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一昨日、入院中だった母が亡くなりました。
クロイツフェルト・ヤコブ病というあまり一般に知られることのない難病に罹り、約2年の闘病生活でしたが、最期は(急性)肺炎を併発し、それが元で亡くなりました。
その日、私は宿直明けでそのまま早番勤務という業務に就いていましたが、母が亡くなった時間は朝9時38分でした。その時間というのは、施設の業務が夜から昼に切り替わるタイミングで、夜勤者から日勤者へ夜の状況を申し送っていた時間です。
勤務中の私に病院から知らせが入ったのは9時40分台で、日中の業務がスタートしたところです。既に母が亡くなってからの連絡です。
看護師さんのお話しでは、朝9時の定時の検測時は、前日よりも衰弱している様子は見受けられたものの、急変する様子はなかったようです。それがその30分後くらいには呼吸が停止しており、担当医師が到着した時点では手の施しようがなかったとのことです。ただ、最期は苦しみを訴える様子もなく、静かに息を引き取ったそうです。
かつて一緒に働いたN先生の手を煩わせることなく、そして私の勤務が一段落して、私が勤務から抜けても業務への影響が最小限に収まるタイミングで母は亡くなりました。
人に迷惑をかけることを嫌った母らしい最期だったかもしれません。
明日が通夜、明後日が告別式という予定で母の葬儀は行われます。済ませておかなければいけないことは多々あり、慌しく時間が過ぎていきます。
初七日、四十九日と法事がこれからも続きます。一つ一つ大事に進めていきたいと考えています。
ブログもしばらくの間、休載します。年が明けて落ち着いた頃に再開いたします。
画像は以前にも掲載しましたが、母が看護学校の学生だった頃の、同級生の方々との集合写真です。
このお写真のどなたがお母様なのでしょうか?
nonちゃんさんの面影からすると、前列の右端か後列の左から2人目の方のような気がするのですが。
また、ブログを再開された時に教えて下さい。
母は、ご指摘のとおり後列の左から2人めです。
こんな小さな写真からよく判別できましたね
この写真は昭和20年のものだと思いますが、全員が笑顔で、希望に満ちているようです。
両親が遺した写真の中でも大好きな一枚なんです。
向こうには、ルイパパの両親、ルイママの父もいますから、お母さん・・・寂しくないから・・・。
昨日、お寺との打合せでお坊さんとお話ししていたら、すーっと気持ちが楽になっていきました。
信仰心などかけらも無い生活を送っていながら、こんなときだけ頼りにしてしまうのは不躾なのでしょうが、救われた気がします。
やはり後列2人目の方でしたか。
よく似ていらっしゃるから、どなたでもわかると思いますよ。
終戦直後なのでしょうか。
本当に素敵な写真ですね。
この当時の看護が後のご病気に繋がったことに胸が詰まりますが、新しい日本の未来に向けてご尽力された素晴らしい女性であったという証の一枚だと心から思います。
葬儀の場で母の遺影を前に、母の古くからのご友人からは、私が母にとてもよく似てきたと言われました。
親子は似てしまうものなのですね。
お坊さんと相談して授かった戒名は、母が従事した看護婦という仕事を象徴する文字が使われているもので、母の一生をよく現すとても意味深いものをいただくことができました。
明日はきっといい日。
また飲みましょう。
母が亡くなって十日近く経ち、仕事も元通りに戻りました。
なかなか落ち着かないけど、普通に過ごしています。
寒いから身体に気をつけてください。
ところで“SSE”ってこのブログを読んでくださる方にとっては馴染みが無い言葉かもしれません。
“Special Support Education”「特別支援教育」で良かったですか?
ご興味のある方は下記の「世界最強のSSE」さんのブログをご覧ください。
http://blogs.yahoo.co.jp/bknxw882