悩んでいます

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現在の悩み、心のうち

久しぶりのグラタン

2018-04-21 22:05:22 | 日記
最近ずっと野菜料理中心に過ごしてきたが
今日はちょっと気分が変わって、
「久しぶりにグラタンでも作ってみよう。」と言う気になった。

洋食っぽいものはあまり作らないので
私としてはかなり珍しい。

そして、いや、だからこそ、
私のグラタンはかなりの手抜き料理だ。
きっと作っているのを見たら、
『なんだこりゃ、すごい作り方をしているな。 
 これで良くグラタンを作ったと言えるな。』
と驚くかもしれない。

しかし、合理的な作り方をしていると
自分では思っているのだから世話はない。

そして、見た目は細やかに作ったのとほぼ同じ出来上がりだから
それでいいじゃないかと思えるのだ。

その作り方は、鍋一つですべてをやってしまうというものだ。

今日のグラタンの材料は
鶏肉・タマネギ・ニンジン・スナップエンドウ・ホワイトソース・チーズ。

鍋に油を少し入れて、まず鶏肉を炒める。
それからスナップエンドウ以外の野菜をやや硬めに炒める。
しんなりしてきたところで少し固めかなと思うぐらいになっていたら
スナップエンドウも入れてまた炒める。
少しだけ炒めたら、次に鍋の中にホワイトソース用の材料を入れていく。

鶏肉と野菜を鍋の片側に寄せるようにしてから
バター・小麦粉を入れてなじませ、なじんだら牛乳も投入。
かきませてホワイトソースができたら炒めた野菜と合わせる。

滅茶苦茶手抜きだと、料理好きの人からはお叱りを受けそうだが
他の道具類を汚さずに済むのでとっても簡単!

あとは、グラタン皿に入れ替えて
上にチーズをのせる。

そしてオーブンで焼いてチーズがとろりととけて
いい感じになったら出来上がりにする。

味付けのことは書かなかったが
もちろん味もつけるのは忘れない。

テーブルに置いた簡単グラタンはチーズがとけていて
口の中に入れるととっても美味しかった。

たまにはこんなのも食べてもいいな。
そう思った私だ。

たいていいつも、ホウレンソウの白和えとか
ひじきの煮物、ダイコンと豚バラのポン酢炒め、
野菜の煮物、などなど野菜中心の献立が多い。

でも、美味しいものはいろいろあるのだから
これからはまた、メニューも工夫して
いろいろ作ってみようと思っている。
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インドア派?~アウトドア派?

2018-04-20 18:44:16 | 日記
この春三月末で仕事を辞めた知人がいる。
長年忙しく働いてきたため、仕事が無くなって急に生活が変わり
ちょっと落ち込んでいるのではないか?

そう思って「どうしている?」とたずねたら
「うちに引きこもることにした。」と言う。

退屈しないのか聞いてみたら、全然退屈しないそうだ。
テレビも見ない、庭の草取りもしようと思っていたけど
まだ全然していない。

外を歩くのはいいなと思っていたけど
先日の雨で出ばなをくじかれたからもう歩く気がしない
そんなふうに言うので、私はその知人の気持ちがいまいちよく理解できない。

引きこもって何をしているのか?
それがやはり気になる。

あれやこれや話すうちに、これまで買っておいたのに
全然読みもしない本が山ほどあるので整理していることが分かった。

段ボールで10箱ぐらいブックオフに持って行ったが
殆どお金にはならなかったと話していた。

家の中にはまだまだたくさんの本があり
あと30箱分ぐらい本を処分しないといけないというので
どれだけ本をため込んできたんだ?
いったいどんな本なんだ?
そう思った私はつい質問してしまった。

「どんな本があるの?面白そうなのがあったら貸してほしいんだけど・・・。」

するとその知人は
「ブックオフに持って行っても全然売れないような専門書が殆ど。
 歴史に関するものが多いけど・・・。
 そんな本に興味はないでしょう?」
と言うではないか!

今現在、本を処分すべく整理を続けながら
読みたかった本を読んでいるようだ。

それでもちっとも退屈もしないのだから
その知人は「インドア派」だろうか。

一方私はずっとうちに引きこもっているとイラつく。
外の空気を吸いたい。
人や車などが行きかう街の空気をかぎたい。
花や木々や草などを見るのも楽しいから外に出たい。

そんな気持ちになることが多いから
私は「アウトドア派」と言ってもいいだろう。

やりたいことを、やりたいところでできるのが一番幸せに違いない。

元気であって、多少のお金を持っていたら
贅沢をしなければ十分幸せに生活できるように思う。

その知人も私も、インドア派かアウトドア派かという違いはあるが
お互いにしたいことを自由にやれる身になったことは共通している。

後はどれだけ自分に残された時間を楽しく充実させることができるか、
そこにかかってくるだろう。

その知人と、たまには一緒に会食して
近況を伝えあいたいものだと考えている。
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首輪・腕輪・足輪をつけて

2018-04-19 16:41:39 | 日記
今週はいい天気の日が続いている。
紫外線もかなり強く降り注いでいるのだろうか。

太陽の光がまぶしく感じられるし、
外に出ると、暑くて汗もダラダラ出ることが多くなった。

空が青いし、風も心地よいので
私はこのところ気持ちよく外ランを楽しむようになっている。
しかし、困ったことも起きている。

今週は月曜日と水曜日と二日、長距離走をした。
月曜日はLSD、水曜日はロング走(でも限りなくLSDに近い。)。

木々の緑、ハナミズキのピンクや白、それに歩道わきに咲いている紫色のすみれ
畑に見える黄色の菜の花、田んぼのピンクのレンゲなど
春の景色を楽しみながら外ランするのは本当に気持ちがいい。

だが・・・容赦なく照り付ける太陽の光を浴びて
私は、体に無残にも三つものわっかをつけることとなった。

その三つとは、首輪・腕輪・足輪だ。

もう何のことか分かったと思うが
それは太陽・紫外線のなせる業。

日焼けの心配があるから・・・と日焼け止めクリームを塗って
首元まであるシャツを着て
靴下とタイツの間の隙間にも日焼け止めクリームを塗ってでかけたのに
三つものわっかが出来てしまったのだ。

帰って汗で濡れてしまったシャツを脱いでみてびっくり。
「アッラ~~、何ということだ!えらく大きな首輪が出来ているじゃない。
 赤色の首輪だ~~~、帽子もかぶっていたのにこんなことになるなんて
 一体どういうことなのよ。」

ふと手首を見る。
手袋をしていたので手の甲はかなり広い範囲大丈夫だったが
やはり色が変わっている。

それから足首に至っては本当に無残で
しっかりくっきりと茶色の足輪が出来ている。

日焼け止めのクリームも効果がなかったようだ。

えらいことになった。
つい先日までこんなことにならなかったのに
今時分は相当に紫外線が強いのだろうな。

お風呂に入った時に、一生懸命こすってみてもとれやしない。
当たり前か・・・日焼けがそれで取れたらみんな困りはしないな。

それでも少しでも何とかなるのではないかとしばらくこすってみたが
やはりどうにもならない。

これは困ったものだ。
これからどんどん気温も上がり太陽の光も強く照り付けるようになるのに
私は真っ黒になるってわけ?
5月6月の二か月間は外に出ることが多くなるので
紫外線対策をもう少し考えなくてはならない。

銭湯とか、ジムのお風呂とかに入る時に
きっと私の三つの輪は目立つだろうなと思うと少し気が滅入ってくる。

首にはタオルを巻き、腕には長めの手袋をし
足首が隠れるような長めの靴下をはいて
全身を覆いつくして外ランに出るしかないか。

怪しい人のようにならなければいいが・・・。
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気配り

2018-04-18 19:31:38 | 日記
昨日、『超一流の「気配り」』という本を読んだ。

気配りはやったもの勝ち。
気配りは相手にあなたの気持ちが伝わればそれでOK。
しかし、誰に対しても同じ気配りをすることを心がけよう。
と言ったような内容だった。

でも気配りをすると疲れてしまうのじゃないか・・・という意見も聞こえてきそうだ。

筆者は、疲れない「気配り」のコツとして【自分を大事にする】ということをあげている。
何故かというと、自分を大事にすれば、
「気配り」をされた時の気持ちが分かるようになるからだという。

自分の心の声を聴いて、自分の心や身体が喜ぶようなことをする。
これを習慣にしていれば
「自分がされて嬉しいこと」が分かってくるので
それを他人にもしてあげられるようになるという。

けれども、自分では気配りをしているつもりでも
相手が喜んでくれるとばかりは言えないはず。
人によってはいったい何なの?と思われるだけで
自分が気配りをしていることに気付いてもらえないこともあるだろう。

だのに、この本では
「相手のためになること」を一生懸命に考えることを勧めている。
「他人とは分かり合えないのが自然だと受け止め、
 どうすれば相手が喜んでくれるかを一生懸命考えることこそ
 意味があるのではないか。」
と言っている。

そしてそんな「気配り」は老若男女、全世界共通で人の心に届くものだというのだ。

そこで私は考えた。
自分は【自分を大事にする】ということが出来ているか?
自分がされて嬉しいことを、他人にもしているか?
どうすれば相手が喜んでくれるだろうかと考えているだろうか?
一生懸命に考えているだろうか?

例えばエレベーターに乗ろうとしている時、
自分の後から乗ろうとやってきている人がいることに気付いた場合は
【オープン】のボタンを押してその人が乗るのを待つ、
そして降りるときにも【オープン】ボタンを押して
「どうぞ!」と声をかけて先に降りていくのを待つ。

こんなことであれば、私もできている。
いわばささやかな気遣いでしかない。
気配りと言えるかどうか???

相手がもしも間違ったことを言っている時
一緒にその答えを探すふりをするというのも気配りだということも書いてあったが
なかなかそううまくできないだろうというのが正直なところだ。

「それって、○○なんじゃなかった?」な~~んて私なら言いそうだ。
そう言ったら相手はガックリくるかもしれないなんて
きっとその時には思わないんだろうな、この私は。

間違いを指摘されたら、自分なら嫌だろうに・・・。

それから「誰に対しても同じように気配りをする」というのも難しいような気がする。

自分は小さい人間でしかないのか??
分かっていたけどやはりそうかと実感するのは情けない。

気配りのできる人間になれるように
もう少し自分を成長させたいと思うばかり。
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繰り返すことの大切さを・・・

2018-04-17 17:46:23 | 日記
はっきり言って、私は音楽音痴だと思う。
リズム感も良くないし、楽器が満足に演奏できるわけでもない。
歌も下手くそで、カラオケなんてとんでもなく苦痛。

だのに、歌声喫茶に行っている。
他の人と一緒に声を出して歌うのは楽しいから。
一人だと下手なことが目立ってしまうが、みんなで歌えば気にならない。

そんな感じの人間なのだ。

その私が、井上陽水の「少年時代」の楽譜を見て
電子ピアノでこの曲が弾けるようになりたいと練習し始めたのは少し前のこと。

それがようやく形になってきた。

苦手なこともちょっとずつ毎日練習を繰り返したら
多少は進歩するものだなとちょっと嬉しくなった。

そうなるとまた欲が出てくる。

「もっと他の曲も演奏できるようになりたい。」
そう思い始めたのだ。
きっと誰しもがそうなんだろうけど・・・、
出来なかったことが出来るようになった喜びは大きい。

ピアノを習ってきた人とか、これまで何年も趣味でやってきた人とか
そんな人たちにはこんな気持ちは分からないかもしれないけど
下手なりに演奏できるようになるってことは
本当に嬉しいことなんだな。

それで、次に演奏できるようになりたいと
私は「匠」という曲を選んで練習を始めた。

テレビの「ビフォーアフター」というリフォームの番組の中で流される曲
そう言えばわかってもらえると思うが
流れるような優しいメロディーが好きでこの曲を選んだ。

何度も似たメロディーが出てくるので割と早く上手になれるだろうか?
そう思ったのは間違いだった。
私には指使いが難しい。
リズムの取り方もこれであっているのかいまいち自信がない。

だれか私のためにこの曲を演奏してCDに落とし込んでプレゼントしてくれないかな。
そんなことを真剣に思ったりもするのだ。
まだ実現していないのだが、誰か知人に頼んでみようかとも思っている。

何度も練習をする、そのために毎日30分ぐらいは練習時間をとる。
その積み重ねが力になると信じる。

そんな気持ちで「匠」の練習を頑張りたい。
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