西分堂日記

書画を趣味にする私が、感じたこと見聞きしたこと、たまに、自作の書画を掲載できれば、と思います。

残った墨で徐渭を臨書

2009年05月08日 | 徐渭について
只今、展覧会の作品製作中、残り物の墨で徐渭を臨書。
想像以上に手こずって、何度も墨液を追加。
結局、2時間に及んだ。
全然な出来ない。
女芙館十詠より、「鳩」。
ヘンの九は飛び立つ鳩を、横から見た形のよう。
やはり、徐渭は絵描き。
左の「鳥」にも注目していただきたい。
4つの点の向きが同じものは一つとしてない。
凄いこだわりよう。


先生は徐渭は殆んど臨書されていないのだと思う。
若い頃から先生が臨書なさった書家、
例えば呉昌碩や米フツは、とてもすんなりは入れたような気がした。
徐渭はまるで異質なもの。
書家のお弟子さんになるというのは、
たぶん、そういうことなんだと、思う。
先生に見つかったら、たいへんだ。
「そんなものやってると、上達が遅れる」
と、きっと、おっしゃるだろうから・・・





徐渭女芙蓉館十詠を臨書。


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3 コメント

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いいんです。 (林田明大)
2009-05-10 01:34:30
 はっきり言って、徐渭は、陽明学者なのですね。単なる書家とはわけが違うんですね。
 価値が分からない人は、死んでも分かりません(笑)。
 好き嫌いで論じているのではなく、「自然」とは何かを真に理解している、大悟しているからこそ、書ける書なのですね。勿論、マネして書いている人はいるのでしょうが、それはそれ、芸術としての書を見せてくれたのは、徐渭なんですね。
 ぜひ、韓氏意拳や老荘の荘子、陽明学左派をお勧めします。
 こう言っても、チンプンカンプンかもしれませんが、とにかくお勧めします。徐渭が分からない書家は、所詮、それどまりです。こういう私は、「言い方が、きつい」と言われます(笑)。でも、自分の意見には、このように表明する以上、自信を持っております。
 
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ほんと、言い方きついです。 (nisibundo)
2009-05-10 13:53:53
ほんと「言い方がきつい」と、思います。
父について書いた時も、そう思いました。
でも、言われても憎めないのは、
ある意味、核心をついているところがあるからだ、
と思います。

距離が近ければ、近い程、色んなことが見えてきて、嫌だなぁっと、思うこともあります。
近親憎悪とか、言うでしょ。
たぶん、私にとって師は父のような人です。
だから、自分は愚痴っても、
他の人に悪く言われると、正直言って面白くない!
ごめんなさい、勝手なことばかり、言って・・・

自分も含めて、完璧な人間なんていませんよね。
嫉妬に狂って、妻を殺した徐渭にしたってそうです。
深い愛だからこそ、妻を殺し、
深い愛情(執着)を持って、自然を見つめたからこそ、
素晴らしい書画ができたのだと、思います。
「人は愛以上の絵を書くことは出来きない」とは
アンドリュー・ワイエスの言葉。
徐渭のような書画の天才になれるなんて、
夢に思ったこともありませんが、
もう暫くは書の勉強をしたいと思います。
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Unknown (林田明大)
2009-05-14 02:45:14
 うーん、やっぱり私の言い方は「きつい」と感じられるのですね。
 正直、自分では、どこがきつい言い方なのか、わかりません。
 ただ、私の妻も人から「きつい」と言われるタイプですから、私もそう思うんですが、そんなきつい妻と一緒にいてやっていけてるのですから、きっと、私も、世間一般からすると「きつい」タイプに入るのだろうとは思っております(笑)。
 でも、貴女からワイエスの言葉が出てくるとは思ってもみませんでした。
 私は、ヨーゼフ・ボイスやj・ポロックが好きですし、その他カンディンスキーやモンドリアン、クレーも好きですし、これまでに哲学・宗教のみならず、文学・芸術一般、渉猟してきました。
 今、息子には、私の大好きな詩人・伊東静雄の詩や漢詩を教えているところです。
                   林田明大
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