のりひめのひとりごと Monologue of Noriko

2012年からオーストラリアと日本を行き来しています。日常のいろいろを書いてます。

のりひめの過去ばなし35.お米屋さんになる

2011-07-21 14:28:53 | のりひめの過去ばなし
●お米屋さんになる

夫が経営している会社に入ることになりました。
埼玉県越谷市に本部をおく、こだわり米の卸を行っている会社です。
小さいフランチャイズみたいな形で展開してます。

酒屋さんの中に「玄米工房」というこだわり米(約10点程度)の
コーナー展開をし、玄米を店頭で精米してお客様に1キロ単位で販売する
という形態で、
こだわり米というのは、まず農家さんが特定できる、
さらに農家それぞれがお米の製法にこだわって作っている
という意味合いです。
その地域の規定の農薬や化学肥料に対し、50%以上けずって作っている
「特別栽培米」やまったくの無農薬、有機肥料で作っている「JAS有機米」を
扱っています。

もともと夫は酒屋だったのですが、
価格競争が激しくなり、差別化商品としてお米を扱うようになりました。

ちょうど食管法が撤廃になり、お米の販売が自由化されたころ、
仲間の酒屋さんと東北をまわってお米を仕入れ、
たくさんの農家さんとお話して、目からうろこのような感動をしたそうです。
その後、酒屋さんをたたんでお米の仕事に専念するようになりました。

どこにでもあるナショナルブランドの商品ではなく、
出所がはっきりしているこだわりの商品・・・お客様に語ることがたくさんある
商品であるお米を扱いはじめて、その仕事が楽しくなったのです。

わたしも、前の職場を離れてすぐに
東北めぐりに連れて行ってもらいました。
最初にディープにお話していただいた農家さんが
山形庄内で、農家のグループを作っているこだわり農家の方で、
それはそれは貴重な体験となりました。
山形から福島に入り、日本初の宇宙飛行士秋山豊寛さんひきいる
あぶくま農業者大学校の収穫祭にもお邪魔し、
黒米づくしのすてきなお料理をいただいたのも、同じときでした。

その後もさまざまなお付き合い先の農家さんを訪問するにつれ
農家さんがすばらしい知恵と経験と技術を駆使して
お米を生み出しているということがわかり、
お会いするたびに違う話をきいて何度も何度も感動しました。
農家さんは、植物のことだけでなく、バイオ、機械、気候、農家ネットワーク
さまざまな面に通じていて、しかも臨機応変でいなければなりません。
大変知的な職業なのです。

一応、わたしの立場は、販売促進のコンサルタントという立場でしたが
そんなことなんてぶっとんじゃう
すごいカルチャーショックでした。


事務所は北越谷駅のすぐそばにあり、
前面が店舗、うしろ半分が事務所になっていました。
夫の会社にいって驚いたのは、
設備関係、使用ソフトがまったくほとんど前職と一緒だったことです。
お米の卸というと、紙だけでやっているところが多いようですが、
こだわり米の情報をかなり詳細に伝えているので
コンサルティング要素の強い会社なのです。

結婚数ヶ月前に、先に会社に入りましたが、
結婚をぬきに転職先と考えても
「これはなんだか楽しい会社に入ってよかった!」と思いました。


仕事も楽しく始まりましたが、一方でもう少し長期の夢を
夫といろいろ考えてみました。
このときわたしたちは吉祥寺に住んでいたのですが、
将来、海外移住したいね なんて話もでてきました。
その前に吉祥寺に事務所を移転しようとか、
ふたりとも音楽が好きなので、バンドをつくりたいね、とか。

どんどんアイデアがでてきたので、未来の設計地図を作りました。
いままでのわたしの生活とは考えられない、
自由でわくわくする冒険が始まることがわかりました。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
次回は ●未来創造プランニングのはじまり です