■東京駅丸の内南口の「丸型庇(ひさし)付き郵便ポスト」
■100周年を迎えた東京駅
■東京駅丸の内側のドーム
■100周年を迎えた東京駅
■東京駅丸の内側のドーム
12月21日に東京駅の東京駅丸の内南口に設置された「丸型庇(ひさし)付き郵便ポスト」を見学に行った友人からメールが届きました。
東京駅の「丸型庇(ひさし)付き郵便ポスト」は、東京駅開業100周年を記念し、12月15日、茨城県県神栖市「みだ保育園」の園児たちが出席して除幕記念セレモニーが行われました。
この丸型ポストは、昭和50年代まで、茨城県神栖市内で使用されていたもので、引退後、みだ保育園さん(茨城県神栖市)で園児の教材用として使用されていたそうです。
東京駅開業100周年を記念し、みだ保育園さんから寄贈され、当時、丸型ポストを製造していた鋳物メーカー吉村工業さん(埼玉県川口市)が、ポスト分解から塗装剥がし、錆落とし、塗装仕上げなどの修復作業を行い、復元にこぎつけ、東京駅に設置されたと、物語が詰まった丸型ポストでした。
友人は、丸型ポストのマニアであり、仲間から情報を得て行ってきたとのことでした。
わざわざ仙台から東京へ出かけるとは、流石にマニアならではの行動と感心をしました。
それを居ながらにしてお裾わけをいただいた私も感謝感激でした。
丸型ポストの歴史は古く、初めは、1901年に登場し、「俵谷式ポスト」、「中村式ポスト」と言われ、材質は鋳鉄。1908年10月、雨よけのために差出口に回転板を取り付けた「回転式ポスト」が登場し、1912年には、可動部分の故障が多いなどの理由から、回転板を廃し雨よけの庇をつけた「丸型庇付ポスト」が登場したとありました。今回、設置されたのは、その「丸型庇付ポスト」でした。その後、1929年に「郵便差出箱1号(丸型)」が登場し、1970年に後継の「郵便差出箱1号(角型)」が登場し、丸型の生産・設置は終了したとありました。
現在、「丸型ポスト」を街中で見かけることは殆どなく、味気ない角型ポストになってしまいました。
ビル群に囲まれた街並みは、丸型ポストが似合わなくなったのかもしれないと悲しくさえなりました。
今、希少価値のある「丸型ポスト」は、学校の教材や観光地に設置されて活用されているようですが、友人の話では、学校も廃校になり、丸型ポストが手入れされることもなく放置されているそうで、時代の流れというか、そんなこともあるのかと思い知らされました。
東京駅100周年記念のように再び丸型ポストが蘇って輝きを増していることは良いことと思いながら、丸型ポストマニアの喜びはいかばかりかと思いました。
友人から東京駅の赤れんがの駅舎の写真も送っていただきました。
丸の内側にはドーム型の屋根を見ることができます。その写真も送っていただきました。
100年の時を越えて蘇った東京駅丸の内駅舎は、駅としての存在感だけでなく、芸術作品としても価値があると言われている建造物とのことでした。
確かに東京の首都、玄関口に相応しい重厚な建築物に魅了されます。
この先、100年も200年も先を見据えた東京駅に大きな未来を感じたところでした。
いずれ、世界遺産の仲間入りも夢ではないと思いました。
東京駅の「丸型庇(ひさし)付き郵便ポスト」は、東京駅開業100周年を記念し、12月15日、茨城県県神栖市「みだ保育園」の園児たちが出席して除幕記念セレモニーが行われました。
この丸型ポストは、昭和50年代まで、茨城県神栖市内で使用されていたもので、引退後、みだ保育園さん(茨城県神栖市)で園児の教材用として使用されていたそうです。
東京駅開業100周年を記念し、みだ保育園さんから寄贈され、当時、丸型ポストを製造していた鋳物メーカー吉村工業さん(埼玉県川口市)が、ポスト分解から塗装剥がし、錆落とし、塗装仕上げなどの修復作業を行い、復元にこぎつけ、東京駅に設置されたと、物語が詰まった丸型ポストでした。
友人は、丸型ポストのマニアであり、仲間から情報を得て行ってきたとのことでした。
わざわざ仙台から東京へ出かけるとは、流石にマニアならではの行動と感心をしました。
それを居ながらにしてお裾わけをいただいた私も感謝感激でした。
丸型ポストの歴史は古く、初めは、1901年に登場し、「俵谷式ポスト」、「中村式ポスト」と言われ、材質は鋳鉄。1908年10月、雨よけのために差出口に回転板を取り付けた「回転式ポスト」が登場し、1912年には、可動部分の故障が多いなどの理由から、回転板を廃し雨よけの庇をつけた「丸型庇付ポスト」が登場したとありました。今回、設置されたのは、その「丸型庇付ポスト」でした。その後、1929年に「郵便差出箱1号(丸型)」が登場し、1970年に後継の「郵便差出箱1号(角型)」が登場し、丸型の生産・設置は終了したとありました。
現在、「丸型ポスト」を街中で見かけることは殆どなく、味気ない角型ポストになってしまいました。
ビル群に囲まれた街並みは、丸型ポストが似合わなくなったのかもしれないと悲しくさえなりました。
今、希少価値のある「丸型ポスト」は、学校の教材や観光地に設置されて活用されているようですが、友人の話では、学校も廃校になり、丸型ポストが手入れされることもなく放置されているそうで、時代の流れというか、そんなこともあるのかと思い知らされました。
東京駅100周年記念のように再び丸型ポストが蘇って輝きを増していることは良いことと思いながら、丸型ポストマニアの喜びはいかばかりかと思いました。
友人から東京駅の赤れんがの駅舎の写真も送っていただきました。
丸の内側にはドーム型の屋根を見ることができます。その写真も送っていただきました。
100年の時を越えて蘇った東京駅丸の内駅舎は、駅としての存在感だけでなく、芸術作品としても価値があると言われている建造物とのことでした。
確かに東京の首都、玄関口に相応しい重厚な建築物に魅了されます。
この先、100年も200年も先を見据えた東京駅に大きな未来を感じたところでした。
いずれ、世界遺産の仲間入りも夢ではないと思いました。