ルアンパバーンの風景

ラオスの世界遺産『ルアンパバーン』(Luang Phabang)の静かな風景を載せていきます。
実際は暑かった。

(無題)

2005-02-24 | ヤプログ!のログ

   . ,:∴      , ∴.:.∵:
  ∴.:.∵:∴  ∴.:.∵:∴.:∴: , .
:∴:∴.  ∵::∴.∵:∴ .<(・)>.:∴:<(・)>


雷に打たれた人

2005-02-19 | ヤプログ!のログ
「正直なところ、もう自分の体には戻りたくなかった。自分の身体を見ると海面のように流動性のあるうごき, 光の向こうに向かうと楽園があり、自分と同じようなものたちがいた。下には戸惑っているような存在たちがいた。見ているとこちらの振動の速度が落ちてきた。自分の振動が落ちてゆくのは不愉快だったので彼らから目を逸らした。上にはもっと多くの存在がいた。彼らは私よりも明るく、より多くの光を発していた。彼ら(指導霊)を見ていると、こちらの振動の速度が上がっていった。」

霊性の高い人は気持ちいい。低いものは見ること自体しなくてよい


思念は伝播するもの。

2005-02-05 | ヤプログ!のログ
しかし思念は、相手に自他の境界や受信者という意識がないかぎり、その形で伝わってしまう。
たとえばなんらかの願望から「自分は気にされている」という意識が過剰になったとする。しかし相手は例によって気にしていないので、相手も「自分は気にされている」と同じように思い始める。お互いに「自分は気にされている」と思い合っているという現象に至る。あながち間違いではないが。
仏教的に言う「縁起」の観念がなく、自分というものすら現象であることを理解しない者たちの中には、お互い様の渦が巻かれていることが多い。



(無題)

2005-02-01 | ヤプログ!のログ
あくまで自然に育ってきたひとは、知っていることにたいして謙そんをしない。すなわち、かじっただけ、名前を知っているだけでも、その名前が出てきたらそれを話したがるし、話してくれれば素直に喜ぶ。「自分はよく知りませんけど」などと薄気味の悪い前置きをしない(薄気味悪くなければべつにいい)。
相手への過剰な気遣いは批判への恐れの裏返しであることが多い。しかし自然な人は恐れずに向かう。知っている、それだけでただ興味の対象なのである。人間は世界のすべてを享受していていい。それは神に許されたことなのである(当然)。