伯父の戦記の24話め「夜間爆撃と睡眠」です。
伯父が駐屯したパプアニューギニアの「カビエン」は、昭和19年後半には制空権は完全に敵側に握られ、旧日本軍は抗うこともできず、ただただ攻撃を逃れるしか術はなくなってしまいました。
伯父達は攻撃を逃れるために兵舎にも工夫を凝らさざるを得ず、居所にも苦慮していたことが記されていました。
今編は2回に分けて掲載します。
画像は本文とは関係ありません。東京郊外の秋川で撮ったものです。
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制海権・制空権共に敵側の手中となったカビエン地区は、今では昼夜の区別なく上空を敵機が飛んでいる。それも時間表に基づいてか、定期便のように飛来し、交代時間が来ると持参した爆弾等を置き土産として機銃掃射と共に投下して帰る。このように敵は、執拗以上に此のカビエン監視を緩める事が無い。
下界では40度を越す炎天の下、毎日日本軍は食糧確保(農耕作業)に、汗と泥にまみれ必死の重労働が強いられている。
如実に天国と地獄の差を見るようである。その上夜間爆撃ともなると眠る事が出来ず、体力的苦痛は勿論の事、神経が極度に消耗して行くのである。
さて我が中隊も過去の苦しい経験(爆撃による再三に渡る兵舎等の破壊)を生かし、現在では地面を二米程深く掘り、半地下式の兵舎を建てた。屋根は椰子の葉をもって偽装し、上空から発見されないようにした。
又、煙を出さぬよう昼間の煮炊きは禁じ、夜間のみが許された。ここでもし不幸にも煙が発見されれば、その場所は集中的な爆撃を受け、大きな犠牲者を出す結果となる。従って煙には特に注意を怠らない。煙突は兵舎から百米程離れた処迄竹筒をもって地下に埋めた。煙はその百米の竹筒を通過する迄に水蒸気となり消えてしまう。洗濯物は兵舎間に干す。空き缶等は太陽の反射を避けるため埋めてしまう。
こうしてカビエン地区の日本軍は、地上から姿を消したのである。しかし半地下となった兵舎は、地上とは違い通風も悪く湿気も強い。健康上決して好ましい住居ではなかった。近くに避難用兼爆弾庫の防空壕があるが、これもその中は蒸し風呂状態で、とても眠れる処ではない。
と云って我々は人間である以上睡眠を取らねばならず、何処か爆撃されても心配なく、安心してゆっくり眠れる処はないものかと思考する。しかし現状からしてそんな極楽地がある筈がない。結局は危険度が高くとも、湿気が強くとも、通風が悪くとも、最後は兵舎を選んでしまう。
しかし兵舎にも防空壕にも一長一短がある。従って夜ともなると浮浪者のように毛布一枚抱え込み、兵舎と防空壕を行ったり来たりして、一晩中一睡も出来ない日々が多くなった。
今夜も同じ夜を迎えた。体力の消耗が激しく、神経も休まらず、頭に血が昇る。身の置き所が無い。何か胸が押さえられるように苦しい。眠りたい。しかし眠れない。私は意を決して再び兵舎に寝る事にした。敵機が飛来しない事を祈りつつ体を横にする。なかなか眠れない。
二三日前、警備隊の兵舎も直撃弾により5名の犠牲者を出した事が頭に浮かんできた。恐ろしい思いで眠れない。私はそれを打ち消すかのように直撃弾などめったにあるものではない、と心に云い聞かせながら目を閉じる。なぜか眠れない。そして何回となく寝返りを繰り返していた。
今夜も又何時もと同じ方向から爆音が近づく。私は半分諦めの境地で運を天に任せ眠る事に専念する。しかし爆音は不気味な様に一直線に進入して来た。寝るどころではない。やむを得ず壁際に身を寄せ、敵機の通過を待つ。じっと待つ。まさかまさかと全神経をその爆音に集中している。 (以下続く)
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現代に生きる私達から見れば、さっさと白旗を揚げてしまえばと思ってしまうのですが、伯父さまを始めとする日本兵の方々は、せめて自分達が駐屯する地域に存在することだけでも、敵に脅威を与え本土への攻撃を遅らせるための盾となると考えていらしたのでしょう。
確かに、南方のどの地域が陥落しても、そこが本土への爆撃基地になることは必至でした。
せめて食料と薬があれば…
いえ、本音を言えばそれに加えて一矢報いる武器があればと無念に思う私です。
そういえば、裸足のゲンという原爆をテーマに扱った漫画がありますよね。
以前は各地の小中学校でアニメの上映がされていたのですが、子供達の感想文に「アメリカに復讐してやりたい」というものが多く、本来の反戦目的に適わないことになり最近は上映していないそうです。
ごめんなさい。
こういう気持ちにさせることを伯父さまが望んで戦記を書き残されたわけではないと理解しているつもりですが、折に触れて憎しみが沸き上がるのも事実なのです。
小学生だった私には、原爆への怖さと、アメリカに対して「なんでこんな酷いことまでしたのか?」という気持ちがありました。
「はだしのゲン」を観た小中学生が、アメリカに対して憎しみの気持ちを持つのも当然だと思います。
その自然な気持ちを封じ込めようとする教育者に間違いがあるとも思います。子供達の感想が間違いであるのなら、何が、何故間違いなのか教えてあげるべきでしょう。
反米思想は間違いというのは、ちょっと情けなさを感じます。
そのくせ彼らは日本人が過ちを犯したから原爆を落とされたとも主張します。
この一貫性の無さには呆れ果てるばかりですが、はだしのゲンを見せてナショナリズムによる反米思想を子供達が持つのでは思惑違いなのでしょう。
本来は子供達が素直な気持ちでいろいろな事を考え、さらにそれを糧として成長して行くのを支えるのが学校教育だと思うのですが。
悲しいことにこの国では、健全なナショナリズムと広い視野を持たせる教育は特に公立校ではNGなのですよね。
「健全な」ナショナリズムは、どこの国でも教育されているのではないでしょうか。
私は、「戦後レジウム」から「脱却」するには、教育問題は最も大切な点ではないかと思っています。
※上から2番目のコメントも私です。タイトルと名前を入れ忘れました。
安倍元総理の、「戦後レジウムからの脱却」はどうなってしまうんでしょうね。
早速というか、沖縄での自決は軍の命令ではなかったという教科書の記述に対する抗議集会が開かれ、参加人数を例のごとく反日思想のマスコミが何倍にも捏造して報道したりという逆行現象が起きているのがとても残念です。
実は私自身はちょっぴり過激なナショナリズムを持っているかもしれません。
でも、それはあまりにもこの国にはびこる売国奴的な風潮への反動でもあるのだと自負しておりまする。
沖縄県警が4万人と発表したのもヘンな話で、警察まで圧力をかけられている印象があります。
地元紙は、「22万の瞳」なんて書き方もしているそうで、どこまで膨らますのやら笑い話になってしまいます。
正しいことを主張するなら数をごまかしたりしなければ良いのに...と思います。
どこかの「大国」にも似ていますね。
似ているといえば、食べ物の好みも似ているのに「忘れん坊」なトコまで似なくてイイのにな...って思っちゃいました