伯父の戦記_50_敵機の下での農耕作業

2007-10-15 | 伯父の戦記



 伯父の戦記22話め「敵機の下での農耕作業」です。
 カビエンの飛行場を守るために派兵された伯父達ですが、昭和19年には戦況は悪化しており、守るべき飛行場は破壊されたまま自軍の飛行機も失い、新たな戦力の追加もなく、派兵された意味も目的も達せられていない状況でした。
 その頃の伯父達は生きるために食糧生産に追われていたのですが、畑で農作業をしていても敵の攻撃は仕掛けられていました。

 画像は本文とは関係ありません。埼玉県日高市の日和田山の麓付近の風景です。

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 今のこのカビエンは完全に補給路は絶たれ、自給自足の態勢を余儀なく強いられている。
 周囲の島々は、既に敵機或いは魚雷艇の基地となり、その目と鼻の先に位置する我が駐屯地カビエンでは、病魔、飢餓の地獄の島となっていた。味方の飛行機は一機も無く、飛行場は爆撃されたままの惨状である。

 こうした情勢下でも敵は四六時中監視を厳しく続けている。我が上空は、敵機が意のままに、我がもの顔で飛んでいる。
 我々は最近このような敵機を見ても、気にしないばかりか、時には敵であることを忘れ、まるで味方飛行機に守られての農耕作業であるかのような錯覚を覚え、無関心となり警戒心さえ薄れる。
 しかし注意を怠り、時にはつまらぬ処で命を落とす事がある。今日も時計を見て、敵機もそろそろ交代の時間だと空を見上げる。敵機は交代の時間が来ると、帰還の土産として爆弾を投下して機銃掃射をして行く。このような時は充分注意するよう努めている。

 そんな或る日、私は同年兵3人と何時もと変わらぬ農耕作業に汗を流していた。その時である。突然上空から金属音と共に敵機が急降下し、我々の処に突っ込んで来た。機銃弾が前方30米から土煙をあげ近づく。そして爆弾を投下した。
 その爆弾は野球のボール程であった。秒毎に落下速度も早くなり、弾型は真丸のままで大きくなって来た。私は直感的に、弾着は此処、自分の現在居る場所に落下すると判断し、戦友達と共に素早く其の場から待避した。
 弾着、炸裂までの数秒間、20米先の畠の中に頭から飛び込んだ。その瞬間、腹に響く地割れと共に爆弾は炸裂し、天高く土砂を舞い上げた。と同時に私は土砂落石の落下してくる僅か数秒間を計算し、15米先の大木の下まで逃げ込んだ。
 この動作は、中間点も無く、畠に伏せたままの状態では落下してくる落石により一つしかない命を落とすからである。要するに一難去って又一難から速やかに待避する事である。これが我が防空中隊員が自然に身につけた技である。

 務めを果たした敵機は、悠々と夕焼けの空に姿を消した。私達は早速元の場所に戻った。戦友達と顔を見合わせ驚嘆した。そこには直径15米、深さ3米もの大きな穴が口を開き、噴火口のように硝煙が立ちこめていた。
 今まで使っていたスコップ、鍬等は吹き飛ばされたのか?近辺を探したがどこにも見つからず、これがもし判断を誤れば私達は木っ端微塵となり、吹き飛ばされ、死体も何処へやらであったろう。それにしても運が良かったと共に喜ぶ。
 こうした事は、このカビエン地区では茶飯事のように誰かが体験し、誰かが不幸にも死んで行くのである。

 私はこの大戦中、戦斗に限らずあらゆる処で死線を幾度か潜り抜けて来た。その度に自分自身の持つ運命と云うか、何か不思議な力が私を守ってくれていたような気がしてならない。 (完)

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6 Comments

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Unknown (チビタンママ)
2007-10-17 01:57:25
戦争映画で見る映像など比べ物にならない緊迫感が叔父様の文章から感じられました。
実体験のリアルさに勝るものはないということでしょう。
あの戦争では、飢餓病気物資の不足という余りにも理不尽な理由で亡くなった方の方が多いのではないかと思います。
またもや妙な表現で申し訳ないのですが、せめて戦闘中に絶命した方がどれだけ救われたかと。
訓練もほとんどされずに操縦桿を握った若いパイロット達が、味方同士の事故や空母の着陸に失敗して命を落とす事も多かったそうですよね。
戦う以前の問題で命を落としたという彼等の無念さを思う度、やり切れない気持ちになります。
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チビタンママさまへ (non_B)
2007-10-17 23:43:29
太平洋戦争当時、旧日本軍が展開した戦争の範囲を世界地図で見ると、余りに広範囲に及んでいていかに無謀な戦争だったか、子供でも分かりそうなことだと思います。
戦争に走らざるを得なかった事情もあったと、伯父も語っていました。私もそれはある程度は理解できるつもりですが、民間人・軍人を問わず、あの戦争で亡くなられた方々は、やはり無謀な国策の犠牲者であり、お気の毒であったと思います。

ただ、誇りをもって戦闘に参加され、戦友同士が「靖国で逢おう」と鼓舞し合い、国のため、家族のために勇気をもって死んでいかれた方も多く、そのお気持ちを思うと、その方々に対しては、単にお気の毒と言ってしまうには失礼な、軽い解釈になってしまう気がします。

伯父は自分の文章でも戦争を好む者ではない、と書いていますが、誇りをもって戦争に挑んだ者であったと思います。
返信する
Unknown (チビタンママ)
2007-10-18 00:54:46
戦争を好む者などいないと信じたいところですが、本来の止む無き理由で始まった戦争の最中、一握りの上層部が意固地になり、陸軍による海軍への嫉妬心や覇権争いがあのような無謀な泥沼にはまった理由の一つですよね。
その過程においてどれだけの犠牲を払うかということなど、己のプライドを保つためには些細なことでしかなかったという狂気こそ一番恐ろしく感じます。
それなのに、伯父様のような方々はある意味何もかも理解しつつ、一日でも家族が健やかに暮らせる日を引き伸ばすために、崇高なお気持ちで闘っておられたのです。
私は、2度と戦争はしませんとか2度と過ちを犯しませんというフレーズが解せません。
それは、あまりにも当然過ぎるからです。
そういう言葉を言う以前に、あの戦争で犠牲になった人々への尊敬と鎮魂の気持ちを忘れない事が何より重要だと思うのです。
返信する
チビタンママさまへ (non_B)
2007-10-19 20:25:13
太平洋戦争が終わって60年以上が経過した現代で、日米が戦争していたことを知らない大学生がいるそうです。

父母・祖父母が生きた時代を知ることから道徳的な考え方も身につくと思うのですが、近・現代史は、歴史の授業時間が間に合わないからか、教える側がこの時代を避けてしまっているのか、残念なことに教わらない人が多いようです。
出来事に対する正誤・評価が分かれる、又は定まっていない年代ですから、教えにくいということもあるのでしょう。
日米戦争を知らないほど戦争に対する認知度が低いのですから、その戦争で亡くなった方々への鎮魂の気持ちは起こりようもなく、先達への尊敬も失われてしまうのかもしれません。

ただ、ここ10年くらいの間に、少しずつ近・現代史への見方は、風向きが変わってきたようにも感じます。
評価が定まっていない時代への見方は、一面的ではない様々な見方があるべきだと思います。
若い人たちが60~70年前の戦争に少しでも興味をもってもらう機会に、伯父の戦記も読んでいただければ、伯父がもっとも喜んでくれることになると思っています。
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Unknown (チビタンママ)
2007-10-19 21:44:17
日米が戦争していたことを知らない大学生という存在は、教えないからというより学ぼうとしない、聞こうとしないからだと思っています。
もちろん自分だって何でも知っているわけではありませんが、若い世代であっても新聞やニュースや小説を読むだけでも、日米間に戦争があったことくらいわかりそうなものです。
自国の歴史を知らなければ、映画も本も外交も経済も理解出来ないのではないかと気の毒になります。
一方、のんちゃんのおっしゃる通り、現代史への風向きに変化が見られ、若い世代の中にも気概のある人々が増えてきたということも確かです。
多分小林よしのり氏のゴーマニズム宣言や、教科書を作る会メンバーの方々や産経新聞の努力が大きく影響しているのでしょうか。
あ、今急に閃いたのですが、反日思想の教師から偏向教育を受けるより、何も知らないまま大学生になる方がマシかもしれませんね。
そして、そういう人にまっさらな状態でこの戦記を読んでもらえれば、伯父様がどんなに喜んで下さることでしょう!!!
お世辞抜きで、強靭な肉体だけでなく健全な魂と教養を兼ね備えていらした伯父さまの文章は、多くの人々にとって読み易く感情移入出来る素晴らしいものであると確信いたします。
返信する
チビタンママさまへ (non_B)
2007-10-19 22:34:35
嬉しいコメントありがとうございます。

例えば、バンド活動をしている若い人が私のブログをたまたま読んでくれて、伯父の戦記も目に留まって、今まで興味が無かった半世紀以上前の戦争について知るきっかけなどになればと思っています。

ブログという媒体で戦記を連載していくことは、馴染まないことかと心配もありましたが、若い人たちへ戦争の記録を残したいという伯父の願いを叶えたいと続けてきました。
コメントをいただく度にやりがいも感じています。ありがとうございます。
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