気分はいつも、私次第

リディツェ村の物語・5

 リディツェ村が何故、これほど大きな反響を呼んだのか。まだ強制収容所、そして絶滅収容所の地獄図は知れ渡っていない。またフランスのオラドールで行われた残虐行為を始め、他の場所での惨劇に比べて、リディツェは、組織だった冷静な作戦であった。オラドールは、怒り狂った親衛隊によって行われたと伝えられている。その冷静さが、恐怖を増大させ、人々の同情を呼んだのかも知れない。しかし、どんな理由であれ、人の命が奪われた事には変わりないのだ。

 ベネシュは、死の直前に語っている。
 「・・・・ベルリンやブダペストなどが、第二次世界大戦の激戦で焼け野原となり、こなごなに破戒されてしまった。しかし、黄金の都プラハは、無傷のままである」

 確かにその通りだ。しかし、建物はまた建てられる、歴史が無くなっても、また新しい歴史が紡がれる。死んでしまった人達は、もう戻ってこない。そして、愛する人を失い砕け散った心も、二度ともとに戻る事は無いのである。

 リディツェ。私達にとっては、もう記録でしかない出来事、しかし、覚えておく事が、私達のできる事であり、私達は実行しなければならない。今の幸せは、多くの人々の犠牲の上に成り立っている事を、忘れてはならない。
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