5月15日、安保法制懇の答申を受けて、安倍首相は「集団的自衛権」行使は憲法を変えなくても解釈により容認されると発表しました。
これを受けて当会のメンバーのEさん(キリスト教の信仰をお持ちです)より、寄稿していただきました。
「お前たちは言った。『我々は死と契約を結び、陰府と協定している。洪水がみなぎり溢れても、我々には及ばない。我々は欺きを避け所とし、偽りを隠れ家とする。』」(『旧約聖書』「イザヤ書」第28章15節)
これは、『旧約聖書』中の預言書「イザヤ書」の一節です。今から約2,600年前、預言者イザヤが活躍していたユダの国で、西の大国エジプトとの軍事同盟政策が進められていました。北の大国アッシリアに対抗するためです。これは、そのエジプトとの同盟を結んだ為政者たちが、それを誇って言った言葉です。「我々は死と陰府、つまりエジプトと契約・協定を結んだので、洪水つまりアッシリアの脅威に対しても対抗できる」と。
預言者イザヤはこれに対して、皮肉を込めつつ手厳しい批判を加えるのです。「それは『欺き』や『偽り』をより所とし、それに頼っているようなものだ」。案外、それは為政者たちの本音であったかもしれません。「この同盟を結び、この政策を進めるためには、どんな『欺き』や『偽り』も正当化されるし、それを利用することは何ら問題がない。」でもイザヤは、それらは所詮何の頼りにもならない「欺きと偽り」に過ぎないのだ、と語るのです。
このたび安部政権は、解釈改憲による集団的自衛権を認めさせようとする道に、大きく舵を切りましたが、安部首相をはじめとして、この道を推進しようとしている人々の言動と態度に、私は、あの2600年前のユダヤの国の為政者・高官たちの言葉が重なって来るのを、どうしても感じてしまうのです。
「この行使が認められれば、わが国は安心・安全だ」と言っていますが、はたして本当にそうでしょうか。「集団的自衛権」ということで、「同盟国」とされているのは、明らかにアメリカ合衆国です。「我々は多くの人々の死を支配するアメリカと契約を結び、陰府をも支配しているかのようなアメリカと協定している。洪水のような諸国の脅威がみなぎり溢れても我々には及ばない」と言っているかのようです。本当にそうでしょうか。
アメリカを嫌い、憎んでいる人々や集団は、世界中に数多く存在することでしょう。そしてそのアメリカと歩調と行動を合わせていると見られる国々には、その米国への敵意が同じように向けられることは確実でしょう。それは、イラク戦争後に、アメリカと軍事的に協調していたイギリスやスペインでテロ事件が起こったことでわかります。アメリカとの「集団的自衛権」を行使しようとしていくならば、これらの敵意はきっと私たち日本にも向けられてきます。
そうなれば、どんなに戦車や戦闘機を多く備えても、それは役に立ちません。日本には数多くの原子力発電所が存在し、今も事故を収束させることができないでいる福島第一原発があるからです。それらの原発にテロ攻撃をかければ、大きな軍事力によらなくても、日本に深刻な損害を与えることができてしまうでしょう。
これから日本が取るべき道は、決して今の道ではなく、次のような道ではないでしょうか。
①現憲法9条を堅持し、世界各国特に周辺諸国との友好を促進する。
②脱原発へ政策転換し、その道を着実に歩む。
「イザヤの神が求めているものは、大国間の争いに巻き込まれることではなく、立ち返り静謐であること、危機の本当の原因を自らの内側にみつめ、これを正して神を待つことである。そのことは、単に精神的領域のことにとどまらず、国内の不正と農民の抑圧とを改め、そのことによって、国家の防衛力の基礎となる農耕市民の力を拡充することでもある。」(磯部隆『預言者イザヤ』、中央出版社)
預言者イザヤは、これらの為政者・高官たちに向けて、神の審判の言葉を告げるのです。
「わたしは正義を測り縄とし 恵みの業を分銅とする。 雹は欺きという避け所を滅ぼし 水は隠れがを押し流す。お前たちが死と結んだ契約は取り消され 陰府と定めた協定は実行されない。洪水がみなぎり、溢れるとき お前たちは、それに踏みにじられる。」(イザヤ書第28章17~18節)「『汝ら』政治指導者は、一見すると強力な樫の木や豊かな園を選び、そこに国の安全を求めようとしているが、しかし、その相手はその業とともに滅び、ゆえに、そうした者を選んだことにおいて『汝ら』は面目をつぶし、かつ軍事的災禍を被ることになるであろう。」(前掲書)
これを受けて当会のメンバーのEさん(キリスト教の信仰をお持ちです)より、寄稿していただきました。
「お前たちは言った。『我々は死と契約を結び、陰府と協定している。洪水がみなぎり溢れても、我々には及ばない。我々は欺きを避け所とし、偽りを隠れ家とする。』」(『旧約聖書』「イザヤ書」第28章15節)
これは、『旧約聖書』中の預言書「イザヤ書」の一節です。今から約2,600年前、預言者イザヤが活躍していたユダの国で、西の大国エジプトとの軍事同盟政策が進められていました。北の大国アッシリアに対抗するためです。これは、そのエジプトとの同盟を結んだ為政者たちが、それを誇って言った言葉です。「我々は死と陰府、つまりエジプトと契約・協定を結んだので、洪水つまりアッシリアの脅威に対しても対抗できる」と。
預言者イザヤはこれに対して、皮肉を込めつつ手厳しい批判を加えるのです。「それは『欺き』や『偽り』をより所とし、それに頼っているようなものだ」。案外、それは為政者たちの本音であったかもしれません。「この同盟を結び、この政策を進めるためには、どんな『欺き』や『偽り』も正当化されるし、それを利用することは何ら問題がない。」でもイザヤは、それらは所詮何の頼りにもならない「欺きと偽り」に過ぎないのだ、と語るのです。
このたび安部政権は、解釈改憲による集団的自衛権を認めさせようとする道に、大きく舵を切りましたが、安部首相をはじめとして、この道を推進しようとしている人々の言動と態度に、私は、あの2600年前のユダヤの国の為政者・高官たちの言葉が重なって来るのを、どうしても感じてしまうのです。
「この行使が認められれば、わが国は安心・安全だ」と言っていますが、はたして本当にそうでしょうか。「集団的自衛権」ということで、「同盟国」とされているのは、明らかにアメリカ合衆国です。「我々は多くの人々の死を支配するアメリカと契約を結び、陰府をも支配しているかのようなアメリカと協定している。洪水のような諸国の脅威がみなぎり溢れても我々には及ばない」と言っているかのようです。本当にそうでしょうか。
アメリカを嫌い、憎んでいる人々や集団は、世界中に数多く存在することでしょう。そしてそのアメリカと歩調と行動を合わせていると見られる国々には、その米国への敵意が同じように向けられることは確実でしょう。それは、イラク戦争後に、アメリカと軍事的に協調していたイギリスやスペインでテロ事件が起こったことでわかります。アメリカとの「集団的自衛権」を行使しようとしていくならば、これらの敵意はきっと私たち日本にも向けられてきます。
そうなれば、どんなに戦車や戦闘機を多く備えても、それは役に立ちません。日本には数多くの原子力発電所が存在し、今も事故を収束させることができないでいる福島第一原発があるからです。それらの原発にテロ攻撃をかければ、大きな軍事力によらなくても、日本に深刻な損害を与えることができてしまうでしょう。
これから日本が取るべき道は、決して今の道ではなく、次のような道ではないでしょうか。
①現憲法9条を堅持し、世界各国特に周辺諸国との友好を促進する。
②脱原発へ政策転換し、その道を着実に歩む。
「イザヤの神が求めているものは、大国間の争いに巻き込まれることではなく、立ち返り静謐であること、危機の本当の原因を自らの内側にみつめ、これを正して神を待つことである。そのことは、単に精神的領域のことにとどまらず、国内の不正と農民の抑圧とを改め、そのことによって、国家の防衛力の基礎となる農耕市民の力を拡充することでもある。」(磯部隆『預言者イザヤ』、中央出版社)
預言者イザヤは、これらの為政者・高官たちに向けて、神の審判の言葉を告げるのです。
「わたしは正義を測り縄とし 恵みの業を分銅とする。 雹は欺きという避け所を滅ぼし 水は隠れがを押し流す。お前たちが死と結んだ契約は取り消され 陰府と定めた協定は実行されない。洪水がみなぎり、溢れるとき お前たちは、それに踏みにじられる。」(イザヤ書第28章17~18節)「『汝ら』政治指導者は、一見すると強力な樫の木や豊かな園を選び、そこに国の安全を求めようとしているが、しかし、その相手はその業とともに滅び、ゆえに、そうした者を選んだことにおいて『汝ら』は面目をつぶし、かつ軍事的災禍を被ることになるであろう。」(前掲書)