の自分を予告する」

ということです。
描けば実現するのです 描かなければなにも起こらなかったんじゃないかなあ・・・。

この未来創造プランニングは、
さまざまな手法を加えて、毎年行っています。
夢がほんとうにわくわく夢なのか、目標がほんとうに達成しなければならないのか
検証することもできました。


また、日常生活で、お互いに忙しくなってもんもんとしたときも
付箋を貼って整理します。
なにが心配なのか書き出して、すぐやること、習慣にすること
期限を切ること、目標をさだめることなどに分類します。


仕事をふたりでしているので毎日一緒にいますが、
お互いにいろいろな心の動きがあるものです
ときどき書き出してみることで、自分のことも相手のことも
知ることができるのですね。

未来創造プランニングはふたりにとってとても楽しい作業です。
いつかみんなで合宿などしてみたいと思います。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。

次回は●お米屋さん向けセミナー です。

のりひめの過去ばなし35.お米屋さんになる

2011-07-21 14:28:53 | のりひめの過去ばなし
●お米屋さんになる

夫が経営している会社に入ることになりました。
埼玉県越谷市に本部をおく、こだわり米の卸を行っている会社です。
小さいフランチャイズみたいな形で展開してます。

酒屋さんの中に「玄米工房」というこだわり米(約10点程度)の
コーナー展開をし、玄米を店頭で精米してお客様に1キロ単位で販売する
という形態で、
こだわり米というのは、まず農家さんが特定できる、
さらに農家それぞれがお米の製法にこだわって作っている
という意味合いです。
その地域の規定の農薬や化学肥料に対し、50%以上けずって作っている
「特別栽培米」やまったくの無農薬、有機肥料で作っている「JAS有機米」を
扱っています。

もともと夫は酒屋だったのですが、
価格競争が激しくなり、差別化商品としてお米を扱うようになりました。

ちょうど食管法が撤廃になり、お米の販売が自由化されたころ、
仲間の酒屋さんと東北をまわってお米を仕入れ、
たくさんの農家さんとお話して、目からうろこのような感動をしたそうです。
その後、酒屋さんをたたんでお米の仕事に専念するようになりました。

どこにでもあるナショナルブランドの商品ではなく、
出所がはっきりしているこだわりの商品・・・お客様に語ることがたくさんある
商品であるお米を扱いはじめて、その仕事が楽しくなったのです。

わたしも、前の職場を離れてすぐに
東北めぐりに連れて行ってもらいました。
最初にディープにお話していただいた農家さんが
山形庄内で、農家のグループを作っているこだわり農家の方で、
それはそれは貴重な体験となりました。
山形から福島に入り、日本初の宇宙飛行士秋山豊寛さんひきいる
あぶくま農業者大学校の収穫祭にもお邪魔し、
黒米づくしのすてきなお料理をいただいたのも、同じときでした。

その後もさまざまなお付き合い先の農家さんを訪問するにつれ
農家さんがすばらしい知恵と経験と技術を駆使して
お米を生み出しているということがわかり、
お会いするたびに違う話をきいて何度も何度も感動しました。
農家さんは、植物のことだけでなく、バイオ、機械、気候、農家ネットワーク
さまざまな面に通じていて、しかも臨機応変でいなければなりません。
大変知的な職業なのです。

一応、わたしの立場は、販売促進のコンサルタントという立場でしたが
そんなことなんてぶっとんじゃう
すごいカルチャーショックでした。


事務所は北越谷駅のすぐそばにあり、
前面が店舗、うしろ半分が事務所になっていました。
夫の会社にいって驚いたのは、
設備関係、使用ソフトがまったくほとんど前職と一緒だったことです。
お米の卸というと、紙だけでやっているところが多いようですが、
こだわり米の情報をかなり詳細に伝えているので
コンサルティング要素の強い会社なのです。

結婚数ヶ月前に、先に会社に入りましたが、
結婚をぬきに転職先と考えても
「これはなんだか楽しい会社に入ってよかった!」と思いました。


仕事も楽しく始まりましたが、一方でもう少し長期の夢を
夫といろいろ考えてみました。
このときわたしたちは吉祥寺に住んでいたのですが、
将来、海外移住したいね なんて話もでてきました。
その前に吉祥寺に事務所を移転しようとか、
ふたりとも音楽が好きなので、バンドをつくりたいね、とか。

どんどんアイデアがでてきたので、未来の設計地図を作りました。
いままでのわたしの生活とは考えられない、
自由でわくわくする冒険が始まることがわかりました。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
次回は ●未来創造プランニングのはじまり です

のりひめの過去ばなし35.その他の書籍、夫との出会い

2011-07-20 08:08:21 | のりひめの過去ばなし

●その他の書籍

 「増販増客実例集」のほかに、会員さんの本をあと2種類企画制作しました。
 そのひとつが「増販増客カレンダー」です。
 手帳サイズで会員さんの名前で500部単位で印刷をするものです。
 中をあけるとカレンダーになっており、毎月季節の販促のアイデアが書いてあるもの
です。これは、フレンチレストランの売上増のお手伝いをしたときに作った
一枚ものの年間の販促ヒントのカレンダーがもとになったものでした。
 年末年始にお客様に配れ、いわゆるカレンダーと違って読み物になっているので
どうも捨てにくい、持っている間にちょっと読んでみると、気になるマーケティングの
メソッドがあって会員の税理士先生に相談したくなる・・・、そんなツールとして
制作販売されました。

 わたしはこの制作を初回は全面的にさせていただきました。
上手にイラストを書いてくれるしたスタッフがくわわり、親しみやすい本になりました。

 ただ、毎年の「増販増客実例集」と重なってそれはそれはスタッフで大変な思いを
しました。一冊目の「増販増客実例集」のときは孤独な戦いでしたが、
このときはスタッフ4名で徹夜をしていたので、そうはいっても楽しいやりがいのある
時間でした。

 もうひとつはやめる前に作っていた「人生の企画、事業の企画」です。
 これは、社長のコンテンツをもとに対象者を経営者として書き直し、企画書の
フォーマットや実例を掲載したもので、やはり会員さんの本として制作しました。
 この会社のしめくくりとしてとても良い仕事をさせてもらえたなあと思います。
 1999年に始まった税理士さんの会員組織もこのときで5年経ち、
書籍も「増販増客実例集」が3冊、「増販増客カレンダー」、
「人生の企画、事業の企画」が出て、会員さんの名前で出した書籍が5冊になりました。
上得意の会員さんは、自分の名前の本が5冊でていて、力をいれてマーケティングの
プロフェッショナルとしての営業をしていたので、5年前とは全く違う地位を築いた
人もでてきました。


●夫との出会い 

 2004年に夫と出会いました。
 彼は、マーケティングプロフェッショナルの養成講座に参加したのです。

 彼の仕事は、安全で環境にやさしい、特別栽培や有機栽培の玄米を、
酒屋さんや米屋さんに生産者の情報や販売促進のノウハウとともに供給することです。
 1996年から行っており、数十店のフランチャイジーをもつ、フランチャイズ
本部の仕事をしていました。
 自分自身のマーケティングノウハウ強化のために受講したのです。

 これまでの会員さんでも「お米」を扱っている会員さんがいなかったのと、
田んぼが似合うさわやかな感じの人だったので、わたしはとても惹かれました。
 セミナーのあとの懇親会で、意気投合し、その後にお互いに想いが通じ、
おつきあいすることになりました。

 実は夫は2回離婚しています。やわらかい温和な物腰で、まじめな人なので、
2回も離婚するようにはみえない人です。
 セミナーに参加した当初から自己紹介で離婚の話をしましたので、
受講生は全員そのことを知っていました。
 私もそれを知って驚きましたが、「2回も離婚できるなんて、大きな決断が
できる人だなあ」と、感心しました。(変?)

 独身キャリアウーマンが長かったので、結婚についてはそれなりにいいたいことも
あります。彼は二回も勉強しているので全く別の視点でいろいろと話をしてくれました。
 ふたりでよく結婚や仕事について話すうちに、彼の価値観にとても共感しました。
 付き合って2ヶ月後にプロポーズされ、わたしたちは結婚を前提に同棲することに
なりました。
 会社から歩いて2分のマンションから引越し、ふたりで吉祥寺に住むことに
なりました。

 社長には大事なことなので、お付き合いはじめたときにもすぐに報告しました。
 私自身は社長の夢が当時は上場だったので、その夢を叶えたいと思っていたのですが、結果的には会社をやめるように言われました。
(独立した事業主でかかわっていたのですが、会社にはわたしのデスクがかなり幅を
とっていました)

 ちょっと残念でしたが、自分で事業をしている人と結婚するとなると、
おそらくいままでのように仕事ができないだろうという社長の判断で、
いろいろと考えてくれていたようです。

 仕事を整理してその年の11月には会員さんにも挨拶して、その会社を卒業しました。
 受講生だったときからだとちょうど10年、深くかかわって6年半でした。
最初に勤めた靴のダイアナも、勤続十年でしたので、10年ワンクールとは、
不思議なものだなあと思いました。


 仕事に没入していたその期間は、毎日肩こりに悩まされ、息もあさく、具合も悪く、
気晴らしといえば宴会か買い物か美容院、とはいえ一週間のうち、ほとんど7日間
事務所にいるという状況でした。5時間以上睡眠をとるのは甘えだと思っていました。

 そんなわたしには、未来の夢といえば、会社の繁栄、お客様の繁栄、といってみたり、
親孝行もしたい、お金持ちになりたい、とか、そんなあるようなないような夢でした。

 お客様にも心配され、ときおり、事務所から連れ出してくれてライブや食事に
つれていったりしてくれる会員さんもいました。
女性の先輩は、「あなた顔色悪いからこの土日はやすみなさい。
社長にかけあってくる」といって、その場でかけあって休みをとってくれました。

 「休みは自分で決められるし、自主的にやってるだけだから」といっているのに
「1泊で温泉行こうよ マッサージも!」と、無理やり連れ出し、
楽しい1泊2日の旅行につれていってくれたこともありました。

 徹夜だお酒だと無茶ばかりしていたので、いつのまにか子宮に筋腫が
大きく育っていました。
 結婚した年には半年かけて手術の準備をし、直径8センチの子宮筋腫をとりました。
 今思えば、ほんとうにいいときに仕事のスタイルを変えられたのかもしれません。

 翌年2005年の春には、夫や両親兄弟とオーストラリアに行って、
ゴールドコーストでささやかな挙式をしました。



 ちゃんちゃん

 ここまで読んでいただきありがとうございます
 いったん第二部終了で~す♪
 これまでのリストはこちら

 続きはあしたかな?

のりひめの過去ばなし34.講師活動もしてました

2011-07-19 16:15:35 | のりひめの過去ばなし
関根典子です
ビジネス書の出版をめざし、ただいま過去の棚卸中で~す
よかったらコメントなどいただければ幸いです

●ビギナーズセミナーや女性企業家セミナーなどの講師活動

2001年の春のことです。
「高野さん、今度講演してくれない?」と、静岡の会員さんからいわれました。
「え?私ですか?」
「そうそう、あなた」

 きけば地元でたくさんの経営者のみなさんが集まっている会合で、
靴屋さんのときの販売会の話や、自分の話をしてほしいというのです。
70名の前で一時間半だそうです。

 セミナーは何度かしていたのですが、講演は経験がありませんでした。
その会合では、松下幸之助氏の勉強をしていて、社員道の話があり、
私が会社員だった頃の話をそのまましてくれればよいといってくれたのです。
 
 こういうお話をいただいたのも、靴屋さんでいろいろな経験をさせてもらい、
その後独立して会員制組織の立ち上げのお手伝いをさせていただいたおかげです。
 資料を作りながらふしぎなつながりへの感謝の気持ちがふつふつと
わきあがってきました。

どきどきしながらひとりで静岡に向かい、立派な会場で話をさせて
いただきました。
 温かいみなさんが熱心にきいてくれて、緊張もどこへやら、
楽しくあっという間に一時間半話し終えることができました。
その後の懇親会でもずいぶん年上の方も多かったのですが、
楽しくさせていただき、嬉しくてその夜はなかなか寝付けませんでした。

 その後も、同じ静岡の会員さんが、今度は袋井市の青年会議所(JC)から
「人生を企画する講座」を2回セットで行って欲しいといってくれました。
今度はJCですから二代目社長さんが多いのですが、1ヶ月に1回ずつ行って、
人生の企画についてみんなで考えました。

 人生について予定をたてたり発表したりする中で、
わたしも、初めて自分の予定に「結婚」といれてみたのがそのときです。
29歳で初めて企画書を書いてそれから7年、一度も人生の未来のところに
「結婚」と書いたことがありませんでした。
 みんなが企画書を書いている時間に、自分でも作っていたのです。

「Fさん、わたし初めて「結婚」って書いちゃった」とわたしを呼んでくれた
静岡の会員さんにいいました。
「え?初めて? で、いつ結婚するの?」
「う~ん 42歳くらいかな」
「もうちょっと早くてもいいんじゃない?」
「そおねえ~~~・・・」

 わたしはそれから3年、39歳で結婚しました。
 やっぱり書くって大事ですね。

 話を戻しましょう。JCのみんなは40歳以下。
若くて大酒のみで、講座のあとは朝まで大騒ぎの飲み会、
めちゃくちゃ楽しい経験でした。
地元でがんばっている企業が集まっていて、建設、不動産、資材、足場、機械など
そこにいる人たちだけで家もビルも立つようなネットワークでした。

 思えば、この静岡の経験も、地元企業の創業者のそうそうたる人たちと、
二代目社長の若手経営者と交流ができて、大変貴重な体験となりました。


 2002年の秋から冬にかけ、アビリティガーデンという雇用促進事業団での
セミナーもありました。
講師仲間と分担して3回ずつ、現在求職中の人たちに向けて開催される
セミナーです。

 わたしは人生の企画とマーケティングの企画と発想法の部分を担当しました。
 こちらはサラリーマンを経験してこれから別の会社のサラリーマンになる方々です。
 これからの不安があるなかでのセミナーですので、なんとか元気を出して、
自分に自信がもてるような講座にしようと思いました。

 12回コースで、大変実践的だったと、受講生の皆さんの評判がよかったそうです。
 受講生の皆さんとはその後しばらく忘年会などで交流していました。


 女性起業家セミナーというのも2002~3年に集中して何回かありました。
東京都の依頼だったり、群馬県の依頼だったり、そのつてで中小企業診断士の方の
お手伝いでまた東京で開催したり、別のセミナー運営している企業からまた依頼が
きたりなど、次々とありました。

 そこでも発想法やマーケティングの講座を行いました。
これから起業される女性の方が対象ですから、みんなやる気があり、
自分のできることで社会の役に立とうと懸命で、未来にまっすぐにむかっています。
とてもすがすがしい気持ちがしたものでした。


 2002年と2003年には、東京都の依頼で製造業の方向けのセミナーを
2クール、営業やマーケティングの部分を担当させていただきました。
 真珠アクセサリーの留め具とか、鉄道トンネル用の長いLEDとか、
車のボンネットの中に貼る緊急用の発光シール世界シェアナンバーワンの会社とか、
金型ならどんなものでも作りますという会社や、
カメラの三脚の上につける雲台(うんだい)を作っている会社など、
さまざまです。
 作るのは得意だけど売るのが苦手、ということで、製造業の方対象に
東京都主催で、売り方のセミナーが行われたのでした。

 営業の企画設計の方法を組み立てるときに、受講生の皆さんが苦労しながら
がんばっていたのがいまでも思い出されます。
製造業の皆さん、設計はお手の物なので、いったん方法が分かると目が覚めるように
どんどん営業のアイデアがでてきたものでした。
 やっぱり日本の製造業はすごいんです。


 また、企画ビギナーズ向けのセミナーというのも、渋谷で旅行や英会話などの
会員組織を運営している会社で6回行わせていただきました。
 発想法と企画書作成のセミナーで参加者は毎回20名~30名ほど、
20代~30代前半くらいの方が多い、軽めの楽しい雰囲気のセミナーでした。
 集客はこの会社でしていたのですが、一度定員に満たなくて、10名ほどの参加者
になったことがありました。

 せっかくの少人数なので、みんなでおせんべいを食べながら、
商品のポジショニングについて勉強したり発想したりという構成にしました。
 この回では和気あいあいとみんなが仲良くなり、終わったあとも懇親会で
盛り上がりました。これは2001年のことで、今から10年前になりますが、
参加してくれた上重さん、白石さん、斉藤さん、冨田さんはいまでも仲良くして
いただいています。 

 このセミナーのあとも上重さんがみんなに声をかけてたびたび飲み会をして
くれたおかげで人間関係がずっとつながり、上重さん白石さんとは一緒に一昨年、
NPO法人ふるさとイベント協議会を立ち上げ、毎年農業応援コンサートイベントを
開催するほどになりました。
 あれから10年もたつと、みんな企業でのポジションも上がり、経験や実績を
積み重ねていい大人、40代(中年?)になりました。
 30代は会社の仕事で目一杯で、みんな徹夜したり無理ばかりしていましたが、
そろそろ仲間であちこち旅行にも行けたり、おやじバンドをやったり、
おいしいお酒を飲みに行ったりできるようになってきました。
 こうなったらみんな一生ものの友達です。

 セミナーは外に出て行って今日はじめて会う知らない人を対象に、毎回どきどき
しながら開催していましたが、そこはまさに人生の勉強の材料の宝庫で、
ほんとうにありがたいチャンスでした。
 先生といわれるとなんだか恥ずかしくて、勉強させてもらっているのは
わたしのほうなのに、といつも思っていたものでした。


読んでいただきありがとうございます。
次回は ●夫との出会い で~す

のりひめの過去ばなし33.酒席いえ主席コンサルタントになる

2011-07-14 18:39:19 | のりひめの過去ばなし

●主席コンサルタントになる

 こうした中で、スタッフも10名ほどになりました。
スタッフはみんなお客様だった人たちです。
最初は生徒さんだったので会社が何をやっているかよくわかっていて
入ってきます。飲み込みがとても早く、実績もあり優秀です。

 わたしも一番長く会社におりますので、「酒席」いえ、
「主席コンサルタント」となり、スタッフをとりまとめるような役割と
なっていきました。イベントなどもだいぶ組織的にできるようになりました。

 また、最初の仕事で行ったフレンチレストランの誕生日作戦の話などは、
顧客管理で売り上げを上げるノウハウの一日セミナーとして、
ほかの事例とともに会員さんにむけて提供され、資料、データベース、ビデオ付で
一回10万円のセミナーのパッケージとなりました。

 こうした間も、東京、福岡、大阪と毎月の会員組織の月例会が開かれ、
毎月出張もあり、いろいろな人と出会い、飲み会もたくさんあり、
お酒もたくさん飲み、忙しくも独身貴族のキャリアウーマンを満喫する日々でした。
一生結婚なんてしなくてもいいと思っていました。

次回は

●夫との出会い のまえに ちょっと話がもどるかも♪


のりひめの過去ばなし32.のりひめが飲み姫にへんし~ん!

2011-07-13 14:10:17 | のりひめの過去ばなし
●のりひめが飲み姫にへんし~ん!ひとり総当り乾杯で懇親会を盛り上げる?
 
 セミナーが毎月何度もありましたが、そのあとの懇親会はかかせない
行事です。セミナーの成功不成功は、懇親会の盛り上がりで判断できると
私は信じています。
 また、セミナーのあとの懇親会は、知らない人同志でも共通体験をした後
なので、気安くなれ、つながりが持ちやすいものです。

 当日まで参加人数はわかりませんので、仲良しの融通のきく店を
いくつか作り、参加する人を誘い、懇親会を開催していました。

 最初はだれが乾杯するかとか、しめは誰にするかなども考え、
毎月話題づくりのために本をバッグにしのばせていったこともありましたが、
毎月何回も、それも何年と続けていると、まるで呼吸するように
懇親会ができるようになってしまうものです・・・。
 顔なじみの会員さんも大勢いますので、セミナー後の「乾杯!」、
この気持ちのよさが、仕事の原動力にもなっていました。

 ある日、近所の中華料理店に行ったときのこと。
 たまたま、その前日に中国ビジネスのサポートをしている人が、
「中国の人はかんぺいといって、一気に杯をあけるんだよ」といっていたため、
わたしが大好きな紹興酒をたのんで、20数名ほどの参加者全員で
「かんぺい」とやりました。
 その日の月例会が非常に盛り上がって楽しい雰囲気だったことで
はずみがついてしまったのか、わたしはそこから、いる人たち全員に
「かんぺい」をしかけはじめ、こっちのグループあっちのグループ、
次は一対一で、一対二で、と「かんぺい」しまくってしまいました。

 気がついたら朝の六時、家で寝ていました。

 びっくりして面倒をみてくれたらしいスタッフにメールをしたら、
ひとり乾杯をして盛り上がったあとにお店のすみで寝ていたので、
家に連れ帰ったとのこと。(ま~途中でいろいろあったのでここは中略)

 あとできいたら同席していた人たちも相当数記憶がなかったそうで、
伝説の笑える飲み会になってしまいました。
 ある初参加の社長さんは、二次会へ行こうと、吉祥寺のS税理士さんを
誘って二次会泥酔状態、別のコンサルのI先生は二次会のバーにいったものの
二時間爆睡、スタッフが家に連れ帰ってとめたとか、もろもろありました。

 いくらなんでもやりすぎてしまったので大いに反省はしましたが、
その日の懇親会の様子を6年以上たった今でも語る会員さんやスタッフがいて、
その日の月例会はかなりの成功だったと、いまでも思っています・・・。
(みんな月例会のことは覚えてる?)


続きはあした♪
読んでいただき、ありがとうございます

次回は●酒席いえ、主席コンサルタントになる


のりひめの過去ばなし31.700人規模のイベント開催!

2011-07-12 15:11:41 | のりひめの過去ばなし
関根典子です
ビジネス書の出版をめざして過去の棚卸中です
よかったらおつきあいください
てきとうにコメントなどいただければ幸いです。


●700名規模のイベント開催(2002年)「じっこういいんだより」で盛り上げる

ある日、「ドームでイベントやるか」と社長。
「え ドームって」
「費用があまり高くないんだよ」
「だって5万人もはいっちゃうじゃないですか~~!」

 会も立ち上がり、運営を盛り上げ次のステップにいくための、
会員が発表するセミナーイベントを考えていたところです。

 いままでは100人150人くらいなら経験済みですが、ちょっと
いくらなんでも東京ドームは・・・???

「集客どうすんだ!」と、わたし。面と向かって言えませんが。
いろいろと会場を見ていたら、すてきなイベント会場が竹芝に
あることがわかりました。
 セミナーをして、交流会をして、またセミナーを同じ会場でできる
席の配置がかなり自由な会場です。
最高796名収容できるそうです。飲食も業者を主催者が入れればできるとのこと。

 なんとかその会場を社長にすすめ、東京ドームではなくて、
その会場で行うことになりました。
名称は「増販増客コンファランス2002」です。

 今回はスタッフに強力な人が入り、集客も一緒にやってくれるので、
ちょっと安心ですが、未踏の700名規模。やっぱり心配です。

 頼みの綱はやはり顔見知りのお客様。ひとりひとり確実にしていきたいところです。

 そのために「じっこういいんだより」というメルマガとホームページを
つくりました。
まだいまのようなブログ形式が一般的ではなかった時代。
3ヶ月前からメルマガを出しはじめ、最初は2週に1回、次は十日に1回、
1週間に1回、3日に1回、2日に1回、
最後の4日間はカウントダウンで毎日発行とし、
見込みのお客様にメルマガを出していきます。

 顔見知りのお客様はまずは会員さん、そして見込みのお客様。
イベント用の名刺を作り、名刺交換をした人に「じっこういいんだより」を
出すことにしました。

 初回は7名に送り始め、何度か出しているうちにメルマガでも読者を募集し、
すぐに1000名を超え、最終回20号には1500名ほどになりました。

「じっこういいんだより」の内容は、イベントの内容や準備の状況、
遠方のお客様のためのホテルや観光情報などです。
 堅い内容ではなく、わたしのキャラクターを全面に出したやわらかい内容で
送ります。すべて名前入りで最低3回は名前を入れます。
そういうフリーのメールソフトをみつけて使いました。

 朝からのセミナーイベントで、会費も8千円、会場は竹芝で便利といえば便利
不便といえば少々不便ですし、
 いままでの社長メインというわけではなく、いろいろな人が登場しますから、
集客も不安です。

 ひとりひとり入金を確認しながら刻々と数を把握していきます。
 登場する方が7名ほどいましたので、その方々の準備もあります。
 イベント会場でスペースがかなり自由なので、会場との打ち合わせも必要です。
 一日イベントなので、入場名札や再入場の仕組み、受付のバイトも必要です。
パンフレットも外注とはいえ、記事を集めたりデータをそろえたりします。
どうにもわたしも手一杯になってきました。

 でも、「じっこういいんだより」を発行していると、励ましのメッセージが
きます。
「大変だと思いますが、がんばってください!」「当日手伝います!」
「ちゃんと寝ていますか?」などなど、やさしい言葉がつぎつぎと返ってきます。
眠くても元気百倍です。
集客に苦労しているのを察してくれたお客様がお客様を呼んでくれて、
イベントも格好がつきそうになってきました。

 開催時間が朝から夜までの長時間で、周りに食べるところがないので
困っていたら、会員さんから「当日うちのわかい衆をつれて店だすよ 
カレーとかホットドッグとかドリンクでいい?」といってくれて、
こちらもぎりぎりでなんとかなりました。

 そのうちに、20代の若い会員さんが手伝いに来てくれるようになりました。
この人はあとからスタッフになってくれましたが、
そのときは自分で仕事をしていて、仕事が終わったあとに終電までのあいだに
手伝ってくれるのです。
 また前日は発表する人たちが来て、資料のパネル貼りやらこまごまと
終わっていない作業をまったくのボランティアで手伝ってくれました。

 メルマガ読者さんも「当日手伝います」といってくれた人がいるので、
手伝える人は8時に正面入り口集合ということにしました。
なにをどう手伝ってもらうのか、頭もよく働かないような状態でしたが。

 そんなこんなで前日をむかえ、朝方になんとか準備がすみました。
夜中の3時半ごろに当日配るアンケートができました。

 そして朝6時すぎに最後のメルマガを出し、
「快晴です!みんなきてくださいね~」とメッセージ。
7時半には搬入口から会場入り8時に正面入り口に出てみると・・・・。

 なんと15名ほどの人がお手伝いボランティアに!
顔見知りの方も、顔を見たことのない人もいました。
皆さんお金を事前に振り込んでいる人たちです。
頭がくらくらしたのは寝不足のためだけではなかったでしょう。
 そしてこの瞬間、イベントのチーフであることをいきなり自覚しました。
 
 簡単なミーティング。
 ボランティアさんたちの作業は観賞用のパネル貼り、受付のサポート、
アンケートの配布と回収、会場の転換時の誘導。
音楽、カメラ撮影、ビデオ撮影・・・。頼むことは山ほどありました。

 「では、よろしくおねがいします!」といって人がわっと散ったとき
「この瞬間からみんなのイベントになった。」と思いました。
 ボランティアさんたちが集まってくれたおかげで、出演者の当日のフォローを
することができました。
いなかったらどうなっていたんだろうと、今でもどきどきします。
 
 イベントは700名が来場、なんのトラブルもなく、あっけないほど
滞りなく終わることができました。懇親会はしない予定でしたが、
芝浦から渋谷まで、40分もかけて移動したにもかかわらず、
50名ほどの人が移動し、居酒屋で大宴会となりました。

 お手伝いに来てくれた人たちも参加してくれました。
もうみんな友達で同志になっていました。
ほんとうにほんとうにありがたかったです。
 OさんYさんTさんIさんSさんKちゃん みんなみんな ほんとうにありがとう~!

 このイベントは、次は半年後に九段会館で、翌年は東京ビッグサイトで、
と会場を変え、バージョンアップして続いてゆきました。
イベントに登場して、会場の人に成功体験を発表する人も毎回増え、
それを聞いた人が、「次は自分も成功してあの舞台で発表したい」とまた頑張り、
大きな動きとなっていきました。


 第2回は九段会館で行いました。
 動画も作ってもらい、和太鼓も呼んでオープニング、
ずいぶんとかっこよくなりました。
 そのときも700名規模でしたが、なんと台風の日にあたってしまい、
大暴風雨の中、日本全国から無理して多くの方が集まってくれました。

 第3回以降はビッグサイトで行いました。
4つの部屋で同時進行の会員さんによる成功体験セミナーが開催され、
各室一日中発表があり、全体をあわせた講演会も行いました。
かなり本格的な雰囲気になっていきました。
このようにして会員事業もはじまり、統合し、教育システムもでき、
大いに盛り上がってきました。


続きはあした
読んでいただきありがとうございます

明日はのりひめがのみひめに変身! ●ひとり総当り乾杯

のりひめの過去ばなし30.年末の一千万セミナー

2011-07-11 14:13:35 | のりひめの過去ばなし
●2001年 年末の一千万セミナーというミッション

 この後も会員さん向けの泊りがけの合宿特訓セミナーや
きれいなお姉さんプロジェクトでの携帯メールマーケティングの実験、
渋谷で若者向けフリーペーパーを発行したい会社の支援など、
つぎつぎとわくわくする課題難題をなんとかこなし(^^;、
この2001年の最大の山場が12月にやってきました。

 こんどのミッションは、1日10万円のセミナーに100人集客です。

 会社としては1日で1000万円の売上です。

 靴と違って仕入れは紙やファイルや会場なので、相当利益率は高いですね。
 
 この会社も含め、プランニングやコンサルティングの会社は
目に見えないもの・・・「知恵」が商品です。
 目に見えないものにお金を払うというのは判断が難しく、
それに明確な価値がないとなかなか意思決定してもらえません。

 そこでいろいろなお客様にとってのメリットを打ち出し、
「これからも使えそう」という資料や仕組み、さまざまな道具を作り出し、
参加しているお客様から喜びの声を収集します。

 スタッフには定着する人もいましたが、意外に短くて、やめては入り、
入ってはやめ、結構回転は速いものでした。数ヶ月が平均かもしれません。
 やめる原因は、成果がなかなか出せないからです。
 かなり優秀な人が来るのですが、成果主義の会社でしたので、ハードでした。
 ひとりひとりの受け持ちのプロジェクトが独立していたので、
お互いにかまっていられなかったというのもあります。
 私も自分のことに手一杯で新しい人をヘルプする余裕がありませんでした。


 そんなわけで、結局いざここ一番の集客となると、会社の顧客リストと
個人情報を把握しているわたしがやることになりました。

 会計人のリストで6000名、うちセミナーや資料請求などで接触があった
見込み客が750名ほど、会員数は60社から70社、そのほかに印刷会社リストが1500社、
印刷会社で顔がわかっている人が1割程度、そのほかの卒業生の顧客リストが
数百名ありました。

 こうした人たちにメールやDMを送り、興味関心のある方に連絡をとって
セミナーにきていただく、もうよく知った手順ですが・・・・。

 今回はセミナーの開催決定がなんと3週間をきってから。
 12月の半ばにセミナーをするのに、営業開始がなんと11月末。
 渋谷はイルミネーションで飾られる華やかな季節というのに、
一刻も早く案内を届けないと、夜中のしんしんと冷える二時頃に、
宮益坂にある郵便局本局へ、台車にダンボールをのせて、DMを数百通
出しに行く始末です。

 あとは個別のメールや電話での営業。

 結果は・・・、100名集まっていただきました。

 3ヶ月のチャレンジが3週間に縮まってもなんとかなりました!

 これって私への集客100本ノックですかね、社長、とひとりつぶやいた
私です・・・。

 翌2002年はやっとスタッフが増えてきて、まるでサークルみたいな職場になり、
とっても楽しくなってきました。



読んでいただきありがとうございます
続きはあした♪

●700名規模のイベント開催!