ルアンパバーンの風景

ラオスの世界遺産『ルアンパバーン』(Luang Phabang)の静かな風景を載せていきます。
実際は暑かった。

ネッシー撮影者談

2011-07-11 | ヤプログ!のログ
人々にロマンを与えるためにやった。また、開発に異を唱える意図もあった。私はネス湖を愛していた。この湖には神秘的な雰囲気があった。私が幼い頃は今は見ることの無くなった様々な生き物を目にした。私はこの湖を守りたかった。
きっかけは人口増加に伴いネス湖一帯の開発予定がある事を耳にしたことだった。このまま環境が破壊されてゆけば、太古の生き物がもう決してこの地に生きることができなくなる。これは、「そこになにかがある」というロマンが無くなることをも同時に意味する。
私は地球には人にまだ知られていない何かが存在していると思っている。この湖にも。しかし最終的に私はそれを作り上げることとなった。神に導かれたのか悪魔に唆されたのか、私にはわからない。無意識に行っていた。
しかし、殊の外、この写真が内外に有名になりすぎてしまい、もはやあれは「ねつ造だった」と言えなくなってしまった。若いころの安率な行為を後悔しています。未だこの地に多くの観光客がカメラを持って訪れているのを見るたびに、心が痛みます。また、夢をもった探究心で調査をされていた学者の方たちにも申し訳なさで一杯ですが、このままでは不憫に思い、告白を決心しました。懺悔します。(作成:犬介)


震災後

2011-03-26 | ヤプログ!のログ
ニュースで各地の買い占めが問題になってるが
買い占めする人の心理は一体どうなってるのか,
一人では生きられない恐怖心からきているのだろうか
切羽詰まってしまうのは終末の想像がリアルだからだろうか。
助け合えばよいのに隣人を信じてない
それは己の内面の反映でしかないのに。
しかも買い占めする人に限って
物を売るのがテメーラら仕事ダロ!!と怒鳴りつけるらしい


子供の反応

2010-12-31 | ヤプログ!のログ
幼稚園児に「○○をいつも何個食べる?」とか質問をすると
男子児童は 自分が一番一番 と主張する
女子児童は みんなと一緒の答えをし、共有することに喜びを感じる
性のかたちが現れているみたい


月の写真

2009-04-11 | ヤプログ!のログ
おとつい月・の写真撮った

月ってキリスト教より有名なんだなぁと思った
ピタゴラスもプラトンも
みんな月のこと見てたんだ
あの子も月のこと知ってるんだ
あの子にある月の印象が知りたい 恋しい
数十分もエポケーしてた

飛行機が何匹か月の隣を飛んだよ


[気]

2006-12-04 | ヤプログ!のログ
霊性は光子、W粒子、Z粒子、グルーオン etc 全てを包括するので同じと言えば同じだけど別と言えば別になる。でも素粒子的な[気]のみでなく、神饌を供えれば「反応」があるので、それを放っているのは存在形態の違う生命とも言える。


(無題)

2006-11-27 | ヤプログ!のログ
第一印象を、第二印象、第三印象に変えてしまう、その変換方式が歪な場合、パーソナリティ障害が疑われ、その変換方式を解体し、形成過程を辿る
まがつひ培養器をなおび形成器に作り替えるには高度なテクネと本人の自覚が必要になるので一般的には墓の中に封じ込めることになる



(無題)

2006-11-23 | ヤプログ!のログ
職業(Beruf)は一種の運命(Schicksal)と見られるが、一定の職業については、一般にそれにくっついた外的必然性の形式はすてなければならない。職業は自由に選び、自由に續け、また果たさなければならない。
説明。人間は、運命がもついろいろの外的な事情や一般に人間が直接的にもっているようなすべての外的な事情に關して、それを自分のものとし、それから外的定在の形式を取り除くようにしなければならない。人間が自分の使命に忠實であるなら、すなわち人間が自分の職業を全面的に果すなら、自分が運命によってどんな外的状態におかれているかは重大なことではない。或る地位にある職業(或る地位に召されていること Beruf zu einem Stande)は、一個の多面的な實體である。職業は云わば素材(シュトッフ)であり、材料(マテリアール)であって、不純な點や欠け易い面や地につかない部分が少しもないように、あらゆる面を隅々まで磨き上げなければならない。私がそれを完全に自分のものとするかぎり、私はその中にあって自由である。人間は自分の職業を果たさないときは何よりも充たされない。ところが、人間は眞實に自分のものと思えないような關係におかれることがある。しかもこれは同時に、その人間の身分である。人間はこの身分から自分を解放することはできない。すると、人間は自分自身の意に反した關係の中に生活し、行為することになる。


(無題)

2006-11-23 | ヤプログ!のログ
人間は知的教養と道徳的教養とによって、他人に對する義務を果す能力を身につける。他人に對する義務は實在的(レアール)な義務と名付けられてよい。これに對して、教養に關する義務はむしろ形式的(フォルメル)なものである。


(無題)

2006-11-23 | ヤプログ!のログ
人間の職務における忠實と服従、並びに運命に對する服従と人間の行為における自己忘却は、絶對的で必然的なもののために虚栄心、自惚、利己心を放棄することを根本條件とする。
説明。職務は普遍的なものであり、必然的なものであって、人間の共同生活の一面をなしている。従って人間の全事業の一部分である。人間は職務をもつとき、普遍的なものに参與することになる。人間はそれによって客観的なものとなる。職務はもとよりそれぞれ限られた領域ではあるが、それにもかかわらず全體の必然的な一項を形成するものであり、またそれ自身一個の全體でもある。人間がものになるためには、自分を制限することを知らねばならない。すなわち、自分の職務を全く自分の事とせねばならない。すると、職務は彼にとって何の拘束でもなくなる。その時には人間は自分自身と、その外面性、すなわちその職域と一體になる。ここでは職務はすなわち普遍的なものであり、全體である。人間が――空虚なもの、すなわち非本質的なもの、無価値なものを自分の目的にする時には、事柄そのものに對する關心でなく、自分のこと〔事柄〕についての關心が元になる。空虚なものは何らそれ自身で存在するものではなくて、主觀によって支えられているものにすぎない。人間はそこではただ自分自身を見るのみである。例えば、人間が一般に自分の行為において自分の卓越さを意識するとき、従って事柄についてではなくて、むしろ自身に關心をもつときのように、道徳的な虚栄もあり得る。―― 一寸した仕事を忠實に果す人間は更に大きな仕事に對しても能力のあることが分る。と云うのは、それで彼の従順の精神が分り、自分の願望とか傾向とか妄念を捨てるものであることが分るからである。Hegel


逢着する

2006-11-22 | ヤプログ!のログ
当たり前のものを当たり前と認知できなければ、機能障害となる。宗教はその当たり前の認知から始まる。哲学の場合は主に懐疑や否定から始まる。もちろん最終的には同じところに逢着するが。ただ誤った信仰・自負があると長引く。