令和7年7月11日16:53、毎日新聞より「秋篠宮ご一家が写真展「ヒロシマ1945」を見学 東京都写真美術館」と題する記事が配信されている。
見学されたのはよいことだと思うけれども・・・。
その場で何か気の利いたことを言わないといけないというのは、なかなか大変だろうし、
そればっかり意識してもよくないかもしれないけれども・・・。
-----引用開始-----
秋篠宮さまは原爆が長期間、被害を与え続けていることを踏まえ「やっぱり核はなくならないといけないですね」
-----引用終了-----
それはそうだけどさ。
普段何も考えていない人が、何か言わないといけない感じになって、とっさに口にする言葉の場合も、同じような内容になるのではないのだろうか。
殿下が普段どのように考えているかは分からないけれども、報じられているコメントだけを見ると、なんともかんとも。
-----引用開始-----
長男の悠仁さまは「写真や映像が持つ情報の多さや力を感じた」
-----引用終了-----
そういうことではないのではないか。
これは、公的な身分をお持ちの方でなく、単なる個人としての場合でも、
「ちょっとこの人変だな」と思ってしまうような。
何かが欠けている気がする。
報じられている以外に、もう少し発言があったのかもしれないけれども。
-----引用開始-----
次女の佳子さまは「写っている方たちの苦しみ、撮影者の葛藤を知ることができた」
-----引用終了-----
写っている方だけでなく、撮影者の内面にも思いを馳せておられる。
三十路になられた方らしい、深みのあるコメントだ。
-----引用開始-----
秋篠宮妃紀子さまは収容された遺体の写真に手を合わせていたという。
-----引用終了-----
表現のしようのない気持ちが沸き上がった時、
その表し方として、何か言葉を発するよりも、手を合わせるしかない、
というのは、筆者にも分かる。
この見学については、複数のメディアで報じられているが、産経新聞のはかなり微妙な感じである。
令和7年7月11日16:25、産経新聞より配信「秋篠宮ご一家、広島原爆写真展ご覧に 悠仁さま「写真が持つ力を感じました」」
この記事では、秋篠宮殿下と悠仁親王殿下のコメントしか紹介されていない。
毎日新聞の記事では、秋篠宮妃殿下の所作と佳子内親王殿下のコメントも紹介されており、
いい方向にカバーされていると思うのだが、それらを落としてしまっている。
女性皇族について省いているというのは、男尊女卑的な思想のためのだろうか。
しかし、産経新聞としては、秋篠宮家を盛り上げないといけないのではないのだろうか。
さて、いろいろ述べてしまったが、それでは筆者として、どのようなコメントを期待するかであるが、
「このような悲惨なことは、いかなる理由をもってしても正当化はできない」
というぐらいのことは言って欲しかった。
原爆の写真を見て、このようなことを述べれば、問題にはなってしまうであろうか。
しかし、これぐらいは、被爆国としてのの大義として、言うべきではないのだろうか。
原爆の写真をご覧になった感想が、「やっぱり核はなくならないといけないですね」というのでは、
被爆国としての怒り、悲しみというものが全く感じられない。
世界の人々がこれを知ったとき、
唯一の被爆国の次の天皇になるはずの方が「やっぱり核はなくならないといけないですね」としか言えないと知ったとき、
どのように思われることとなるのだろうか?
「その程度なのか。」「そんなに怒っているわけじゃないんだ。」と思われてしまうのではないか。
こんなことではダメなのではないか。
見学されたのはよいことだと思うけれども・・・。
その場で何か気の利いたことを言わないといけないというのは、なかなか大変だろうし、
そればっかり意識してもよくないかもしれないけれども・・・。
-----引用開始-----
秋篠宮さまは原爆が長期間、被害を与え続けていることを踏まえ「やっぱり核はなくならないといけないですね」
-----引用終了-----
それはそうだけどさ。
普段何も考えていない人が、何か言わないといけない感じになって、とっさに口にする言葉の場合も、同じような内容になるのではないのだろうか。
殿下が普段どのように考えているかは分からないけれども、報じられているコメントだけを見ると、なんともかんとも。
-----引用開始-----
長男の悠仁さまは「写真や映像が持つ情報の多さや力を感じた」
-----引用終了-----
そういうことではないのではないか。
これは、公的な身分をお持ちの方でなく、単なる個人としての場合でも、
「ちょっとこの人変だな」と思ってしまうような。
何かが欠けている気がする。
報じられている以外に、もう少し発言があったのかもしれないけれども。
-----引用開始-----
次女の佳子さまは「写っている方たちの苦しみ、撮影者の葛藤を知ることができた」
-----引用終了-----
写っている方だけでなく、撮影者の内面にも思いを馳せておられる。
三十路になられた方らしい、深みのあるコメントだ。
-----引用開始-----
秋篠宮妃紀子さまは収容された遺体の写真に手を合わせていたという。
-----引用終了-----
表現のしようのない気持ちが沸き上がった時、
その表し方として、何か言葉を発するよりも、手を合わせるしかない、
というのは、筆者にも分かる。
この見学については、複数のメディアで報じられているが、産経新聞のはかなり微妙な感じである。
令和7年7月11日16:25、産経新聞より配信「秋篠宮ご一家、広島原爆写真展ご覧に 悠仁さま「写真が持つ力を感じました」」
この記事では、秋篠宮殿下と悠仁親王殿下のコメントしか紹介されていない。
毎日新聞の記事では、秋篠宮妃殿下の所作と佳子内親王殿下のコメントも紹介されており、
いい方向にカバーされていると思うのだが、それらを落としてしまっている。
女性皇族について省いているというのは、男尊女卑的な思想のためのだろうか。
しかし、産経新聞としては、秋篠宮家を盛り上げないといけないのではないのだろうか。
さて、いろいろ述べてしまったが、それでは筆者として、どのようなコメントを期待するかであるが、
「このような悲惨なことは、いかなる理由をもってしても正当化はできない」
というぐらいのことは言って欲しかった。
原爆の写真を見て、このようなことを述べれば、問題にはなってしまうであろうか。
しかし、これぐらいは、被爆国としてのの大義として、言うべきではないのだろうか。
原爆の写真をご覧になった感想が、「やっぱり核はなくならないといけないですね」というのでは、
被爆国としての怒り、悲しみというものが全く感じられない。
世界の人々がこれを知ったとき、
唯一の被爆国の次の天皇になるはずの方が「やっぱり核はなくならないといけないですね」としか言えないと知ったとき、
どのように思われることとなるのだろうか?
「その程度なのか。」「そんなに怒っているわけじゃないんだ。」と思われてしまうのではないか。
こんなことではダメなのではないか。