潮干狩りが中止になったので、結局夫とパティの散歩に行く事に。
家の付近には、熱心な緑保存運動のおかげで、住宅地の周辺に残してくれた緑地帯があります。
すぐそこには家並みがあるのですが、貴重な憩いの場として、私たち住民にとっては何よりの自然です。
いつもの散歩コースが、連休はハイキングコースに早替わり。
費用と言えば、ペットボトルの水だけというのが、有難い・・。
いつもは閑散とした池も、ザリガニ釣りを楽しむ子供の姿があるだけで素敵な探検地に見えます。
少し足を伸ばして、ここは「旧華頂宮邸(きゅうかちょうのみやてい)」の庭。
昭和4年に、旧皇族の華頂博信氏のために昭和4年に建てられた、美しい洋館で、
現在は鎌倉市の重要建造物に指定されています。
バラが咲くと一層華やかになり、華族の優雅な生活を彷彿とさせます。
(建物の写真は、夫がでかでかと写っているので、すみません・・ナシです)
鎌倉の裏道。
ぴょこんと顔を出すにゃんこが愛らしい。
2時間あまりの散策、途中からパティはちゃっかり夫に抱っこされてご機嫌でした。
果樹園からの帰り道、思った方向とは違うルートをたどることになり、
(早い話が迷い込んだも同然)木にペンキで書かれた矢印を頼りに
ひたすら林道を歩くこと小一時間。
どうも方向的にこれは横浜出ちゃうぞ!と思い始めた時分に、
とある神社に行き着きました。
(熊野神社で、迷わず歩けたお礼。)
ここは鎌倉時代の、鬼門の守りとして祀られた神社との事。
狛犬の怒ったような顔が、たのもしく思えたのでした。
さらに林道を下ると、左右が切り立った岩壁が突如出現!
よく見れば「朝夷奈切通し・落石注意」の立て札が。
名前は聞いていたけれど、行き着くルートが分らずにいた「朝比奈切通し」・・
(「朝夷奈」と書くのが正しいのか)
鎌倉時代、塩の産地であり、貿易の拠点であった六浦から、物資を運ぶ重要な
交通路として北条泰時が整備したこの古道、敵の侵入を防ぐ自然の砦としても
意味があったようです。
戦いの歴史に思いを馳せながらしばらく道を下り、
それとは対照的な現代の輸送路である高速道路をくぐり、
自動車道路に出たところでプチ探検も終了。
帰りはバスに揺られ、コーヒーで一息ついて帰路に着きました。
梅を見るだけのつもりが、思いがけず歴史探訪の旅ともなった今回。
まだまだ奥が深そうな、地元再発見の一日でした。
詳しい探索レポが、「鎌倉の散歩道」にあります。
近所に、梅と栗の果樹園があります。
ずっと前に行ったのを思い出し、地理に詳しい友人を誘って行きました。
当時は崖を登るようだったルートが、段々ができて歩きやすく、
ワイアーで仕切られたすぐ向こう側は米軍の占有地という林道を伝って
歩くこと1時間あまりで果樹園に到着。
雲海のような白梅林がひろがり、整った庭園とはまた違った美しさです。
結実する期間は立ち入り禁止で、普段も積極的に公開はしていないので
人影もほとんどなく、しばし田園風景に溶け込みました。
空には雨雲が近づいていたので、やや光線が足りませんでしたが、その分
優しい白でした。
果樹園に向かう途中、こんな笹竹のトンネルが。
人がかがまずに通れる高さです。
Mさん、Oさん、一緒に行ってくれて有難う
1人じゃ絶対行けなかったヨ。