ルアンパバーンの風景

ラオスの世界遺産『ルアンパバーン』(Luang Phabang)の静かな風景を載せていきます。
実際は暑かった。

聖剣伝説2 Legend of Mana

2009-01-12 | 宗教
2009年の正月は聖剣伝説2 #LEGEND OF MANAをやってた。どっかに行けばよかったけど感動したからいいです。
聖剣伝説はエランヴィタールがわかってる。マナの樹とかマナの力は神道や仏教やキリスト教そのもの。メコン川を下る時フェイサイでスクウェアの人に出会ったけど色々と見てますね。グラフィックもいいけどなにより草人の存在がよかったかな。次にやるゲームの予定はあったけど、印象がとても深いのでもったいないので感傷に浸ってました。
・我々は科学があれば生きていける。
・マナの樹を復活させても云々。
・人はマナを奪い合うことにしか生きて来なかった。
・草人が"マナの樹のところにいくのー。"と言っても草人はかわいい草人のままでいいと知識に固まった者は行かせない。
・聖邪はマナの一側面。
・アーウィンのように破壊する自由もある。
・精霊は人間を嫌っている。でも今の精霊は過去の戦争によって本来の精霊の姿を失っているのではないか。
・マーメイドは歌を歌っているだけ。それで沈没する船が悪いのよと人間の理不尽で森に引きこもらされているマーメイドを外に出そうとする。
…そんなストーリーでした。多くの登場人物が生きた性格をもっているのは源氏物語並みだと思いました。
エランヴィタルとか霊性については物理学でも解明しうるもので、解明できなければまだ物理学のほうが未発達なんでしょう。神棚に米を供えた時に反応してくる神の力や、神社と仏閣では霊性が違うのにそれが説明できてないことになるから。といってもそれは無理難題で、どこまでいっても推測に留まるけど。要素を蒐集しても膨大すぎることになるし、素粒子についても一言で「時間も空間もない」スケールといっても現実的な想像すら出来ないものであるから。
去年の正月はポケモン『時の探検隊』をやってましたがこれもいい哲学してました。ちょうど素粒子に興味をもっていたからポケモンも完成度高いなぁと思ったものです。不可知でも正しい理論とか正しい芸術には神秘に通じるものがありますね。限定的ではなくて広がりがあるのです。
霊性がわかればキリストの言ってることも親鸞もベンジャミンもわかったようなもんです。霊性がわからなければたぶんなにもわからないでしょう。
とはいってもX-FILEのオカルトの連中はあまり好きではないです。どうせ雀や自然を愛していないだろうから。年末には意識と言葉と行為が世界を作り上げているとオカルト肯定者が主張していたけど、ならばその意識と言葉と行為をもっと清めることに心血を注ごうと考えるのが宗教者です。自分が成長しなければ面白くない。量子力学的に証明されつつあると言いつつ慈悲や真心を持とうと思わないで芸術には敬意を払いもせずに偉いこと言ってるだけでは面白くないです。聖剣伝説2をやれと思いました。音楽もわからず八正道もできないのが大半のオカルト肯定者のような気がしてます。僕はなるたけならそうはなりたくないです。懺悔


初日の出

2007-01-02 | 宗教
アーオーサー

年末に霊感は振動だと悟りました(妄想)。初参りでも散歩参りでも生命に心地のよい霊性を得るわけだけどそれは神の気が浸透'してきているわけではなく、振動'だったかもしれないね。振動による物理の連鎖、素粒子と原子の通様相的関係だ。そうすると今までの考えがすっきりしました。もちろん 原子核:原子 の面積の比率(0.0001%)ぐらいは浸透してきてる成分もあろうけど、自分が思っていたよりは浸透'よりも、振動'の影響が大きかったかも。
。...。..((( ,, ・∀・)).。....。
日の出の光景も目にやきつくけど、それは光が目に浸透しているわけではない。エネルギー全体の0.0001%ぐらいを除いて。
音も同様、振動のハルモニアの連続は、心に音響ではなく音楽としてのインパクトを与える。神は神としての振動をもっているから神話はミュトスなのね。楽譜上に留めるならロゴスだけど。
DNAも振動している。振動の3D波形まで併せ持ち、しかも時間を加えたすべてを描こうものならまだしも神は永遠に証明されはしない。神自体'は、器楽指導の行われた個人にたいして証明されているようなものだけど。
でもこのようにわかったとしても「わからない」と言う方が更によくわかっている気がする。神社の神殿で思うけど、なぜかそこにいる。なぜかいるそこに。時間も空間もない世界を、時間も空間もある物質で理解すること自体が矛盾、まさに全知全能の神に「自分に持ち上げられない岩を造る」ことはできるかといったような命題を、すべての知的定義が否定されるその対象に投げかけてるような混同に同じく。だから文章など一切書き残さなかったソクラテスの「無知の知」とかお釈迦様の「色不異空」。これこそ現象をいちばん自然に捉えうる態度だと思う。現実の反意語は仮想。飛行機は99.9%の仮説で飛んでいる。


ガス形態

2006-11-23 | 宗教
神のいない教会での神の=語り口=ヒューマニスム。神との脈をつなぐにそれだけではいけない。信仰必要。ガス形体のようなものに審理されている。關與してくるのは身の潔白性。独我論に身を包めばもはや本来の宗教としての實現は厳しくなる。向かうべき。ガス形体は登るまで待っているが、その前に寿命が尽きてはいけない。


(無題)

2006-11-15 | 宗教
それを「宗とする教え」とすればそれは宗教になる。基本的には感情的・嘲笑的になる時点で無宗教はありえないだろう。アルツハイマー以外は濃かれ薄かれ宗教を持っているものである。灰色の人にとっては松坂の入札額も宗教と映るだろう。「宗教は全てカルトである」と見做しても普遍的ではない。宗教とはすべて、カルト化する要素を孕んでいるというものである。経済の教えでは「神は商品で宗教団体はシステムである」。心理学の教えでは「神は心の支え」。それは自分を保護する役割もあるが、思考基盤の硬直化が進めば、神や宗教をそのように見なさない思想をタブーとして異質排除することにもなる。それが反社会的な攻撃性に至ったときに、破壞カルトと呼ばれることとなる。また、仏教とか神道など、ほとんどの宗教の本質が思考基盤をより普遍的なものに移行さすもの,または思考基盤を抜けようとする反宗教的なものなのだが、宗教を音楽のように「語り得ぬもの」と捉えることをしないのはなぜだろう。心の支えになると知って信仰しないのはなぜだろう。保身だろうか。単にアニミズム的な傾向に基づくところであろうか。自己矛盾でもありメビウスの輪なところでもある。


進化論と創造論

2006-10-16 | 宗教
創造論も進化論も八百万の概念では矛盾しないでいられる。進化はDNAの構成からの評価で結果論。創造は、指南とも考えられる。神の見えざる力、暗在系の力によって進化する。というか、変化する。寺や神社の気を浴びると表情が良くなる。それと似てる作用で。その小さな進化の積み重ねである究極に長いスパンを一瞬に結論付けて見れば、創造とも云える。論理的な西洋人に語らせると結論のみの解釈になる。それでは中ヌケしてるので、本来なら歴史の敷衍が必要になる。「霊的真理」以上に霊的に大切なものが、日本人にとっては古事記や日本書紀の叙述になる。それらは高天原(宇宙)についてはほとんど書かれていないが、国づくりに関わった天津神や国津神の神話は日本人の魂の規定になり、霊性の彩りにつながる。実際神社で祀られているのは宇宙の抽象的な神ではない。ほとんどが伊邪那岐命・伊邪那美命の国産み以降の神になる。その神気が人間、特に日本人の個性に近く、次第に魂は実相を帯びてゆくのである。