金華の町を流れる東陽江、ほとりには高層ビルが立ち並ぶ。とても地方都市とは思えない。
今学期で契約を打ち切り(打ち切られたのではありまっせん、念のため)帰国することになりました。冬休みに一時帰国したときにはもう二度と継続するまいと、心に決めて会う人ごとにそう言っていたのですが、中国に戻るとたちまちその気持ちがぐらつき、もうちょっといてもいいかなって思うようになった。学生たちとの交流(女子学生ばっかりだからではない、念のため)が楽しく、授業も楽しく、楽しくないのはだだっぴろい90平米の部屋で一人でいるときである。そのために本を何冊か並行して読んでいるが、かといって没頭できるほどの時間がうまく取れない。何といっても時間の使い方がうまくない。それどころか、体を壊してしまうのではないかと思うほど。
結局、最長2年の約束が3年になったこともあり、家庭事情もあって帰国することになりました。後任も最初との年度に中国に派遣してくださった某公益法人で一緒に研修したYさんにお願いし、来ていただくことに決定。同世代で、日本語教師の経験豊富、かつ独特の関西人ユーモアがあるので学生にはきっとウケるに違いない。ほんとはできれば学生の要望に応じて、イケメンの若者か妙齢の美女に来てもらいたかったのだが、如何せん、日本の若者は中国に来たがらない。
在中3年とはいうものの、夏休みや冬休みは帰国しているから実質27か月の中国生活も6月で終章を迎えるわけであります。介護保険適用年齢にもなったことだししちょうどいい区切りかも(←何の区切りだ)
もう二度と中国で日本語教師として働くことはできない。中国政府の外国人雇用規則が厳しくなり、外人の雇用は原則60歳までで同一の職場は最長5年間しか認められない。60歳以上の場合は特別許可が必要になる。そして65歳を超えての雇用は絶対に認められない。ただし、継続雇用の場合にはその限りではない。したがっておいらの場合だとあと3年は中国で働くことができたのだが。
中国で日本語教師をされている方は元教師が多い。多くは定年前に退職してこちらで悠々自適で教師生活を楽しんでおられる。それなのにおいらは意地で定年まで勤めてしまった。教師生活での心残りと言えば早く辞めなかったということである。
5年前、残留してほしいという若手の惜しむ声を振り切り(なぜか若手だけ。ウソでもそんな心遣いをしてくださる方がたくさんいた)高校教師を定年退職して教師業と一切縁を切った。実にせいせいした。管理職にとっては何かにつけて逆らう問題教師だったから彼らもホッとしたことであろう。教師生活も終わりに近づくにつれて忙しさが倍増していき、最後の数年間はほんとに大変だった。最後の年はお慈悲で担任も役職も持たないようにしてくれたので、有難かった半面、寂しい離任になるなあと思っていたら、離任式には卒業生が何人も花を持ってお祝いに来てくれた。長い教師生活で女子生徒(卒業生だが)にハグされたのはこの時が初めてだった。そういえば中国でのあるクラスの離任パーティーでは男子も女子も40人全員にハグされたな、、、ほとんどが女子だったが(わたしがハグしたのではない、されたのである。念のため)
なにか話があらぬ方にいってしまった。。
今学期で契約を打ち切り(打ち切られたのではありまっせん、念のため)帰国することになりました。冬休みに一時帰国したときにはもう二度と継続するまいと、心に決めて会う人ごとにそう言っていたのですが、中国に戻るとたちまちその気持ちがぐらつき、もうちょっといてもいいかなって思うようになった。学生たちとの交流(女子学生ばっかりだからではない、念のため)が楽しく、授業も楽しく、楽しくないのはだだっぴろい90平米の部屋で一人でいるときである。そのために本を何冊か並行して読んでいるが、かといって没頭できるほどの時間がうまく取れない。何といっても時間の使い方がうまくない。それどころか、体を壊してしまうのではないかと思うほど。
結局、最長2年の約束が3年になったこともあり、家庭事情もあって帰国することになりました。後任も最初との年度に中国に派遣してくださった某公益法人で一緒に研修したYさんにお願いし、来ていただくことに決定。同世代で、日本語教師の経験豊富、かつ独特の関西人ユーモアがあるので学生にはきっとウケるに違いない。ほんとはできれば学生の要望に応じて、イケメンの若者か妙齢の美女に来てもらいたかったのだが、如何せん、日本の若者は中国に来たがらない。
在中3年とはいうものの、夏休みや冬休みは帰国しているから実質27か月の中国生活も6月で終章を迎えるわけであります。介護保険適用年齢にもなったことだししちょうどいい区切りかも(←何の区切りだ)
もう二度と中国で日本語教師として働くことはできない。中国政府の外国人雇用規則が厳しくなり、外人の雇用は原則60歳までで同一の職場は最長5年間しか認められない。60歳以上の場合は特別許可が必要になる。そして65歳を超えての雇用は絶対に認められない。ただし、継続雇用の場合にはその限りではない。したがっておいらの場合だとあと3年は中国で働くことができたのだが。
中国で日本語教師をされている方は元教師が多い。多くは定年前に退職してこちらで悠々自適で教師生活を楽しんでおられる。それなのにおいらは意地で定年まで勤めてしまった。教師生活での心残りと言えば早く辞めなかったということである。
5年前、残留してほしいという若手の惜しむ声を振り切り(なぜか若手だけ。ウソでもそんな心遣いをしてくださる方がたくさんいた)高校教師を定年退職して教師業と一切縁を切った。実にせいせいした。管理職にとっては何かにつけて逆らう問題教師だったから彼らもホッとしたことであろう。教師生活も終わりに近づくにつれて忙しさが倍増していき、最後の数年間はほんとに大変だった。最後の年はお慈悲で担任も役職も持たないようにしてくれたので、有難かった半面、寂しい離任になるなあと思っていたら、離任式には卒業生が何人も花を持ってお祝いに来てくれた。長い教師生活で女子生徒(卒業生だが)にハグされたのはこの時が初めてだった。そういえば中国でのあるクラスの離任パーティーでは男子も女子も40人全員にハグされたな、、、ほとんどが女子だったが(わたしがハグしたのではない、されたのである。念のため)
なにか話があらぬ方にいってしまった。。