7月の終わりの頃に自転車でぶらぶら。
今回の目的地は大阪ハリストス正教会に設定。
地図を眺めていたら、吹田に教会があるじゃんってかんじで
やってきました。函館の正教会なんて絵になるから
そういうの期待して写真撮ろう~みたいなね。
やってくると普通に周りにとけ込んでるっていうか
〇〇幼稚園の建物ですっていわれても驚かないような
かんじで少し拍子抜け。
1962(昭和37)に建てられたそうです。
教会もご朱印のようなことやってればゲットするのですが
そういうのはやってないので帰ろうとしたら
自転車に乗った30代くらいの奥さんが私をみて
いきなり自転車から降りてスマホを。
電話がかかってきたからスマホをだしたってかんじじゃ
なかったのでそのときはちょっと怪訝に思った程度でしたが
あとから、ははーんポケモンか!ってね。
私が教会には似つかわしくなかったので
ポケモンゲットのために教会にって思われたのでしょうね。
いまは下火になってますが一時はあちこちで狂想曲がね。
彼女がポケモンをゲットできたかどうかは
私、やってないのでわかりません。
住所は大阪府吹田市山手町1-8-15
御訪問ありがとうございました。
今日の大阪は天気最高!でも仕事でした。
なので御朱印記録を。
お参りにはきたことがあるのですがまだ
御朱印をいただいてなかったので高浜神社へ。
去年の話ですけどね。
大阪府吹田市の高浜神社です。自身の御朱印記録なんで
適当にスルーしてくださいね。
高浜神社の創立年代は詳らかではありませんが、五世紀前後の
大和朝廷の頃、河内の国で栄えた次田邑の豪族
「次田連(スキタムラジ)」の一族が淀川に渡り移住し、次田村を
興したのが「吹田」の始まりでありなんだとか。
興すにあたって、彼らの祖神である火明命(ホアカリノミコト)
天香山命(アメノカゴヤマノミコト)の二柱を祀って氏神神社と
したのが高浜神社の始まりとされています。
社名は地名「高浜」にちなんで「高浜神社」とつけられました。
「高浜」は「吹田」の別称、歌枕でもあります。
昔から「吹田大宮」「吹田神社」とも呼ばれる吹田総社でありました。
また、摂陽群談・摂津名所図鑑等の古書に「名就神社」とも称し
「二魂坊」「日光坊」の脳(なづき)をまつるとしています。
高浜神社が知能の神、学業成就、脳神経の神として知られる所以です。
ってことです。
天平七年(西暦735年)僧の行基が訪れ、当社の西方に「石浦神宮寺」を
建立し、これを「浜之堂(現在慧日山常光円満寺)」と名付けました。
それと同時に当社に牛頭天王(ゴヅテンノウ)を勧請、お祀りして
「浜之宮牛頭天王社」と呼び換え、こののち高浜神社は
神佛習合の両部神道となったそうです。
西暦1229~1250年にかけて藤原氏一門の別邸がこの高浜の地に
沢山営まれました。特に太政大臣藤原(西園寺)公経
実氏父子の吹田山荘「吹田殿(スイタドノ)」(高浜神社のすぐ前)は
最も有名でありました。当時の朝臣、公卿達は方違(カタタガイ)
又は湯治とも言って来遊し、その豪遊については藤原定家が
「明月記」に記しています。吹田に来遊された雲上人
藤原為家、藤原隆季、藤原光俊等も「夫木集」で高浜の歌を詠んでいます。
西暦1908年、高浜神社に合併された元の神境町鎮座の春日神社は
藤原氏一門が金華玉条を残した栄華時代、西暦1240年にその氏神神社として
建立された神社と言われています。
西暦1251年、後嵯峨上皇は吹田殿に御遊幸なされ
その時に当社にも御参詣遊ばれて「社頭の松」と題する御歌
「来て見れば千世も経ぬべし高浜の松に群れいる鶴の毛ころも」
を御詠みになりました。
「鶴の松」と呼ばれる老松の古株。
住所は大阪府吹田市高浜町5番34号。
112枚目。
ご訪問ありがとうございました。
いつものように去年の話です。
自転車でぶらぶらと。
摂津市の大正川の鯉のぼりを見たあとは吹田方面へ。
常光円満寺へ。88カ所の42番札所です。
御朱印はそのうち載せますね。
JR吹田駅近くの旭通商店街をぶらぶら。
商店街もいまどきはさびしくなって活気がないところが
多いですが、ここはまだなんとか。
地元の人気店、鶏肉屋さんとり信。
からあげ買うお客さんでにぎわってます。
高浜神社です。御朱印はそのうち。
神崎川の堤防を自転車で。
高浜防災船着場。
大地震で道路が通れなくなったときに河川を利用して船で運ばれた
援助物資なんかをこのあたりに荷揚げしようってことらしいです。
そんな日が実際にきませんように。
で、川沿いをサイクリングして帰ってきました。
この頃からブログのネタさがしや運動もかねて
自転車に乗るようになったのですが
体重のほうはぜんぜん減ってません。
ご訪問ありがとうございました。
去年の3月の話です。
今年は去年の御朱印記録をしばらく書くことになりそうです。
今年はまだ御朱印はいただいてませんが
今年はじめての御朱印は一年後に書いてるような気が...。
自身の記録なので抵当にスルーしてくださいね。
自転車でサイクリング中にふっと目にとまりました。
お金持ちのお屋敷だと思っていたら、大鏡寺っていうお寺でした。
住所は大阪府吹田市五月が丘南23番1号
この頃はまだコレクター魂がメラメラとしていたので
鞄の中には御朱印帳が...。いはま常時携帯してませんが。
札所ってことは御朱印が頂けるんじゃないかということで。
大阪新四十八願所の6番札所。
大阪新四十八願所とは
江戸時代、西国三十三箇所や四国八十八箇所などの
各種巡礼が盛んとなりました。浄土宗でも、江戸中期に
「法然上人二十五霊場巡拝」が始まり、今も連綿と続いていますが
それに先立って成立したのが大阪の48箇寺の浄土宗寺院にお参りする
「大坂四十八箇寺阿弥陀巡礼」です。
阿弥陀仏の四十八願にちなんだ巡礼といえます。
平成23年の法然上人八百年遠忌を記念して
長らく廃絶していたこの巡礼を
「大阪新四十八願所阿弥陀巡礼」として再興いたしました。
ってことらしいです。
文禄2年(1593)深蓮社心誉上人が開山。
天満天神の森の北にあった明星池の畔に創建された。
最初は明星山来迎院圓照寺と号したが第二世来願上人のとき
名僧幡随意(ばんずいい)上人を百万遍知恩寺から招き
堂宇を新築。寺号を明耀山来迎院大圓鏡寺と改めた。
大鏡寺はその略称である。
昭和20年(1945)6月の空襲ですべての堂宇を焼失。
昭和35年(1960)に現在地に移転。
昭和38年(1963)に本堂・庫裏(くり)などの伽藍をととのえた。
ってことです。
本尊は阿弥陀如来。
89枚目。
ご訪問ありがとうございました。
伊射奈岐神社があります。
住所は吹田市佐井寺1-18-26。

急に神社マニアになった私は(^∇^) こちらの神社は
まったく知らなくてはじめて参拝させていただきました。

住宅街の小高い丘に鎮座してます。

社伝によると、雄略天皇の代に伊勢神宮の斎宮である皇女・倭姫の
示教によって岡本豊足彦が五柱の皇大神を奉祀する地を探し求め
付近の小川谷の地に祀ったという。

貞観から延喜にかけてイザナミを祀る同名の神社が遷座し
以降は区別するため当社は奥宮と呼ばれるようになったそうです。

主祭神:伊射奈岐大神いざなぎのおおかみ

相殿:八幡大神はちまんおおかみ
素盞嗚大神すさのおのおおかみ

拝殿。

山田の神社は伊射奈美神社だったとか。
今は両方伊射奈岐ってことだそうです。

小高い丘の上には聖地ってかんじで神社が似合いますね。

87枚目。

ご訪問ありがとうございました。